デートの終わり
デートの最終目的地、駅前の公園。
以前、先輩の浮気現場を目撃してしまったあの場所である。
この場所がデートの締めになっている理由。それはなんでも、鳴海本人の希望だという。
――時刻は午後七時を回っている。
公園の隅の、ベンチが並んでいる休憩場所に、鳴海と先輩は座っていた。
静かだった。
近くに車道も無ければ、人の気配もほとんどない。
だから、二人の声は近くの茂みに隠れている俺たちにもよく聞こえた。
『今日は楽しかったね!』
『ああ。莉緒ちゃんのこと、改めて好きになったよ』
そんな台詞を吐いた割には照れ笑いを浮かべている先輩。
『先輩と次はどこ行きましょっかー』
『旅行とかしたいよね。温泉とか』
『あーいいですねっ』
そう言って立ち上がった鳴海。ニコニコと可愛らしい笑顔で、先輩と顔を近づけた。
『先輩となら、きっと楽しい旅行になりますっ!』
明るく澄んだ声が、突き抜けるように響いた。
誰もが思うに違いない。あんな仲の良いカップルは微笑ましいと。
小さな温かい風が吹き抜けて、茂みが大げさに揺れた。
葉擦れの音が鳴っている。
――先輩が、鳴海の両肩に手を置いた。
息を呑む。
『好きだよ。莉緒ちゃん……』
次に何が起きるのか、誰にだって容易に想像できる。
静かな公園で彼らに干渉する者はない。ただ時間だけが過ぎていく。
緊張を覚える。
鳴海はほとんど動かない。彼女の瞳は先輩の瞳に吸い込まれているかのようだ。
二人の距離は徐々に近くなる。
たぶん、お互いの吐息が肌に触れてしまうくらいに、近い。
そんな近すぎる距離に迫って――
『……ごめんなさい』
冷徹で、非情で。
無慈悲な声がした。
『――え?』
『ごめんなさい先輩。もう終わりにしましょう』
息をすることさえ慎重になる。重く静まり返った空気。
気付けば鳴海は、先輩から二、三歩距離を取ったところで静かな声色を奏でていた。
『終わりってどういう?』
『終わりは終わりです。……別れましょう』
『え、ええ……、ちょっと待って。意味わかんないよっ?』
慌てたような声で一歩を進める先輩。それに合わせて、鳴海が一歩後ずさる。
その行為の意味を考えるだけの時間は、次の台詞までには十分にあった。
『別れたいんです、先輩』
突きつけられた言葉。あまりにも冷たくて刺さるような刺々しさを持っている。
『な、なんで……?』
『理由は二つあります』
鳴海は小さくため息をつき、先輩の顔をじっと見つめていた。
『一つは、先輩が私に隠れて、別の女性と会っていたという話です』
『――っ!?』
瞬間、先輩の表情が、焦燥の表情から驚きと困惑の表情に変わる。
『なんでそれを……あっ、いや……それは……』
取り繕う余裕さえ無いのだろう。先輩は何度も声にならない否定を繰り返す。
が、語るに落ちている。
その姿を見て鳴海は取り澄ました表情で続ける。
『そして二つ目ですが……』
わずかな沈黙。鳴海は魂を吐き出すかのような吐息のあとに、ゆっくりと告げる。
『先輩が、私のことを、好きじゃないから、です』
『…………? いや、俺は莉緒ちゃんのこと本気で好き――』
『好きじゃないですよ、私のことなんて』
鳴海は言い切った。それは先輩に有無をも言わせない気迫だった。
『…………どうして』
『私は今日、先輩のために、先輩の好みに合わせた接し方をしました。先輩のことを振り向かせたくて、今日はわざとこんな格好までしました。でも……、本当は振り向いてほしくなかったんです』
『は?』
先輩の頓馬な声が漏れる。
鳴海は自嘲気味に小さく笑みを浮かべると、スカートをゆっくりと摩りながら言った。
『だって、そうじゃないですか? 今日の私を好きになってくれるってことは、今までの私を好きじゃなかったって言っているのと同じですよ』
『いや、そんなことは無い! 今日の莉緒ちゃんは特に可愛くて――』
『――じゃあなんで浮気したんですか』
『それは……。その……』
そう言ったきり、先輩は黙りこくってしまう。
『…………否定しないんですね。先輩』
視線を落とした鳴海が、小さな声で呟く。
――陽がだんだんと沈み始める。
いつの間にか琥珀色の夕空はコントラストを失って、藍色の空へと変わっていく。
公園の街灯が思い出したかのように灯り始めた。
風が何度も吹き抜けるが、それからしばらく声を運んでくることは無い。
二人は向き合うようにして互いに押し黙り、視線を合わせるばかりだ。
『――つまり』
次に声を上げたのは、西春先輩の方だった。
低く重い声色に、鳴海の肩がぴくりと動く。
『最初から全部分かって、今日はやってたのか……?』
『……はい』
『その格好も、喋り方も、仕草も態度も全部、演技だったのか……?』
『……はい』
『……全部知ってて?』
震えた先輩の声。俯く鳴海。張り詰める空気。
長い時間をかけて、言葉を押し出すようにして、鳴海は口を開き、
『…………はい』
『――くっ!』
そして次の瞬間――
西春先輩は、鳴海莉緒を突き飛ばしていた。