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その日。
初めて、エルと戦場で対峙した日。
彼は、初めて戦場で膝をついた。
つかせられた。
目の前には、戦装束を纏った兵が佇んでいる。
十代半ばくらいの中性的な顔立ちの兵だ。
今まで、他国の英雄と呼ばれる存在とは何度か対峙したことがあった。
とても鮮烈な印象をジンに与えながら、彼らは散っていった。
しかし、それらの存在ですら霞むほどに、彼の目の前にいる存在は強かった。
戦乱の絶えないメルヴィス大陸。
その中でも、1、2を争うほどの力を持つとされる大国、セリザレーヌ帝国。
国の守護神の名前を冠した国である。
その属国の一つである、名前も知らぬ小国の砦を落とすことが彼の目的だった。
そうすれば、ジンの国、シルスフォード国は領土を拡大できるのだ。
でも、できなかった。
彼の率いた軍勢は、目の前のたった1人の兵によって壊滅にまで追い込まれてしまった。
たった一度、武器を振るう。
指を打ち鳴らして、魔法騎士団が束になって起こすような広範囲攻撃魔法を展開する。
まるで、伝説にある鬼神のような存在だった。
どんな策も、この存在には無意味だった。
彼は思った。
ここで自分の人生が終わるのだと、そう直感した。
しかし、人生とは面白いもので、彼は死ななかった。
殺されなかった。
「退いてください」
鬼神がそう言ってきたのだ。
まだ幼い、声変わり前のあどけなさが残る子供の声だった。
声は続ける。
「あそこには、貴方達の求めるものはありません。
むしろ、逆です。
あそこには、いまや戦火で家を失った女性と子供、そして怪我人しかいないのです」
どこか慣れない発音と言葉遣いから、この兵が大陸の外から来たのかもという予想がたつ。
しかし、兵はお構い無しに続ける。
「ここに指揮官の首はありません。
だから、退いてください」
無意味だから、と兵は説得する。
「そうでないと私はさらに力づくで、あの人たちを守らなければなりません」
そこへ、途中ではぐれてしまっていた従者が馬を駆り駆けつけてきた。
その手には、弓矢があった。
狙いは、自分の主を手にかけようとしている、この鬼神。
しかし、鬼神――エルはそちらを一瞥しただけだった。
それをどう捉えたのか、従者が弓矢を放つ。
放たれた弓矢は、エルに向かって飛んでいき、中る直前で折れて、地面に落ちてしまう。
エルが、剣でたたき落としたのだ。
動揺すら見せず、むしろ疲れたように息を吐き出して、エルは従者とジンを交互に見た。
従者は、途中で馬を止める。
そして、エルに敵意がないことを察した。
エルはエルで、二人に頭を下げる。
どうか、今は、退いてくれと。
戦場に慣れていないのだろう。
目の前に、手柄の首があるというのにそれを狩ろうすらしない。
エルの行動に戸惑っていると、どこからか爆発音が響く。
すると、それを聞いたエルがホッとした表情を浮かべて、ジンとその従者に背を向けた。
去っていく。
おそらく、なにかしらの合図だったのだろう。
その背中を、ジンはずっと見つめ続けていた。
そのあと湧き上がってきたのは怒りだった。
俺を殺さなかったことを後悔させてやる、と意気込んだ。
しかし、怒りと同時に別のものが胸の内に込み上げていることに気づいた。
ドクンドクンと、心臓が高なった。
今までの誰よりも強かった。
まだまだ自分は強くなれる、そう思った。
あの鬼神を倒せば、それこそ大陸を統一するのも夢じゃないんじゃないか。
そう、思ってしまった。
だから、追いかけた。
この時は名前すら知らなかったエルが、どこの誰なのかを調べさせた。
あれだけの功績を残したのだ、出世をしたことだろう。
そう考えた。
しかし、ジンが負けたあの場での功績を認められたのは、まったく別の人物だった。
それを知って、推測、というか邪推をしてしまったジンは、また別の怒りにかられてしまう。
あの鬼神の手柄が横取りされている、と。
それは、ジンにとってとても見逃せることではなかった。
それから戦の度に、エルの姿を探した。
そして、何度も何度も殺し合いをしながら、どうして出世しないだのなんだのと問い詰めた。
なんなら、俺のところに来いと熱烈な勧誘すらしたことがあった。
その度に、エルはのらりくらりと返答を濁していた。
なんならジンの攻撃も受け流していた。
そうこうしているうちに。
あのまだまだ子供ではある小さな、でも大きな背中を追いかけているうちに、気づいたらメルヴィス大陸の覇者となってしまっていた。
出来ることなら、戦場でエルの膝を折ってやりたかったが、結局それは叶わなかった。
代わりに、まさか戴冠式という形で傅かせることになろうとは、思ってすらいなかった。
***
今日、エルが離宮に引っ越してきた。
その引越し作業を進めていたエルが、なんとか時間を作ってやってきたものの、手伝おうとしないジンに訊ねた。
「なんですか?
私の顔になにかついてます?」
「あー、いや、初めて会った時のこと思い出してた。
まさか、命のやり取りしてた相手と結婚することになるとはなぁって。
感慨深いというかなんというか」
「結婚っていっても偽装ですけどね」
「……偽装」
「私は、ちゃんとしたお姫様を迎えるまでの偽物嫁ですよ。
だから」
そこで言葉を切って、エルはジンを見た。
「妙なことしたら、その首、飛ばしますからね」
笑顔だったが、目は笑っていなかった。
ジンは乾いた笑いで返す。
「ははは、嫁さんに暗殺されるとかぞっとしないねぇ。
あ、そうだ。
もう時効だろうし、聞いてもいいか?」
「?」
「なんで出世しなかったんだ?」
「あ、あー、はいはい。
そう言えば陛下ずっと気にしてましたよねぇ。戦場で。
命のやり取りしてるって言うのに、なんか陛下にめっちゃ怒られてましたねぇ。
ちゃんと食べてるのかーって。
ウカノ兄ちゃんの事思い出して、大変だったなぁ」
「陛下っていうのやめろ。
今は人の目もないだろう。
それと、ウカノって誰だ?」
仮にも王妃の引越しだと言うのに、ここには屋敷の主である二人以外、誰もいない。
それもそのはずで、ほとんどの人間が仕事以外でエルにはなるべく関わりたくないのだ。
以前、ドレスの採寸のために派遣されてきた針子だって、どこか嫌々だった。
それをエルは承知していた。
だから、今回は人の派遣をエル自身が断ったのである。
しかし、予算というものが決められており、人を手配しないわけにはいかなかった。
だが、色々と事情がかさなり(そのほとんどが、エルへの嫌がらせである)、結局人が集まらなかったのだ。
さらに、これまた色々と行き違いが生じて、結果的に新婚夫婦水入らず状態となってしまったのである。
「ウカノはうちの長男ですよ。
私のお兄ちゃんです。
じゃあ、久しぶりにジンジンって呼びましょうか?」
「おい」
「わかってますよ。
そんな嫌な顔しないでくださいよ、ジンさん。
それじゃ、休憩がてらお茶にしましょうか。
話はお茶を飲みながら、ということで」
引越し作業、というよりもほぼ大工仕事なのだが、その手を止めてエルはお茶の用意を始めた。
場所は、庭だ。
テーブルと椅子を持ってきて、テキパキと準備を進める。
なんなら、ジンに指示を出して動かす。
偽装とはいえ新婚なのだが、さっそくジンを臀に敷いているあたり、エルはきっと将来は頼もしい肝っ玉母ちゃんになるだろう。
諸々のセッティングが終わると、お茶をいれて二人は向かい合って椅子に腰を下ろした。
「いつの間に焼き菓子なんて買いに行ったんだ?」
いつの間にか用意されていた、皿に並べられていたクッキーを見ながら、ジンが言ってくる。
それを一つ摘んで、エルは言った。
「買いになんて行ってないです。
新妻のお手製ですよ、たんと召し上がれ」
そして、クッキーを口に放り込む。
それを聞いて、ジンは目を丸くした。
「これ、お前が作ったのか?!」
「戦争が終わってからは材料が手に入りやすくなりましたからねぇ。
それまでは、実家や親戚に送ってもらってこっそり作ってました。
そうそう、それこそ初めてジンさんと会った時も、ガルフ砦に逃げ込んだ人たちに振舞ったら、物凄く好評でした」
よくもまぁ、食料目当てに難民たちに惨殺されなかったな、とジンは改めて思った。
いや、エルのことだから仮にそんなことになったら返り討ちにしていただろうが。
「あの時はもう本当に大変でしたよ」
そんな前置きをして、エルはあの日のことを話し始めた。
初めてジンと出会った日のことを、話し始めた。
「なにしろ、現場の指揮官がさっさと戦線離脱するわ、離脱する直前にお前ここに残って難民と怪我人の相手をしろって言われるわ。
冗談かと思いきや、ほんとに逃げ出しやがるわで、父親と祖父と真ん中の兄たち以外で初めて他人に死ねって思いましたね」
どんだけ父親と祖父と兄たちが嫌いなんだ、とジンは思ったが口にはしなかった。
「それでも善意で残ってくれた衛生兵たちのお陰で、集団自決とかは避けられましたけど。
もう終わりだー、敵に捕まって辱めを受けるくらいならいっそ、ってな感じで砦から飛び降りようとする人たちを止めたり。
そうこうしてるうちに、敵の軍団は砦を取り囲むしで、そしたら今度は難民の人たちが根切りにされるんだーって騒がれて恐慌状態になるしで」
思ったより地獄だったようだ。
「それでもお金もらってるんで、なんとかしなきゃなーって頑張ったんですよ」
なんとかしなきゃなーって、頑張った結果が敵の軍勢の壊滅だったわけだ。
「で、頑張って、なんとかジンさん達を追い返した前後、救助隊が来ましてねぇ。
別の国、当時は中立国って呼ばれてた国々の救助隊でした。
それで難民たちを保護して貰えたんです。
その後も後で、糞な展開が待ってまして。
何人か衛生兵に残ってもらって砦の修繕とかしてたら、指揮官が戻ってきて、諸々報告したんですよ。
そしたら、その手柄みーんな取られちゃって。
理由も糞でしたねぇ。
女の私が砦を守ったって上層部に報告しても、信じてもらえないからとかなんとか、そんな理由でした」
「やっぱりか」
「まぁ、その時の上司、最終決戦で死んだんですけど。
他の成績、じゃなかった功績もほぼ別の人達の手柄になってましたねぇ。
まぁ、でも、個人的には出世しなくて良かったかなとは思ってます」
「その理由は?」
「え、責任とか重くなってさらに仕事増えるじゃないですか」
金はほしいが責任はとりたくない、と言ったところだろう。
「それに、もし出世してたら戦犯として処刑コース一択でしたしねぇ。
私はたくさん殺しましたけど、まだ下っ端だったのが良かったんでしょうね。
それに、世間的な評価はさておき、公的な記録だと自分は何もしていないことになってますから。
大量殺戮の罪は、手柄を横取りした人達が被ってくれましたし。
だからこそ、自分はここにいるわけですし」
ちなみに手柄を横取りしたもの達は、戦犯としてとっくに処刑されている。
「よくもまぁ、裏切らなかったな」
ジンのある種真っ当な呟きに、エルは苦笑した。
「ですねぇ。
自分でも不思議です」
「……さっさと俺のところに来れば良かっただろ。
そうすれば、そんな扱いされなかった」
そして、きっと、今のような扱いもされていなかったことだろう。
「それは選択肢にはなかったです。
何故って?
だってそうしたら、もう二度とジンさんと本気で戦えなくなるなって思ったんですよ。
ジンさん、今だから言うんですけど。
私、命のやり取りが出来たのが貴方で良かったって、心の底から思ってるんです。
たぶん、他の人だとあんなに胸が高揚するなんてこと無かったと思うんです。
うん、殺しあったのが貴方で良かったです」
言葉こそ不穏だが、それでもこの少女に認められていたのだとわかった。
だからだろう、ジンの表情が緩んだ。
「最高の褒め言葉だよ」
実力は互角どころか、自分が下だと思っていた。
心のどこかで、エルはジンを見下しているのだろうと、そう思っていた。
でも違った。
彼女も同じ高揚感、恋とは違う猛りのようなものをジンに対して感じてくれていたのだ。
膝を地面につかせることは、結局叶わなかった。
意図せず、傅せることは出来た。
それでも、心が満たされることはなくて。
大陸の覇者などと呼ばれ賞賛されても、どこか空虚だった。
けれど、今、彼女の心に少しだけ触れることが出来たような気がして、初めて満たされたとジンは思った。
「俺も、戦場で出会えたのがお前で良かった」
ジンの言葉に、エルは戦場では決して見せなかった柔らかい笑みを浮かべた。