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ある恋物語の行末

 夏休み初日。


 布団から起き上がって時計を見れば、もうとっくに昼の時間を迎えていた。


 窓の外から子供たちのキャッキャという笑い声が聞こえてくる。体を起こして窓を開けてみれば、小学生くらいの男女四人組が一列になって歩道を歩いているのが見えた。


 と同時に、夏らしい蒸し暑いもわっとした空気が肺の中に流れ込んでくる。


 近くの神社の方からは蝉の声がうるさいくらい聞こえる。




 ――夏休み、だ。




 待ちに待った夏休み。青春の一ページも二ページも飾るであろう大切な夏休み。


 未だに実感は湧いていないが、いよいよ高校生活最初の夏休みが始まったのかと思うと、少しだけ心が躍ってしまう。


 まあ、初日から既に時間を無駄にしているわけだが。


「…………ねむ」


 心は踊れど、実際に俺が躍ることはない。踊るのは会議だけでいい。いやまあそれ進まないんだけど。


 下らないことを考えつつ、机の方に視線を向ける。


 小学生の時、両親に買ってもらった勉強机。一時期はその名に恥じぬ、勉強をするためだけの机として活用されていたものだが、最近はプラモデルを作るための工作板やらゲームをするためのモニターやらが置かれて完全に趣味の机と化している。もちろん勉強用具の類は一切ない。


 そんな悲しき運命を辿る机の上に、安っぽいリサイクル用紙に印字された書類が一枚。


 手に取り見てみると、そこには『反省文』の印字が。


「…………はぁ」


 ため息が漏れる。俺のような非行から最も遠い人間が、まさかこんな書類を書かされることになるとは思いもしなかった。


 ――この反省文は昨日の一件の副産物である。


 校舎裏でひたすらに愛を叫び続けた犬山。集まる野次馬。近所からの苦情の電話。


 当然学校側が介入しないはずがなかった。すぐに男性教員数名がやってきたかと思うと、犬山の告白は強制中断。その場にいたギャラリーは即刻帰宅命令を下され、当事者である犬山、小牧、そして恋愛相談部である俺たち三人は説教の末、夏休みの課題に反省文が追加されることと相成ったのだ。


 つまり、これは学校という公共の場で近所迷惑も考えずに大声を出し続けたことに対する処罰なわけだ。


「なんで俺まで書かなきゃいけねぇんだ……」


 独り言つ。そりゃそんな愚痴も出る。だって別に俺は大声なんて上げていないし、むしろ犬山のことを止めようとしたんだが……。


 まあ確かに、恋愛相談部が主導となって、あの一連の出来事が起きたけれど。


 なんというか、こう……。


「めんどくせ……」


 反省文を書くのは今日じゃなくていい。


 俺は紙切れを適当に机の上に放り投げると、部屋を出てそのままリビングへ。


 階段を下りる途中、腹の虫がぎゅーっと鳴る。昼ご飯の頃合いだろう。


 鼻歌交じりに、扉を開ける。


 リビングには、遥香がいた。


「あ、おはよ」


「……おう。父さんたちは?」


「もう出かけたよ。買い物行くんだって。なんかヨ〇ボー買うとかなんとか」


「へぇ……」


 すげえピンポイントな買い物しに行ったな、おい。


 あそこって確か人をダメにするクッションを売ってるところだよな? なんかのテレビで見たことがある。一度ハマったらもう抜け出せないとかいう流砂みたいなやつだ。……ダメだろそんなの家に置いちゃ。俺をダメ人間にするつもりか。


 心の中でそう呟きつつ、俺はソファに倒れこむように横になった。


「……何まだ寝ぼけてんの。もう昼だよ? いい加減起きたら?」


「うるせえ。俺は疲れてんだ。今日はだらーって過ごすって決めてんの」


「兄ちゃんはいつだって怠け者じゃん……」


 あはは。そうでした。人をダメにするクッションがなくても、俺ってば既にダメ人間でした。てへぺろっ☆


「だいたい夏休みって今日からでしょ……。信じらんない。初日からこんな時間に起きてくるなんて」


「馬鹿言うな。初日こそ夏休みの生活リズムに合わせていく必要があるだろ。俺は基本的に休日の午前中は寝てる。それだけのことだ」


「なに意味不明なこと言ってんの……」


 遥香が呆れたような眼差しでこちらを見た。


「まあいいけどさ……。今日は私もこの後出かけるから」


「はいよ」


「お昼ご飯作ったから、これ適当に食べといて」


「――ん?」


 途端に、リラックスモードだった全身の筋肉が硬直する。


 何かいま変な単語が聞こえたんだけど。……え、聞き間違いか?


 体を起こして遥香の方を見据える。


「何……?」


「お前が料理、だと……」


「そうだけど?」


 背筋がピキっと凍る。遥香の手料理……。それはもはや俺に対する嫌がらせに等しい。


 はっきり言ってこいつの料理食べるくらいなら調味料食った方が上手いまである。少なくとも前回の手料理から察するに、こいつの料理を食べて俺が笑顔になることはあるまい。


「いや、俺カップ麺食うし……」


「なんでよ。せっかく作ったのに」


「お前の作った料理を食べるとか、ちょっと意味が分からないんで……」


「兄ちゃんの発言の方が意味分からないんだけど……」


 いやいや、意味分かりまくりだろ。この前のこと覚えてないのかお前。あのスパイスの味しかしない謎にふにゃふにゃした野菜炒め。ゲロマズだったぞ。正直酢豚に入っているパイナップル食った方がまだマシ。


「……ちゃんと今回は普通のごはんだって。ほら?」


 俺の発言に怒りを覚えたのか、眉間にしわを寄せた遥香がボウルと包丁を持ってこっちへやってくる。……ふむ。ボウルの中にはキラキラと輝いたそうめんが並んでいる。見た目から食欲をそそられる完璧なそうめんだ。……これは失敬。お前ちゃんと料理できたんだな、すまん悪かった――って目の前に包丁あるんですけど!?


「おま――危ねえよっ!」


「え? ああごめん。当たってないよね?」


「当たってたら殺傷事件だっつーの。てかなんで包丁持ってんの!? そうめんに包丁は使わないよね!?」


「これは、その、料理の勉強をしてるから」


「……はぁ?」


「だって今どきの女子って料理くらいできないとモテないじゃん? だからその……。包丁とか持ってる方が料理できる女の子感が出てて良いかなぁ、って」


「だったら料理の勉強をしろ! なに料理を『装う』勉強してんだよ! おかしいだろ! ……つーか包丁をしまえ! 料理の前に常識の勉強から始めろお前は。お前が包丁持ってても、こっちは全然ドキドキしねえよ。違う意味でドキドキしたわ!」


 さすがは我が妹、柳津遥香。変なところで捻くれているあたり、俺たちは似てなくもない。そんな共通点悲しすぎるんだが。


 ていうかそもそも、そうめん茹でただけで料理とか言っているあたりが残念すぎる。


「ま、いいや。お昼ご飯は作ったから。時間だし、私もう行くね」


「はいはい……」


 遥香はエプロンを外すと、今度はドタバタドタバタとリビングを駆け巡る。スマホはどこやったっけだとか、髪はこれでいいかなだとか、独り言をぶつぶつと呟きながら彼女の支度は完成に近づいていく。


 大きな麦わら帽子をかぶり、手には小さなショルダーバッグ。たぶんスマホと財布くらいしか入らない大きさだ。カバンとしてどうなんだそれ。小さすぎだろ。


 ……とかツッコミ始めるとまた遥香に包丁を突き付けられそうなので黙っておく。


「行ってきます!」


 玄関の方から元気な声が聞こえたかと思えば、扉がガチャリと重く締まる音。


 窓の外からは、休むことなく蝉の声が流れ続けている。


 なんか最近、あいつ元気だなぁとか思いつつ、俺はようやく重い腰を上げてキッチンの方へと向かう。


 氷水の中で白くキラキラと輝くそうめん。冷蔵庫からめんつゆを取り出し、水と一対一で混ぜる。めんつゆは濃い方がうまい。


 ソファの方に戻り、テーブルの上に皿を広げる。テレビをつけて両手を合わせたそのとき――スマホの着信音が鳴った。


「誰だよ」


 優雅な昼飯タイムを邪魔する奴はどこのどいつだと思い、スマホの画面を見てみると……そこには『犬山創太』の文字が。……ああ、こいつですか。


 そういえば昨日の一件以来、犬山たちとは何も話せていなかったな。


「……報告ってやつかな。別に要らんのに」


 まあアレだ。せっかくの機会だ。その後の二人の顛末がどうなったのか、ぜひとも聞かせてもらおうではないか。


 着信ボタンを上に押し上げ、俺はため息交じりに応対した。


「……もしもし」


「あ、柳津? 今いいか?」


「良くはねえけどなんだよ。惚気とかだったら殺すぞ」


「口悪くね!?」


 犬山の声はいつになく活気に満ち溢れている。何を聞かずともその声だけで二人はどうなったのか分かってしまう。


「うまくいったんだな。結局」


「……ああ。柳津たちのおかげだよ。本当にありがとう」


「別に俺は何もしてねえけどな……。感謝するならあいつらにしてやってくれ。とくに鳴海は、いろいろ大変だったと思うからな」


 犬山と小牧の二つの思いに板挟みの形となってしまった鳴海ほど、今回の一件で気苦労した奴はいないだろう。本当にお騒がせな相談だった。マジで二人は鳴海だけには感謝しておいた方がいい。加納は別にいい。どうでもいい。


 そんなことを思いながら、俺は冗談を一つ犬山にぶつけてみる。


「――んでお前ら結局、結婚するのか?」


「……ははっ。直球だな、柳津は」


「いやいや、直球と言ったらお前の方がよっぽどだったけど……」


 昨日の犬山の告白はドストレート以外の何物でもなかった。もはやジャイロボール。あそこまでまっすぐな気持ちをぶつけることができるお前に俺は勝てる気がしない。まあ勝ちたいとも思わないんだけど。


 すると、しばらくの間の後に柳津がおどけたような声で一言。




「結婚の話は断られたよ」


「………………え?」




 反射的に声が漏れた。


 え? いまなんて?


 断られた……? ――え、断られたって言った?




「結婚の話はもっと先でいいから、今は恋人として付き合ってほしいって、そう言われたよ」


「なんだ……。そういうことか……」


 胸をなでおろす。なんだそういうことか。びっくりしたわ。


「あはは……。だから今は陽菜とは恋人として一緒にいるつもりだよ。もちろんずっと手放すつもりはない」


「ラブコメ主人公みたいなこと言うんだな、お前は」


 俺だったら絶対にそんな台詞は吐けない。恥ずかしすぎて途中で笑う。


 だがまあ、犬山を馬鹿にしているわけではない。こいつの生き方はもはやこれでいいのだ。


 小牧とずっと一緒にいるためにも、これからも犬山にはまっすぐ恋路を突き抜けてほしい。


「とにかく、ありがとな、マジで」


「……いや、だから感謝されるようなことは何もしてないって」


 たぶん、ほとんど当たり前のように、手を差し伸べただけなんだと思う。


 恋愛相談部の一員として。犬山の恋を応援したい一個人として。


 できるだけのことをしただけに過ぎない。


 それが大層なことなのか、些細なことなのか、どちらにしても俺はやるべきことだと思って割り切っているだけで。


 本当に感謝されるようなことではないのだ。




 けれど――




 わずかに胸の中にある温かさ。


 跳ねるような高揚感。思わず顔が緩んでしまいそうになる幸福感。


 この気持ちの正体に、たぶん、俺はとっくの昔に気付いている。


 誰かの恋を応援することに。誰かの恋の計画に参加できることに。


 俺はきっと、喜びを感じていたのだろう。


 その気持ちが欲しくて、手に入れたくて、独り占めしたくて。


 そのために俺が動いているのだとしたら――




 俺は――




「まさか、ね……」


「ん、なんか言ったか? 柳津?」


「なんでもねえよ。リア充は死ね」


「え、ちょっとなん――」




 途中で電話を切ってやった。……はっ、ざまあみろ。晴れてリア充にまた戻れたんだ。これくらいの嫌がらせ、リア充再デビューの代償には安いもんだろ。


 スマホをソファに放り投げて、俺はそうめんをずずっと啜る。


 ひんやりと冷たい喉ごし。甘いめんつゆがそうめんに絡まって実に美味である。


 いやぁ、うまいうまい。今日も他人の幸福で飯が旨いなぁ。なにそれ。俺聖人かよ。


 まぁ、冗談はともかく。




 ――二人が幸せになれて、本当に良かったと思う。









 恋愛。


 それは甘酸っぱくて、複雑で、面倒で、厄介で、時折脆い。


 誰かが誰かを好きになり、たまに嫉妬して、たまに衝突して、たまに拗れる。


 胸がときめくような、琴線に触れる話ばかりではない。


 聞いていて億劫になるような話もまた、少なからず存在するのだ。


 けれど、どんな物語も、向かいたい場所は一つだったりする。


 恋愛を越えた、その向こう側。


 その先には、いったい何があるんだろうか。


 どんな景色が待っているのだろうか。


 数々の恋物語が最後にたどり着くその場所は、いったいどんな場所なんだろうか。


 分からない。今の俺には見当もつかないけれど。


 どうしても、思ってしまうのだ。




 ――いつかはその景色を見てみたい、と。


第3章に続きます。

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