春日井美咲の大きな不安
雰囲気やや重めですが……。
「喧嘩にもならない。ただ私が一方的に甘えてるだけ。それなのに……そんな私のことを、ともちーは受け入れてくれて……それが、なんだか……」
「何言ってんだお前」
春日井の言葉をさえぎって、思わずぶっきらぼうな声が漏れてしまう。だって本当に何を言ってるのか分からなかったんで……。どうしたよ急に。
「やっぱり智也とうまくいってないのか?」
「うまくは、いってると思うんだけど」
「じゃあ何が問題なんだ」
春日井の話はどうも要領を得ない。まあ恋愛相談なんて基本そんなもんだが……。むしろ自分の悩んでることが明瞭で筋道立てて説明できる奴は珍しい。そういう奴らは相談せずとも解決策なんて簡単に思い付くだろう。アレだ。恋愛に答えなんてないからね。めいめいが自分なりの恋愛をして悩み抜くほかないのだ。坂口安吾もそう言ってたから間違いない。うん。
「それはその……」
しかしこの場において俺はあくまでも相談役である。彼女の意を汲んで、さらに解決へと導いてやる必要があった。
春日井の落ち込んだ表情を見て、俺は小さくため息をこぼす。
「例えばそうだな……。最近智也に冷たく当たっているお前だけど、あいつはそんなお前を咎めたりはしない。お前はそんな智也の優しさにつけ込んでしまうから、いずれこの先、智也の不満が爆発して別れるようなことがあるかもしれない――とか」
「…………ま、まぁ。そんなとこ」
そう言って春日井は視線を逸らして俯いた。
思いがけない乾いた返事にこちらも呆気にとられてしまう。
「なんだよそれ……。そんなの簡単に解決するだろ……」
「え?」
「お前が智也に対してもっと優しくしてやれば良いじゃねえか」
原因はこいつで、相談者もこいつ。不安を抱えているのもこいつで、解決を望んでいるのもこいつ。……こんなに簡単な恋愛相談は無い。
他に、解決策もクソもないのである。
「それは、分かってるけど――」
――そこで春日井の言葉が詰まる。
教室は沈黙に飲まれて、少しだけ張り詰めた空気をしている。
震えた言葉の続きを待ったが、やってくることはなかった。
俯いている春日井の表情は良く見えない。
分かってるけど……できない、とでも言いたかったのだろうか。
「なんかあったのか……?」
「なにも、ない……。たぶん、私が……、いや……」
そう言って春日井はゆっくりと顔を上げる。視線が合い、俺は春日井のほとんど泣きそうな顔を見てしまう。その表情に、思わずびくっとなる。
「全部分かってるよ……。あの日以来、ともちーが悪いわけじゃなかったって。私の勘違いだったって。全部、全部全部、分かってる。私は弱いから……分かってるはずなのに、頭ではわかってるはずなのに、心が……、分かってくれない」
ところどころ掠れて消えてしまいそうな声だ。
だがその言葉の一言一句すべてが重く響いてくるみたいに聞こえ、彼女の言葉を聞き逃すことだけは無かった。
「分かってるんだよ……。ともちーは悪くないの。悪くない。でも、それでも……許せなかった。簡単に許しちゃダメだと思った……。ともちーに振り向いてほしくて……あんなに優しくしてくれて、甘えちゃって――悪いのは私だ」
拳をぎゅっと握りしめ、唇を固く噛み締めた春日井。紡がれた言葉の最後は自分で決めつけるかのように強いトーンで言い放たれる。
悔しさを滲ませたその瞳からは一縷の涙が頬を伝い、喉を鳴らし、呼吸を荒げ、そしてその表情は少しずつ崩れていく。
春日井が何を思い、何を感じ、何を許せないのか。
そのすべてを理解するには、俺と彼女の関係はあまりにも希薄だ。
空気が固まり、再びしんと静まり返ったこの部屋。
秒針が刻む律動と、空調が思い出したかのように出力を上げる音だけが聞こえる。
声を出すことも、それから彼女にかけるべき言葉を探すことも忘れて、俺は春日井の様子をただ見ていることしかできない。
グラウンドの方からは男子たちの叫び声が聞こえてくる。そういえば今は確かサッカー部が昼の練習をしているとか言っていた、な。
その声が智也のものだったかどうか、俺には分からない。
――なんだってんだよ。
視線を落とし、机の上に置かれた弁当箱に目をやる。
もう昼休みはとっくに終盤を迎えている。いまさら弁当を食べ始めたところで、午後の授業には間に合わないだろう。
「…………」
自分に問う。
春日井の相談に対する答えを、俺は用意できるのだろうか。
彼女が何に悩み、何に苦しみ、何を求めているのか。
俺を頼ってくれた春日井のために、俺ができることとは何だろうか。
かけるべき言葉は何だろうか。
――分からない。
「………………」
いや、そうではない。きっとかけるべき言葉はもう用意されているのだ。
もう分かっている、本当は。
春日井だってその言葉が欲しくてここへやって来たのかもしれない。二人の関係を保証してくれる誰かの言葉を、待っていたのかもしれない。
そしてその言葉をかけてあげることは、どうしようもなく正しくて、これっぽちも間違いなんかじゃなくて。
ただ後は『大丈夫だ』と声を掛けるだけでいいはずなのだ。
――でも、そんな根拠なんてどこにもなかった。
無責任に安心を与えて、ただ彼女の求めている言葉をかけてやるだなんて、それこそ恋愛相談として最も唾棄すべき無意味な助言だ。
それは春日井の言葉を借りるなら、『甘え』でしかない。
ただの希望的観測で、ただの根拠のない戯言だ。
春日井の不安を取り除くだけの根拠を、俺は持ち合わせていない。
だから、俺は――
「…………あ」
スマートフォンが震えたのは、そのときだった。




