表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

90/291

代弁者

恋愛相談部にできることは――

 夜風は優しく頬を撫でる。


 びゅうっと耳元でノイズみたいな音がしたかと思えば、やがて風は消えていく。


 誰のためでもない温かさを帯びていたそれは、俺たちの心を穏やかにしてくれることもない。


 静かで暗くて、息がつまるようだった。


 鳴海の言葉の意味を、解釈するのにそう時間はかからない。


 小牧の秘めたる思い。


 その答えは、いとも簡単に明示された。


「――恋人になる前に戻りたい……?」


 犬山の震えた声。


 鳴海は小さく頷くと、犬山から視線を逸らしてゆっくりと話し始める。


「うん。そう……言ってた。陽菜ちゃんは、犬山くんと恋人になる前に戻りたくて、別れを切り出そうか考えているって」


 鳴海は自分の身体を自分で抱きしめるように、片方の腕をもう片方の手で掴んだ。


 何かから自分の身を守るみたいに、ぎゅっと自分の身体を抱きかかえる。



 ――たぶん、身体は震えていた。



 鳴海はどうすれば良いか分からなかったのだろう。犬山のために動くことも、小牧のために動くことも、どちらも間違いではないけれど――きっと後悔すると分かっていたから。


 何もできなかった自分を守ってやれるのは自分だけだから。


 彼女はこうして、真実を打ち明けて。


 今はただ、後悔することしかできない。


「恋人になる前が良かったって――」


 犬山が大きく息を吸う音がした。


「――じゃあ陽菜はっ……! 陽菜は、やっぱり俺のことが嫌いだったってことすか……!」


「――ち、違うよ! それは違うと思う!」


 犬山の掠れた叫び声に、鳴海が目を見開いてそれを否定した。


「陽菜ちゃん、ちゃんと犬山君のこと考えてた! すごい苦しそうだった……! 本当はこんなことしたくないけど、二人のためだからって、一生懸命考えてたの!」


「だったら余計におかしいすよ! なんで俺たちのことを真剣に考えた結果が、こんな別れ方になるんすか……!」


 鳴海に向かって、大声を飛ばす犬山。


 だがすぐに気付く。そんな質問をしたところで、鳴海が答えてくれるはずもないということに。


 犬山が放った声は目的地を見失うように消えていく。


 やがて……。


 犬山は肩をがっくりと落として、階段にそのまま座り込んだ。


 身を守るように膝を抱えて蹲る。


 そして、小さな声で呟いた。




「――それってつまり、俺のことが嫌いだったから、じゃないんですか」


「それはちが――」


「違うと思う」




 鳴海の声に重なる声。


 どこまでも澄んで、綺麗に響いたその声の主は――




「それは違うと思うよ、犬山くん」




 それまで沈黙を貫いていた加納の声だった。


 彼女は鳴海の方を見て小さく笑うと、犬山がいる方に歩み寄って声を掛ける。


「たぶん、小牧さんは犬山君のことを嫌いだったなんてことは無いと思う、わたしは」


「……なんで、そんなこと言い切れるんすか」


「ははっ……。なんで、って言われると、上手く言葉にできないかもだけど」


 乾いた笑いを浮かべる加納に、犬山が怪訝な視線をぶつけている。


 そんなことが言い切れるはずはないんだと、そう思っているかのような眼差しで。


 けれど加納は、それでも。


「――見てきたから」


「……え?」


 戸惑ったような犬山の声。


 加納は小さく笑ってから続ける。


「二人のことを全部知っているわけじゃないけど、それでも少しは二人のことを見てきたから。……見てて思ったよ。きっと二人は、お互いに相手のことを想ってるんだなって」


 一切の濁りを感じさせないその声音に、意識を引きずられていくような感覚を覚える。


 それは鳴海も。たぶん俺も。


 きっと俺たち三人がそう思っていたからで、加納が心の代弁者として映って見えたからだろう。


「――だから、その心配だけは無いと思うかな」


 加納の言葉に、俺も鳴海も力強く頷く。


 そうだ。小牧が犬山のことを嫌っていたなんていうことは絶対にないはずだ。


 彼女は犬山の告白を受け入れている。付き合う前の仲の良さも今までの光景を見ていれば明らかだ。


 犬山も小牧も、互いに尊重し合って、互いに想いを寄せている。そのことだけに変わりはない。それだけが、この状況を打破する真実なのだとしたら……。


 まだ二人には、きっと――




「陽斗くん?」


「…………うぇ?」




 突然、加納に名前を呼ばれた。びっくりして間抜けな声が出てしまった。


「うえ、じゃないよ。陽斗くんはどう思ってるの?」


「……はぁ、俺?」


「そうよ。陽斗くんはどう考えてるの? 犬山くんと小牧さんがこれからどうなるかは、恋愛マスターの陽斗くんにかかってくんだからね?」


「……そうか、確か柳津って恋愛マス」


「おい。変なことを思い出すな。ちげぇから。そんな奴はいねえから」


 慌てて否定したが、そういえば犬山のやつ、俺が恋愛マスターってあだ名付けられてるの知ってたんだっけ。ちくしょう……加納が変なことを言い出すもんだから犬山が余計なことを思い出しちゃったじゃねえか。くっ、許さねえ加納……。絶対にだっ!


「俺の考え……とか言われてもな」


 正直、今回の一件で解決すべきことなんて、何一つない。


 二人は付き合っていたが、諸般の事情で別れてしまった……そんなこと、ごくごくありふれた話であって、第三者である俺たちが口を出すようなことでもない。


 二人の問題と言ってしまえば、それまでの話なんだろう。


 だが、納得していないのだ。


 犬山だけじゃない。きっと鳴海も、加納も。




 ――もちろん、俺も。




「……犬山」




 ――納得していない。だからこそやるべきことがある。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ