ハニートラップ
完璧少女と陰キャ。
「どうしたの?」
「いや、なんでもないっす、ちょっと不整脈が出ただけで……」
「本当にどうしたの!?」
加納さんが心配そうに俺の顔を覗き込む。近い近い。不整脈が悪化するだろうが。
「本当に大丈夫だから。あ、それより! 加納さんはどうしてここに?」
「? もしかして私のこと知っているの?」
「知ってるというか、加納さん有名人だから」
「えぇ、そんなことないよー、ふふっ」
照れくさそうに笑う加納さん。その笑顔で何人の男を殺してきたんですか?
「わたしってそんなに有名かなぁ?」
「まぁ、そうだな。少なくとも加納さんを知らない人を探す方が難しいくらいには」
「なんだか、照れちゃうなぁ。別にわたし何もしてないよ……?」
そうして声のトーンを落とす加納さんだったが、表情は決して陰った様子ではない。案外まんざらでもないのだろう。まあ有名っていうだけで悪い気はしないだろうし、彼女自身それを受け入れられるなら何も問題はない。
これだけ顔が可愛くて、勉強もスポーツもできて、みんなからは慕われていれば、さぞや楽しい人生を送っているに違いない。なんだか引け目を感じてしまう。別に彼女と自分を比べる意味なんて無いのだが。
「そうだ! 柳津くんって今ヒマだよね?」
「え」
ちょっとナーバスな気分になっていると、明るい声が全てをぶっ飛ばすかのように俺の意識を旋回させた。なぜだか分からないが、俺が暇だということが見破られている。
突然の言葉に面食らっていると、加納さんがにこりと笑って告げた。
「もしかして、このあと用事あったりする?」
なん、だと……。
学校一の美少女が、俺のことを誘っているのか……? 嘘だろ、おい。
もしかして、という接続詞が一瞬引っかかったが今は気にしないでおく。
「……いや、一応ないけど」
一応どころか全力でこの後の予定はない。陰キャの放課後をナメてもらっちゃ困る。
俺がそう言うと、加納さんは嬉しそうに笑った。
「やった!」
その姿を見ていると、俺の方までほっこりしてしまう。なるほど、こんなに可愛くて、こんなに純粋で、こんなに元気いっぱいな少女……。それが加納さんなのか。なんだか噂に聞く彼女の人気の理由が分かったような気がした。
「えっと、どこかへ行くのか?」
「うん、それなんだけどね!」
加納さんがぐっと俺に詰め寄った。この人にはパーソナルスペースというものが無いのだろうか。また不整脈がやってくる。マジで距離が近い。体と体が触れそうだ。あと顔近づけんな顔。なんなの、俺を誘ってんの?
予想外のラブコメ展開。もはやお約束みたいな展開だ。理系的に言うなら自然数nに対してn番煎じくらいされている展開。……まあ、せっかくのお誘いなのでここは乗るとしよう。もしかしたらこの後ドエロい展開になるかも分からん。この先は十八歳以上しか見ちゃダメだからな!
……なんて死ぬほど下らないことを考えていた時である。
俺の考えは杞憂に終わることとなる。
「恋愛相談部って知ってる?」
「……恋愛相談部、だと」
呟いて思惟する。恋愛相談部。どこかで聞いたことのある言葉だ、と一瞬思ったが思い出すのに一秒とかからなかった。
恋愛相談部って、アレじゃん……。ヤバい部活じゃん。
「自己紹介が遅れたね。私は加納琴葉。恋愛相談部に入ってるの」
いつの間にか不整脈は止んでいた。むしろ血の気がさーっと引いていく感覚に襲われている。……え、この人恋愛相談部なの。
イヤな予感がした。
「へぇ、そ、そうなんだ」
「それでね。もし柳津くんが良ければなんだけど……」
加納さんがなんかもじもじし始めた。この先の展開はさすがの俺でも読める。
俺はどこぞやの鈍感ラノベ主人公とは違う。むしろそういう先読みは得意まである。これはアレだろう。なんかソワソワしているけど、実は告白でもなんでもないことを言われるやつだ。ていうか普通に恋愛相談部に勧誘されてるだけだこれ。
だが、しかし。
待ってほしい。結論を出すにはあまりにも早計だ。まだ望みはある。
ワンチャン、このまま『わたしと付き合ってくれないかな?』と告白されて、俺もその告白を受け入れてハッピーエンド、という流れがあるかもしれない。いや、エロゲ―だったら間違いない王道の展開である。ワンチャンどころかフルチャンである。ちなみにそのあとはめちゃくちゃセッ―
「……恋愛相談部に遊びに来てくれないかな?」
「ですよね」
「ですよね?」
いや、まあね、分かってたけどね。
期待しちゃうよね。女の子がなんか意味ありげにソワソワしていたら。ちくしょう、純情な男心を弄んだ罪は重いぞ!
しかしあの加納琴葉が恋愛相談部に所属していたとは……。意外である。偏見だが野球部かなんかのマネージャーをしているのかと思っていた。本当に偏見だけど。
まあ恋愛経験が多い人はそういう相談の相手として有用なのだろう。察するに加納さんは恋愛経験豊富だろうし、何よりこの見てくれである。相談者が大勢いても驚きはしない。
恋愛相談部、か。なんだかきな臭い感じがしなくもないが。
しかし目の前には学校一の美少女。そんな彼女が俺に部室に来てくれというのだ。これだけは燦然たる事実。
入部届提出まであと一時間弱はある。
「まぁ、行くだけなら」
それ以上の思考は為されず、口から肯定の意が漏れた。
「ホントに? やった!」
加納さんは飛び跳ねるようにしてすごい喜んでいる。
そんな彼女の姿を見て、ふと、思った。
……なぜ加納さんは、見ず知らずの男を呼んで、こんなにも喜べるのだろうか?
俺と加納さんは初対面。今しがた出会ったばかりの赤の他人。そんな俺を部活に誘うってことは……どういう。
待てよ。もしかしてハニートラップでも仕掛けているのだろうか。
例えば明らかに童貞臭い男子をこうやって勧誘し、部活に連れ出したところで高い壺を買わせる的な? あるいは弄り甲斐のありそうな童貞臭い男子を弄んでるだけ、とか? おいどんだけ俺は童貞臭いんだよ。
いやいや。さすがにそれはないだろ。俺なんかを騙してどうするってんだ。自慢じゃないが、俺は陰キャの中でもクラスメイトから揶揄われることすら少ない正真正銘のド陰キャだぞ。……本当に自慢にもならない。
「じゃあ部室はここを上がったところだから、行こう?」
いや待て。待つんだ柳津陽斗。冷静に考えたらおかしな話だ。彼女と俺は面識なし。加納さんが俺に部室へ行こうと誘うこと自体まず疑ってかかるべき事案である。何が目的で彼女は俺を部室に誘うんだ……?
それにあの『恋愛相談部』である。何か裏のある話に違いない。どう考えてもおかしいではないか。―言え。言うんだ。『何を企んでいるんだっ!』と声高らかにっ……!
「じゃあ行こっか」
「お手柔らかにお願いします!」
「え、あ、うん……。何を?」
んー。もうハニートラップでもなんでもいいや。こんな可愛い女の子に呼ばれたら行かない方が罰が当たるというもの。……いやぁまったく、モテる男はつらいぜ。
加納さんとエロい展開起こらないかなぁとか思いながら、俺は階段を上がっている途中で盛大に転んだ。