告白
春を手招きするような柔らかな陽光が、庭の草木を包んでいた。
その庭のアロエやネギの緑に塗られた一画から離れて、百日紅の低木が立っていた。
百日紅の下から伸びる影の輪郭も、冬の季節に別れを告げているようだった。
父と息子は部屋の中にいた。
父は足の細いアームチェアに座り、掃き出し窓のガラス越しに静かに庭の百日紅を眺めていた。
息子は父の前に座り、じっと父の顔を眺めていた。
表情も変えず何も言わない父の存在に耐えられないものを感じていた。
沈黙の時間の中、時計の針の音が息子の鼓動を追い立てていく。
息子は、固まっていく空間に耐え切れず口を開いた。
「お父さん、何とか言ってよ。」
息子は眉をゆがめ訴えるように声を出した。
しかし、父は無言のまま庭に視線を向けたままだった。
「何か言ってよ。」
「・・・」
「お父さん聞いて、全部話すよ。
お父さんが大事にしていた、あの釣竿を割っちゃったのは僕なんだ。
ごめんなさい。
いつもお兄ちゃんと楽しそうに釣りに行っていたよね。
僕も一緒に行きたかったんだ。
わかってるよ、僕は体が弱かったから行けなかったのは。
でも、行きたかった。
釣りをしたかった。
だから、お父さんがいないときに、そっと釣竿を組み立てようとしたんだ。
壊そうとは思っていなかったんだよ。
本当に。
でも、謝るのが怖かったんだ。」
父親は、表情を変えずに百日紅の枝先を見ていた。
返答のない空間の中、息子は静かに視線を落とし右手の親指で左手のひらを抑えていた。
無音の時間の中、息子は再び顔を上げた。
「お父さん、僕はいつも嘘ばっかりついていた。
お父さんに叱られるのが嫌だから、嘘ばっかりついていた。
勉強をしなかった理由も、いつも病気のせいにしていた。
塾を休んだりしたのも。
お使いを間違ってしまった時も。
お父さんから逃げるために嘘ばっかりついていたんだ、ごめんなさい。」
父親は少し視線を動かし、遠い雲の流れを見ていた。
無言の世界を取り繕うように鳥のさえずりが聞こえてきた。
「いつも―お父さんが嫌いだ―とか―お父さんなんか死んじゃえ―って言ってたけど、本心じゃなかったんだよ。
そんなこと一回も思ったことなかったよ。
ずっと大好きなんだよ。
だから、何とか言ってよ。」
父親は、スポンジのように息子の言葉をその体に吸い込んでいるようだった。
しかし、父親は静かにガラスの外の世界を眺め続けた。
小さな空間にどれくらい秒針の音が流れただろうか、息子はそっと右手で頬をさすり立ち上がった。
そして、静かに父親のそばに近づいていった。
息子は一つ息を吐くと右手を父親の左手の上に乗せた。
「お父さん。」
息子は傍らのローテーブルに乗せてあったスプレー缶を取り、自分の手のひらに射出した。
左手には、白い泡の山ができた。
息子は両肘を後ろに引き体をほぐした。
父親はそっと目じりにしわを寄せ、息子に視線を向けていた。
息子は、その視線に重ねるように微笑んだ。
息子は左手の泡を右手の指先ですくい、そっと父親の頬に乗せていった。左頬から右の頬へ薄く伸ばしながら。
そして、ローテーブルから髭剃りを取り父親の頬を滑らせていった。
「お父さん、もうすぐ暖かくなりそうだね。
あの百日紅の木、たしか僕が生まれた時に植えてくれたんだよね。
つるつるの木肌に触って喜んでたのを思い出すよ。」
息子は、剃り終えた父親の頬を温めておいた濡れタオルでゆっくりと拭いた。
父親はこけた頬を少し持ち上げ目を細めた。
「また夏になったら白い花が咲くね。
今度の夏は、みんなで写真を撮ろうね。
その頃には、お父さんはもうお爺さんになってるよ。
―おじいちゃん―がいいかな。―じいじ―がいいかな。」
息子はそっと手のひらを父親の髪に乗せ、柔らかな髪の毛を梳き始めた。
庭の百日紅の木は、空気の流れを知らせるようにその影を揺らめかしていた。