かぐや作戦
そう前置きして、俺はごく最近あったあるエピソードを話す。
「彼氏が浮気したと思っていたある女子がいてだな。それはただの勘違いだったんだが、誤解が解ける前、その女子は俺たちに、悔しそうに、こう言ったんだ。恋愛っていうのは惚れたら負けなんだってな」
「……はぁ」
何の脈略も無しに突然放たれたエピソード。ふと智也の方を見てみると彼は苦い顔をして笑っていた。さすがに誰のエピソードか分かってるみたいだな。
「そして俺は思ったんだ。果たして本当にそうなのかって。……だってそうだろ? 惚れたら負けって、いったいなんだよって話だ。そんなこと考えてるのはかぐや様だけだ」
はい、ここ笑うポイントですよーと思って周りを見渡すと全員眉をひそめていた。……嘘でしょキミたち。もしかしてあの漫画知らんとですか。同じ日本生まれなのにカルチャーショック受けたんだけど。
「……それで、結局何が言いたかったの?」
痺れを切らした加納がちょっとキレ気味な声でそう言った。もはや白い目を通り越して彼女の目は白目になりつつあった。妖怪かお前は。
「つまりだな。負けを認めるのはおかしいだろって話だ」
「負け、って。そんなこと思ってないよ」
「本当か? 今の鳴海を見ていると、俺には負けを認めているようにしか見えないけどな」
「そんなこと……ない」
「いや俺にはそう見える。……お前は負けを認めてる」
「……っ!」
瞬間、身体のバランスが崩れたかと思うと、鳴海が俺の胸ぐらをつかんでいた。
鳴海の手は、震えていた。
「何よ何よそれっ……! そんなわけないじゃない! 私は負けてなんかないっ!」
「…………」
魂の底から出たような声が、胸の底にまで響く。鳴海はほとんど泣きそうになっていて身体も声も震えている。
「ちょっと鳴海ちゃん落ち着いてっ……」
「いいんだ加納。このままで」
「いやでもっ……」
心配そうな声を出す加納を横目に、俺は鳴海の手をゆっくりと取り払う。
俯いている鳴海に、声をかける。
「悲しい気持ちは分かるし、怒りたい気持ちも分かる。俺たちは分かってやれるつもりだ。だからこそ、このままで終わりたくないっていう気持ちも分かってる」
「そんな……こと……」
「いや違う。このままでいいはずがないだろ。そんなこと、他でもない鳴海が思ってることだ。俺たちが分かってやれないほどに、鳴海はずっと苦しんでいたはずだ」
このまま先輩とどうやって接していけばいいのか、鳴海はきっと悩んでいたはずだ。
一日をかけて、悩んで、悩んで、悩み抜いて。
辛くて、苦しくて、キツかったに違いない。このままでいいなんて思っているはずがない。
だから鳴海はここへ来た。この場所に。
だからこそ。例え分かったような口をきくなと言われようとも、俺たちには鳴海を手助けする責務があるはずだ。
「俺たちが鳴海と先輩の恋愛をサポートする。そこに変わりはない」
鳴海は精いっぱい頑張ったのだから。
「鳴海。恋愛相談を始めよう」
――次は俺たちが支える番だ。
「…………うん」
静かにゆっくりと。けれど力強く。
鳴海は頷いた。
***
「それで、結局肝心の計画っていうのは……?」
鳴海が落ち着きを取り戻してからしばらくして、加納がそう切り出した。
「ん? ああ。それなんだけどな」
見れば加納は目で「早く説明しろやボケカス」と訴えんばかりの睨みをきかせていた。そう言えばまだ誰にも説明していなかったね……。なんかいろいろあり過ぎてとっくに説明した気になっていた。あと睨むな加納。
「計画についてだが、作戦名は『かぐや計画』でいく」
「作戦名なんてどうでもいいから早く教えて柳津くん」
「お、おう……」
冷え切った口調で鳴海もまた俺を睨む……。なんだよこいつ……。さっきまでほとんど泣きべそかいてたのに……。
まあいいや……。俺はポケットから例の紙を取り出す。
「鳴海、これを読んでくれ」
「? なにこれ」
俺は例のルーズリーフを鳴海へと手渡す。
鳴海はじーっとその紙を見つめて俺の方に視線をやる。陰った表情で再び視線を落とすと、一呼吸おいてからゆっくりと口を開いた。
「――白くてゴワゴワとした細身のブラウス。頭にはカチューシャ。胸元にはリボン。黒いロングスカートと白タイツ。足元は高めのヒールで、カチューシャは必須……。な、なにこの気持ち悪い文章と絵は……」
鳴海が不快を露わにした表情で俺を見る。
「それは西春先輩の性癖を記したものだ」
「えっと……。どういうこと?」
分からないかぁ。まあ分からないよねー。ならば教えてやろう。
「智也が西春先輩に直接聞いたんだ。もしデートするなら彼女にどういう格好をさせるのが好みですか、ってな。そこに書かれてるのは先輩直筆の理想とする彼女像だ」
「……えっと、つまり」
「つまり! そこに書かれているのはだなっ! 先輩の欲望と妄想と性欲が詰まった気色悪ぃ願望ノートってことだっ!」
「…………ひっ」
俺の言葉を聞き終えた途端、鳴海がまるで汚物に触れてしまったかのようにルーズリーフの持ち方を変えた。おいそんな持ち方すんなよ先輩かわいそうだろ。
「――声や仕草は明るくて元気な感じで、積極的なボディタッチをしてくるのがベスト。カチューシャは必須。え、カチューシャ何回出てくるの……。ちょっと待って。追い付かないんだけど……。これって誰が書いたんだっけ?」
「お前の彼氏だけど?」
「………………」
しばらく無言のまま冷めた目でその紙を見ていた鳴海が、突然はっとした顔で俺に視線を飛ばす。
「もしかしてだけど……。これを着るの?」
「正解!」
「嫌なんですけどっ!」