乙女チックラブコメには程遠い
こんな奴とのデートなんて想像するだけで反吐が出るが、やるしかない。
幸い俺がこれまでにプレイしてきたギャルゲー、エロゲーは数知れない。その中のイベントで水族館デートを扱っているものだけを脳内再生で振り返っていく。
つまるところ、陰キャ童貞キモオタの三連単である俺がマトモなデートでマトモなセリフを口にできるはずもないので、今日もギャルゲー先生方のお力添えを賜る所存だ。
とはいえ、加納がこの場面で何を言うか分かったものじゃない。
加納は見た目こそ二次元にも負けない超一級のヒロインだが、内面はゴミクソなのでこいつとの会話には大きな不安がある。会話の主導権を握られてしまえば券売機の時みたいにこいつに翻弄されて終いだろう。つまり、このシミュレーション成功のカギは如何に俺が会話の主導権を握れるかにある。
――ここは先にジャブを打っておこう。
「ここの魚、なんかキレイだな」
「そうだねー」
そう言って加納は水槽の方に目をやる。魚たちが光を浴びてキラキラと輝いていた。
男女が二人で水族館。雰囲気としては申し分ない。
拳に力を入れる。おーけー。先手必勝、言うなら今だ。
「いや、お前の方がキレイ、だけどな」
「――っ?」
明らかに俺の言葉にたじろいだ加納。はい。決まった。決まりました。くくっ……、みんなー、決まりましたよー? これが水族館と花畑と夜景と星空を見に行くときにのみ使用が許される一撃必殺の常套句、『キミの方がキレイだよ』。
これを食らったギャルゲーヒロインたちは皆、頬を赤らめて照れたりちょっと嬉しそうな顔でにやけて見たり『バッカじゃないの?』とか言うくせに背中を向けて実はニヤニヤしたりしているのだっ!(俺調べ)
「…………」
くくっ……、不意打ちを食らってさすがに言葉も出ないみたいだ……。最初に繰り出す攻撃としては十分な威力だ。恋愛経験ゼロの加納には堪えるに違いない……。よし。ここは隙を与えず畳みかけてやろう。
加納の肩に手を置き、向かい合う。
マリンブルーの光が俺たち二人を照らす。加納の顔がほのかに赤らんでいるのが見えた。
視線がぶつかる。若干の恥ずかしさは覚悟の上だ。絶対に逸らさない。
時至れりと、俺は用意していた言葉を口にした。
「君のことを、本気で俺は好きなんだ」
「…………」
「たとえ世界中が君の敵になったとしても、俺だけは君のそばに居続ける」
「…………」
「……結婚しよう。琴葉」
「…………」
「…………ん?」
「…………」
「…………おい、なんか言えよ」
加納と俺の視線は合っている。そして彼女はいつもの天使みたいに可愛い笑顔で笑っている……。笑っているのだが……、なぜか俺への返事は無い。
おいどうした加納。さすがに照れ過ぎじゃないだろうか。
いくら恋愛経験が無いからって、挨拶代わりの今のジャブでそこまでフリーズするだろうか? いやまあ俺の『結婚しよう』ってのも突然だったからそりゃびっくりはするだろうが……。これくらいの台詞は乗り越えてもらわないと困るんだけ――痛い痛い痛い足が痛痛痛痛痛っ!?
「…………陽斗くん?」
声音は明るいが芯のある加納の声。激痛が走っている足元に目をやる。
――加納のヒールの先が、面白いくらい俺の足にめり込んでいた。
「………そんなに嬉しいこと言ってくれるなんて、私照れちゃうよー?」
「――ん、ん、んげぁ……!」
およそ人が出してはいけないような声が漏れる。なんとか絶叫することだけは耐えて鳴海たちの方を見た。幸か不幸か、水族館の照明によってその場は仄暗い空間だ。みんなは俺が足を踏みつけられていることには気付いていないようだった。
つーかなんだよこれ……! めちゃくちゃ痛いんだけど!?
「ホント……、(陽斗君が)死んでもいいわよねっ」
加納の言うそれは、かの有名な『月がキレイですね』に対する定番のお決まり文句だった。一点だけ違うところがあるとすれば、死んでもいいのが加納ではなく俺になっているところだ。
「…………いいから、はっ、放してくれっ」
小さくほとんど掠れた声で懇願するとなんとか加納は足を放してくれた。これがチャンキーヒールではなく、ハイヒールみたいな凶器で行われていたらと思うと冷や汗が止まらない。
加納はそんな俺の姿を見て、そして足元の方を見てはクスクスと笑っていた。傍から見たらただの可愛い美少女だが、俺視点では人の足元を見てゲスな笑みを浮かべる最低最悪の悪魔にしか見えなかった。
もうほとんど泣きそうになっていると、犬山と小牧がこっちに近付いてきた。……ヤバい。もしかして今のはさすがにバレたか?
「ど、どうした……お前ら?」
「いやー、今のはビビッと来たわ! キザすぎて絶対にナシな台詞かと思ってたけど、こういう場所だと案外アリなんだな!」
「私も驚いたよー。ちょっと恥ずかしいけど……、でも、一度は言われてみたい、みたいな? こういう感じもアリなんだなーって」
「……おいマジかよ」
まさかの。まさかの絶賛だった。
犬山は俺に称賛の言葉をかけるや否や、持ってきたメモ帳につらつらと筆を走らせていた。いやだからメモはおかしいだろ。どこにメモる要素があったんだよ今の。
俺が絶句していると加納は口元に手を当てて微笑を浮かべていた。
「やっぱり陽斗くんは褒め上手だよねっ」
「……そういうお前は踏み上手だったな」
「何を言ってるのー、陽斗くん? ふふっ、陽斗くんはやっぱり面白いねー?」
うふふと可愛らしい笑い声で白を切る加納。マジでこいつの秘密を暴露してやりたい。あの音声データさえなければなぁ……。
「なんとなく、二人のおかげで方針が見えてきたかもっす!」
犬山が嬉しそうな様子でそう叫ぶ。
「……そうですか。そりゃ良かったな。とりあえず、そのメモ帳こっちによこせ。捨ててきてやるから」
「え、なんで!?」
頓狂な声を上げる犬山を尻目に俺はため息をついた。どうせあのメモ帳にはろくなことが書かれていないのだ。普段の授業で俺がとってるノートくらい意味が無いと思う。
やれやれと頭を掻いていると、鳴海がこちらをじっと見ているのに気付いた。
「どした?」
「……柳津くん、大丈夫?」
「え?」
「足、すごい痛そうだったけど……?」
「あ、ああ……。気付いてたのか」
「さすがに、ね? 陽菜ちゃんたちは気付いて無いみたいだけど」
まあ一カ月以上俺たちと過ごしている鳴海だったら、嫌でも表情とかで分かるんだろうな……。うん……。てか一カ月以上過ごしてるとか関係なしに気付いてほしいけどね。むしろなんで犬山と小牧は気付いてねえんだよ。普通気付くだろ。
踏まれた右足を動かしてみる。痛みはまだあるが歩けないほどじゃない。普段の鉄拳に比べたらマシな方だ。
「でも、今のは柳津くんの方もダメだと思うよ?」
「え?」
突然の鳴海の言葉に、思わず腑抜けた声が漏れた。
「だって、柳津くん、どう見てもふざけた感じで言ってたじゃない?」
「……それはまぁ。だって相手は加納だし」
なんなら初手暴言でも良かったかもしれない。むしろ暴力の方が良かったまである。
だが、鳴海はそんな俺の考え方を一蹴した。
「本当に付き合ってるわけじゃないし、二人の仲はあんまり良くないかもしれないけど……、それでも、ああいうときはちゃんと、ことちゃんのことを大事に思ってあげなくちゃ」
「んん……」
唸り声を上げる俺に、鳴海は小さく笑って付け足す。
「もちろん、恥ずかしい言葉は言えないかもだけど。でも、きっとことちゃんだって待ってたはずだよ? 柳津くんが自分のこと、どんな風に褒めてくれるんだろうかなって」
「……そうか? とてもあいつがそんな乙女チックな奴には見えないんだが」
むしろサディスチックでドメスチックでエロチックにしか見えない。……乙女チックって死語だよなぁもう。
「ふふっ……、そんなことないよ? ことちゃんは結構ロマンチックだよ?」
「そ、そうか……。え、そうなのか?」
俺の懐疑的な返事に、鳴海はまた小さく笑った。
でもそうか。鳴海が言うのならそうなのかもしれない……。鳴海の言うことすべてを鵜呑みにするわけじゃないが、彼女の言うように、あいつだって一人の女の子だということなんだろう。加納だって、きっと誰かと恋をするんだろうし。
そういう場面だとして、仮にその場面がふざけた演技で作られた嘘だと分かっていたとしても、そりゃ思うこと一つくらい出てくるわけで……。まぁなんだ。今のは俺が悪かった、ってことだ。
鳴海はきっと、俺以上に加納のことを知っている。俺があいつのことを分かってやれなくても、きっと鳴海は彼女を分かってやれる。――そんな気がした。
まあアレだ。こういうのはさっさと謝ってしまうのがいい。湿っぽいのは嫌いだし。水族館だからきっと湿度とかも高いし、長引くとどんどん拗らせてしまう気がした。
加納の方へと歩みを進める。
「よっ……、さっきは悪かったな」
あんまり真面目な謝罪もどうかと思うので、これくらいでちょうどいいはずだ。
最低限で簡潔な、謝罪。……返事を待った。
加納は小さくため息をこぼして、それからにっこりと笑って口を開く。
「ううん、全然っ。というか怒ってないよ?」
「そうか……、なんだ、それなら良かっ――おい、それは嘘だろ。さすがに嘘。お前めちゃくちゃ俺の足踏んでたからね?」
「そうだったかなー? ていうかあの場面で陽斗くんに結婚とか言われてもー、ちょっと何言ってるのか分からないしー? ぶっちゃけキモかったし」
「…………あそうですか」
はい、前言撤回。こいつやっぱ乙女チックでも何でもねえ。
どう考えてもこんな奴に恋とかできるわけがないし、俺が意を汲んでやる必要も無い。いや、マジで。今までもそうだったはずだ。そしてその度に思い知らされた。――こいつはゴリラ。もはや、うほっうほっとか言っておけばいいまである。
「お前な……」
「えへへっ」
超絶可愛いその横顔を殴りてぇと思いながら、俺は盛大にため息をこぼすのだった。