幕間:理想と現実のあいだで
(スタジオが暗転し、短いCM風のジングルが流れた後、画面が切り替わる。照明が落ち着いた控室風のセットに変わる。コーヒーカップとティーポットが置かれたテーブルを挟み、トマス・モアと鄧小平が向かい合って座っている)
モア(ティーカップを手に取りながら)
「鄧殿……あなたの語る“現実主義”には、ある種の凄みを感じます。
しかし、私は気になってならないのです。
あなたがなぜ、“社会主義”という看板を、いまだに掲げ続けておられるのか。」
鄧(湯呑を手にしながら静かに)
「あなたの“ユートピア”も、ある意味では社会主義では?」
モア(微笑を浮かべ)
「ええ、そうかもしれません。
私が描いた理想郷は、“所有の平等”を中心に据えていました。
だが、それは“共同体の倫理”があってこそ機能するものです。
私は時に、それが“絵空事”と呼ばれることも覚悟しています。」
鄧
「あなたは“理想の人間性”を前提に語っている。
私は“現実の人間性”を前提に制度を組む。
その差が、あなたと私の立場の違いだ。」
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社会主義とは何か
モア
「それでも、あなたは“社会主義”を名乗っておられる。
本音を言えば……あなたの改革は、私には“市場主義”にしか見えないのです。」
鄧(少し笑って)
「それはよく言われた。
だが、私にとって“社会主義”とは、形式ではなく、目的だ。」
モア(眉をひそめ)
「目的……とおっしゃいますと?」
鄧(やや語調を強める)
「社会主義の目的は、“貧しき者を豊かにすること”。
だが、貧しき者が全員等しく貧しい状態が“社会主義”だというのなら、
それは“貧困の平等”であり、“進歩の否定”に過ぎない。」
モア(深く頷く)
「なるほど……。
あなたにとっては、“豊かになる”ことが、第一義なのですね。」
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所有と分配をめぐって
モア
「私は、財の“所有”が、人間を堕落させると考えています。
財を私有すれば、妬み、貪欲、支配欲が生まれる。
だから、共同体で分かち合うことこそが、徳を育てる――」
鄧(遮るように)
「私は、貧しさのなかでこそ、妬みと暴力が生まれると信じている。
分け与えるものが無ければ、いかなる“徳”も育たない。」
(間)
モア(ゆっくりと)
「……確かに。“空の食卓”では、祈りも虚しい。」
鄧
「だから、私は“まず豊かになる者”が必要だと説いた。
その者たちが牽引し、働き、納税し、雇用を生む。
それが“先富論”の基本構造だ。」
モア(考え込むように)
「だが、先に富を得た者が、それを独占しようとしたら……?」
鄧(少し低い声で)
「だからこそ、“監視”と“統制”は必要になる。
完全な自由市場ではなく、**国家が一定の主導権を握る“調整された競争”**が理想だ。」
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モアの懸念
モア(目を伏せて)
「あなたの論には理がある。しかし、私はどうしても恐れてしまう。
“目的が正しければ、手段は問わぬ”という、その思考を。」
鄧
「それは、私が実際に国を動かした者であるからだ。」
モア
「私は、“信仰”のために命を捧げた者です。
時に“立場”より、“魂の選択”が上回ることもあるのです。」
(二人の間に、静かな沈黙が流れる)
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信仰と人民
鄧(ふと呟くように)
「……あなたは、信仰の人だった。私は、人民の人だ。」
モア(目を上げて)
「本当に、“人民”とは、あなたにとって“神”のようなものなのですか?」
鄧(少しだけ微笑み)
「そうかもしれない。
だが、“神”と違って、人民は腹が減る。怒る。暴れる。
だから私は、現実の人民に応えなければならなかった。」
モア
「それでも……人民にも、魂があります。」
鄧
「そしてその魂は、“衣食足りて”初めて語れるものだ。」
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静かな共鳴
(ティーポットに湯を注ぐ音が聞こえる)
モア
「私たちは、出発点も違えば、手段も異なる。
だが、“人の尊厳を守りたい”という点では、同じ場所を見ているのかもしれません。」
鄧(頷く)
「そうだな。
違う道を歩いても、同じ“山の頂”を目指すこともある。」
(ふたりの間に、言葉にならない共鳴が生まれる。)
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神は、見えざる手か、あるいは死者か
(照明が落ち着き、静かな控室。先ほどの対談の熱気は過ぎ去り、ソファの上にはアダム・スミスとフリードリヒ・ニーチェの姿がある。
紅茶と黒パン、ウィスキーがテーブルの上に置かれている)
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1. 見えざる手と“死”
スミス(カップに紅茶を注ぎながら)
「フリードリヒ殿、あなたの言葉――“神は死んだ”というその宣言、
私にはいささか……衝撃的でしてね。」
ニーチェ(椅子にもたれ、片肘をつく)
「“宣言”ではない。“診断”だ。
私が殺したわけじゃない。おまえたちが殺したのだ。」
スミス(微笑)
「ならば、“おまえたち”の中に私も含まれているのでしょうな。」
ニーチェ(口の端を吊り上げ)
「もちろん。君は“神の見えざる手”などという、神の名を借りた市場原理を語った。」
スミス(やや神妙に)
「私にとって“神の見えざる手”とは、道徳と秩序が織りなす世界の調和を示す象徴でした。
市場が調整されるのは、単なる欲望のぶつかり合いではない。
そこには、人間の中にある“良心”が作用していると信じています。」
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2. 神なき道徳は可能か
ニーチェ(すぐに)
「その“良心”すらも、神の影だ。」
スミス
「影?」
ニーチェ
「道徳、良心、愛――そういったものは、すべて“神”という存在の副産物。
神が死んだ今、それらは空中に浮いたまま、意味を失っていく。
それでも多くの人間は、まだそれにすがり続けている。」
スミス(少し目を伏せ)
「では、神なき世界において、我々は何を指針とすべきですかな?」
ニーチェ(目を鋭く)
「自分自身だ。
人間は神に支配される必要などなかった。
“善悪の彼岸”を越え、自ら価値を創造する者――それが“超人”だ。」
スミス(静かに)
「それは……すべての人に可能な道でしょうか?」
ニーチェ(即座に)
「否。
だからこそ私の哲学は、“すべての人の救済”など望んでいない。
それは“神”のやることだ。
私は、神の仕事から人間を解放したいのだ。」
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3. 共感と超人
スミス(少し間を置いて)
「私の立場では、人は共感を通じて他者を思いやる力を持つと信じております。
それが市場における“公正”にもつながるのです。」
ニーチェ(冷笑)
「共感は弱さだ。
共感は、“お前も苦しいから、俺も苦しい”という共倒れの論理だ。」
スミス
「だとしても、それが社会の支えになっている部分もある。
あなたの“超人”は孤高かもしれぬが、孤独でもあるのでは?」
ニーチェ(目を細める)
「孤独を恐れる者に、創造はできぬ。
道徳も、制度も、歴史も――
すべては、誰かが孤独の中で立ち上がったからこそ生まれた。」
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4. 神という必要
スミス(紅茶を置き)
「私は、神を制度の背後にある“倫理の保証人”として見ていました。
社会において、“神が見ている”という感覚が、暴走を抑える力になると。」
ニーチェ(ため息のように)
「そうだ。
だからこそ私は言った。“神は死んだ。そしてその死体は腐っていく”。
人間は、神なき世界で倫理をどう再構築するか、問われているのだ。」
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5. “責任”という名の重み
スミス
「我々の時代とは異なり、現代は“個”が強く叫ばれております。
だが、個とはつまり、責任を持つ主体でもある。
それは、まさにあなたの言う“超人”の理想像にも近いのでは?」
ニーチェ(やや静かに)
「……面白い。
そうだ。“責任”を逃れるために神を信じるのは、奴隷の精神だ。
だが、自ら進んで背負う責任――それは、私の哲学の中核にある。」
スミス(微笑)
「であれば、我々は少しだけ、共通の地平を歩んでいるのかもしれませんな。」
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6. それでも語り継がれる“神”
ニーチェ(肩をすくめて)
「君は神の手を語り、私はその死を語った。
だが、“神”という言葉自体が、未だにこうして我々を語らせている。」
スミス
「それはつまり、“神の観念”が、
我々が人間について語るとき、避けて通れぬ問いだからでしょう。」
ニーチェ
「……否定してもなお、逃れられぬ。
それが“神”の最も皮肉な性質かもしれんな。」
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(控室の照明がゆっくりと落ち、スタジオがふたたび明るくなる。Round 3へ)