妹ほど距離感のつかめない奴はいない
主人公に幼なじみはいませんが、妹は……。
家に着いたのは午後六時ごろだった。
玄関に入ると、革靴が無造作に転がっているのを見る。他の靴がきちんと揃えられているのもあって、それは妙な存在感を放って俺の目に飛び込んできた。
――さて、これは誰の靴か。
容疑者は三人。親父と母親と、それから『あいつ』だ。
親父はグレー寄りのブラック企業に勤める一般的なサラリーマンである。この時間に帰ってくることはめったにないし、そもそもこんな革靴を履いたりはしていない。母親も今日は遅くまでパートがあると言っていたし、こんなデタラメに靴を脱いだりするような性格でもないので可能性は低いだろう。
「ということは、あいつだな……」
端から分かっていたが一応の確認だ。
俺は自分の靴と一緒にその靴も揃えてやると、そのままリビングの方へと向かった。部屋には明かりがついている。
ドアノブに手をかけると、建付けが悪いのかギギギっと断末魔を上げながら扉は開かれる。
――目の前に一人の少女。
そいつはソファに寝転んで、録画していたコント番組を見ていた。
華奢な身体と不機嫌そうな表情。バラエティを見ているにもかかわらず口元はへの字に曲がっていて、なぜだか近づき難いオーラを感じる。
彼女はセミロングの髪を手でかき上げると、俺の視線に気付いたのかびくっとした様子でこちらへと振り返る。
視線が合う。
彼女の名前は柳津遥香。中学三年生の俺の妹である。
決して義妹だとか血が繋がっていないだとかロボットでした! とか、そういうラノベ的妹では全然ない。正真正銘、同じ腹から産まれた血の繋がった妹である。
そして備考。こいつはまったく可愛くない。
いや、傍から見たら可愛いのかもしれないが、身内の俺から見たら可愛い要素なんて一つも無いということだ。追記事項としてクソガキであることをここに記しておこう。
「……ただいま」
「…………」
視線は合っているのに返事はない。なにこれ。これがリアル既読無視?
遥香はなんだか不機嫌そうな顔をしていた。げっ、帰ってきやがった……みたいなことを思ってそうだ。まあいつものことである。
遥香が俺のことを邪険にするのはむしろ日常風景であり、最近はこいつとロクな会話すらしていない。たぶんアレだ。思春期ってやつだと思う。うん。だから気にしない、気にしない。そう思って踵を返そうと思った時にようやく、
「………ん」
そう言って彼女はテレビの方へと視線を変える。どうやら今のは俺の挨拶を返してくれた言葉だったようだ。……ていうか時差ありすぎだ。お前ブラジルにでもいんのかよ。あと「ん」ってなんだよ。ん、って。撥音だけ出すな、撥音だけ。
「お前、今日父さんたち帰ってくる時間とか聞いてる?」
「…………」
「…………おい」
「聞いてないよっ、うるさいなぁ」
その言葉を聞いて、俺の眉がぴくりと吊り上がる。
いくら兄妹だからといっても、親しき中にも礼儀あり、という。
毎回毎回のこの態度。いい加減俺とて堪忍袋の緒が切れそうになってしまう。普段は温厚で冷静沈着と名高い俺とて助走をつけて殴りたいレベル。
だが、落ち着け。落ち着くんだ俺。リアルな妹なんて所詮こんなもんだろう。ラブコメにおいて妹の存在はほぼ絶対条件として扱われている節があるが、アレは所詮虚構に過ぎないのだ。
リアルな妹なんてまともに口すら聞かない。一番近い存在であっても、どこか距離感がつかめない存在でもあるからだ。
だからここは年上で大人な対応として、もとい兄として、彼女にかける言葉がある。
俺は吊り上がった眉をそのまま引きつらせて口を開いた。
「はぁ? 普通のこと聞いただけだろ!」
そうだ……。兄として妹の無礼な態度は許せない。もちろん俺が感情に任せてキレているわけではない。これは教育的指導……ホ、ホントだよ?
「何キレちゃってんの……? キモいんだけど……」
落ち着いた様子でキモい扱いされてしまった。シンプルにそういうのは身内でも傷つく。くっそ、なんだこいつ……。やっぱり妹ってクソじゃねえか。
「俺は……。夜ご飯いつにするかって意味で聞いたんだよ……」
「…………あっそ」
相変わらず可愛くない妹である。まあ妹のこと可愛いと思っちゃうのもどうかと思うが。
「はぁ……。まったくお前な」
俺の妹がこんなに可愛くないわけがない、とか思いながら俺はキッチンの方へ向かう。こいつと話していると頭痛が頻発する。もう距離とろう距離。
キッチンと言えば話は変わるが、柳津家では先述の通り両親が共働きである。親父もそうだが母親も夜遅くまで仕事することが多いので、平日は基本的に夕飯を俺か遥香が用意する。故に俺と遥香の交代制で、夕飯の準備が為される。
だが最近は、俺が夕飯を作ることが多い。
というのも、最近遥香は『クラスの子』とご飯を食べに行ってしまうことが多いからだ。
クラスの子――無論、それは男子のことで、というかぶっちゃけ彼氏のことである。
こういうイマドキの女子中学生というのは、目を離した隙に色々と事が済んでいることが多い。いつもはぶっきらぼうで冴えない顔しているくせに、ちゃっかりやるべきことはやっているのである。ああもちろん、付き合う的な意味で。
金曜日なんて『華金だから』とかワケの分からないことを言っては家を飛び出していく始末だ。お前はOLかよ。
彼氏ができてから、遥香は家で夕飯を食べることがますます少なくなった。両親は心配して『クラスの子』が不良なんじゃないかとか夜遅くまで遊んでいるのはけしからんだとか言うが、事はそんなレベルではなく、ただ男女の逢瀬というだけの話である。
まあ遥香から言う話でもないし、薄々気付いている俺から言うことでもない。
別に妹がどこで宜しくやってようが知ったことではない。無論兄としての心配はあるが、ただ彼氏とご飯食べて夜遅くなりましたって言うだけの話なら、こちらから言うことも無いだろう。
そんなことを思いつつ、俺は冷蔵庫を開けて適当に食材を漁る。
「んで、お前は今日どうすんの。飯食うの?」
「…………んん」
いや、『んん』じゃ分かんねえって。どっちだよ。
「……食べる」
「そうですか……。じゃあ四人分か」
冷蔵庫の中にあった目ぼしい食材といえば、豚バラと適当な野菜が少し。ふん……。今日はなんか疲れたし、料理をする気も起きないから、テキトーに冷しゃぶにすればいいか。
そんなことを考えながら水を入れた鍋に火をつける。そして、ふと気付く。
「今日って金曜日だよな……?」
なんてことはない。今日は金曜日だ。金曜日だから今日はカレー、みたいな海軍的ルールがもちろん柳津家にあるわけではない。
違和感はそこではなく、眼前で寝そべっている妹の方にある。
金曜日といえば華金。華金といえば『遥香が彼氏とデート』だ。だが遥香はリビングで退屈そうに寝そべっている。……となると、なんでこいつはここにいるのか。
「お前、今日出かけないの?」
「……うん」
「飯、外で食ってかないの?」
「……うん」
「金曜日なのに?」
「…………うん」
「金曜日はいつも彼氏とデートするんじゃ――」
「――ああもう、うるさいって!」
痺れを切らしたのか、遥香が大声を上げる。
俺の方へと詰め寄ると、語気を荒げて怒りを露わにする。
「なにっ? なんか問題でもあるわけ!?」
「いや、ねえけどさ……」
遥香の視線が俺に突き刺さる。ただでさえ不機嫌そうな表情だ。こいつが怒っているときの視線は刃物よりも鋭い。
ていうかなんでこいつはこんなにカリカリしているのだろうか。顔も真っ赤にしちゃって。なんなの。カリカリ梅なの?
「だいたい兄ちゃんには関係ない話だよ」
「お、おう……。そうか……」
そう言って遥香は俺をギロッと睨みつけると、ぷんすかと怒ったままリビングを出て行ってしまった。
残された俺。束の間にぐつぐつと鍋が煮え始める。
世界が止まってしまったかのように、部屋には静寂が訪れていた。
「俺、なんか悪いこと言ったか……?」
分からん。分からんが無礼を働いたのは俺の方だったようだ。
――親しき中にも礼儀あり、という。
妹との生活、実に十五年。これだけ長い時間を過ごしても、あいつのことだけは未だにさっぱり分からない。
本当に、近くて遠い存在である。妹なんていうのは。




