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コーヒーの香り

いよいよ部室へ。

 部室の扉を開くと、そこは何の変哲もない教室だった。


 教室としてはやや小さめで、机はおよそ十数ほど。強いて情景を説明するならば、前方に黒板があり後方には掃除用具入れのロッカーがある、と言えるくらい。


 それから部の備品としてあるのだろうか、小さな木製の食器棚が掃除用具入れの隣にぽつんと置かれている。中には数個のマグカップがある。食器棚の隣にはペットボトル入りの水とインスタントコーヒー、それから電気ポット。有名なあっという間にすぐに沸くやつだ。


「そこに座ってくれる?」


 席を勧められたので、一番近い席に座る。


 加納さんはポットに水を入れて、それからコーヒーを淹れる準備をしている。


 五分ほど経って、コーヒーの香りが漂い始めた。豊かな芳香が鼻腔をくすぐり、目の前にマグカップが差し出される。


「はい、どうぞ」


「ああ、どうも」


 軽く会釈をしてカップを受け取る。真っ黒な液面に自分の顔が映っている。


コーヒーを一口啜ると、香ばしい酸味と苦みが口に広がった。


「ああ、うまいなこれ。コーヒーよく知らんけど……」


「ホントに? お口に合ってよかった」


 加納さんは俺の前の席に腰を掛けると、俺の方に向いてニコリと笑った。スマホを机の上に置き、自分のコーヒーを一口飲んでふぅと息を漏らしていた。


その画は様になるというか目を引くというか異彩を放っているというか、なんていうか、オブラートに包むのをやめていいんならもうすげぇドエロで艶めかしかった。


 俺はもう一口コーヒーを口に含む。


なんだかこの先間が持てない気がした。


 残されたコミュ力を絞り切って、こちら側から話を振ってみる。


「そういえば、他の部員は?」


「うーん、実はね。他に部員はいないの。いま恋愛相談部に籍を置いているのは私だけ」


「そうなのか?」


 なるほど、通りで誰もいないわけか。部室に入れば他の部員と顔合わせくらいはあるだろうと構えていたのだが、拍子抜けだったようだ。


 しかし部員が他にいないって、それ大丈夫なのか。部活としてやっていけるのだろうか。


「わたしが先月入った時点で、この部活は部員ゼロだったの」


「はぁ……。それはなんと言うか、すごいな」


 我ながら自分の語彙力に感嘆した。


「そんなんで大丈夫なのか、この部活」


「まぁ部員がいないのは確かにマズいんだけどね」


「だろうな……。大丈夫なのかこの部活。ちゃんと活動してるのかよ」


 俺がそう口走るとガバッと加納さんが立ち上がった。


「ちゃんと活動はしてるよ! ていうか聞いて聞いて! 私一カ月前に入ったばかりなんだけど、この部活って本当に面白くて! わたし中学まで空手とかやってたんだけど、高校からは別の部活をやりたいって思っててね! そんなときに、この部活を見つけたんだよねっ。すごい部活だなって思ってさ。だって恋愛相談の部活だよ! そんな部活他にある? 絶対入ろうって思ったよ!」


「……お、おう」


 い、いきなりよく喋るなこの人……。声もデカいし。


 思わず相槌を打つことを忘れるレベルだった。どんだけ恋愛に飢えてんだよこの人。中学の時、エロゲ部を作ろうとして先生やクラスメイトに白い目で見られた過去を持つ俺でさえちょっと引いたぞ。


「えっと、つまり。加納さんしかいないのか。この部活は」


「うん、そうなるねー」


「……俺を勧誘してるってことだよな?」


「ええー、どうしてそう思うのかなー?」


 そう言うと、加納さんが前かがみになって俺に迫る。その姿勢は胸が強調されて目のやり場に困った。ちなみに言うまでもないが困っただけである。良い眺めだ。


「だってこの部活は部員が加納さんだけなんだろ?」


「そうだねー」


「加えて今日は入部届提出の最終日だし」


「うんうん」


「……もしかして部を存続させるための部員数が足らないんじゃないか? 少なくとも、一人で部を存続させることは難しいだろ」


 俺は部活というものをやったことはないが、アニメやゲームである程度の知識はある。それらによれば、部を存続させるには複数人の部員が最低限必要となるはずだ。さすがに一人で部活をする、なんていうことが認められるとは考えにくい。


 加納さんは「うーん」と可愛いうなり声を上げた後、ぱっと顔を明るくして言った。


「ピンポーン、正解ですっ!」


 両手で大きな丸を作っている。おう……。可愛い……。


「そうなの。この部活は今日までに部員を獲得できないと廃部になっちゃうの」


「今日まで、なのか」


「うん。このままだと、この部活は明日で廃部になる」


 そう言って彼女はまた笑った。


 けれど、今までの笑顔とは明らかに違う。


 ――それは、暗澹たる表情だった。


 物憂げな様子で俺を見据える加納さんがそこにはいた。

俺を見ているようで、どこか遠い彼方をみているかのような。虚ろな目をしていて、悄然としていて、まるで魂が抜かれているかのような。そんな佇まいを、俺は見てしまった。


 そうか、部活が廃部になるということは、そういう事なのかと気づいた。


どんなふざけた名前だろうと、部活は部活である。恋愛相談部もまた、忠節高校の部活としてこれまで頑張ってきたに違いない。俺が知らないだけで、きっと加納さんが入部する前から、たくさんの成果と思い出を残してきたに違いない。


 そんなこととは知らずに、俺は……。


「――そうだっ、せっかくだし『アレ』やろっか?」


「えっ」


 気の抜けた声が漏れた。


 加納さんが明るい声で俺に笑いかけている。いつの間にか話題が変わっていた。


 え、なに。さっきまでのシリアス展開なんだったの。ていうか『アレ』ってなんだよ。


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