EX 恋愛相談千本ノック 10
陽斗の出した答えとは……
「え……なんですかこれは」
俺の回答を見て、弥富がおどろおどろしい感じでそう言った。
他のみんなもそうだった。加納も鳴海も先生も絶句し、空いた口が塞がらない様子で俺のボードに書かれた答えを注視していた。
あまりに的をついた答えに驚愕してしまったらしい。そりゃそうだろう。……だってこれが答えなんだから。俺正解知ってるんだから。
何事においても他者から答えを示されて気付きを得ることはある。そして『うわぁその答えがあったなぁー』と自身の思考が至らなかったことを悔やむわけだ。今みんなが感じてるのがまさにそれ。ははぁ、良い気分だ。
そんなことを思いつつ、数秒の沈黙を経て口を開いたのは、司会者である加納だった。
「陽斗くん?」
「なんだ」
「………………バカなの?」
まるで氷点下を突き抜けるかのような冷たい声音。俺の予想に反して加納から出た言葉は賛辞などではなく、まさかの侮蔑の言葉だった。
「おいどういう意味だ。ふざけんな、名誉毀損で訴えるぞ」
「それはこっちのセリフよ……! 何なのよ、答えが『曲がり角』って! ……いやいいわ。これ以上は踏み込まない。別に解説して欲しいわけじゃないから」
「当たり前だ、解説なんて必要ねぇだろ。ギャルゲーで主人公とヒロインが出会うのは、曲がり角のごっつんこイベントって相場が決まってるだろうが? ちゃんと統計を取って弾き出した答えだぞ」
「ことはっち! そんなことより早く正解を教えてください! 私かリオリオ、どっちが正解ですか?」
「……ちょっと、待ちなさい。なんで私は正解の候補から外れているのかしら?」
なんか途端に部室内が騒がしくなった。加納は頭を抱えるようにして項垂れ、鳴海は失笑、弥富は合掌して『私が正解、私が正解……』と変な呪文を唱えている。先生は弥富につっかかるようにして抗議の声を上げていて、俺は黙ってそんな状況を見つめている……って。あれ。なんで俺は無視されているのん?
え、これが答えでしょ……? なんで誰も俺の答えに注目してないの?
「はい、正解は『クラスメイト』です。莉緒ちゃん正解。優勝は莉緒ちゃん」
なんかもう、加納がどうでもよくなった声音で早々とそう告げた。優勝は鳴海。まさかの俺氏敗北である。
「はい。もう終わり。今日はありがとうございました」
「いやいや、ふざけんなよ加納! これは問題不備だろうが。お前の説明からは『二次元』か『三次元』かの判別がつかねえじゃねぇか! やり直しでもう一問出せ!」
「はぁっ……!? あんた本当にバカなの!? 二次元の問題なんて出すわけないでしょ! ていうかアンタ正解する気あるのかないのかどっちなのよ!? ……わざと? ねぇわざとなの? もうわざとって言ってくれた方が私もスッキリするレベルなんだけどっ!?」
「私も異議ありです! ことはっち、本当にその情報合ってるんですか? 違うサイトだったら別の正解になってたりしませんか!?」
「私も納得がいかないわ。もう一問要求よ。私が最下位なんてあり得ない……!」
「先生っ、最下位はハルたそですから! せめて頭数には入れてあげてくださいっ!」
「あ、はは……。私、喜んでいいのかな?」
その後、俺たちが落ち着きを取り戻すのに、幾分の時間を要したことは言うまでもない。
***
さて、しょうもない企画がしょうもない結末に終わったところで。
「じゃ、精算タイムね」
「……それ俺だけですよね。精算の必要があるの」
ここからは待ちに待っていない支弁の時間だ。なぜか俺はモテモテポイントに相当する金員の支払いをする必要がある。本当になぜだ。
とはいえ今の俺に支払い能力はない。無理もない。なべて高校生の財政状況は国家予算並みに収支が取れていないものである。つーか国も借金して何とか財政保ってるんだから、俺だって金が無くても良いよね? うん。良いことはないか。
「……加納。頼む。マジで俺金持ってないんだわ。先週ゲームとラノベにお金を使ってもうお小遣い無いの。頼むよ。見逃してくれ」
「なんて情けない台詞なのかしら……」
いやまぁ。情けないことは否定しないけど。それでも、俺がこうして集られているのはおかしい状況だと思うわけでして。
しかし勝負を受けた以上俺は文句を言える立場にないらしい。だからこそ俺にできることと言えば期限の先延ばしだった。あるいは代替案の提案。たとえば——
「——仕方ない。不本意だが俺のギャルゲーコレクションをくれてやるよ……。質屋にでも入れてくれ。それで金になるから……」
「なんでアンタのゲームを引き受けることになるのよ……。いらないわよ。売れるかどうかも分からないし」
最大限の譲歩をしたつもりだったんだが、これもダメか。まぁ加納の言うとおりゲームなんて売れるかどうか分からない。ましてやエロいゲーム。ブック◯フとかでせいぜい百円程度か。まずいな……。俺の持っている価値あるものなんてゲームか妹くらいしか無いのに。……とかなんとか言うと、このご時世、妹はモノじゃないとか言われそうだからマジでゲームしかなかった。リアルに俺何も持ってねぇ。
やばい、他になんか売れそうなものは……臓器か……、と思案を巡らせていたとき。加納がため息混じりに声を出した。
「だいたい、私アンタにお金寄越せなんて言ったかしら?」
「……えっ?」
腑抜けた声を漏らすのと、加納が呆れ顔で俺を見たのはほぼ同時だった。
「あれ? そういう話だったよな……? モテモテポイント返却だって。それってつまり金を払うってことだろ」
「アンタ……。私を何だと思ってるのよ……」
加納がすごく冷めた目で俺を見ていた。いやそんなこと言われても……。これくらいの仕打ち平気でしてきそうなヤツだと思っていますが。てっきり守銭奴かと。
「違うのか。え、じゃあなんだよポイント返却って」
「……。やっぱり直接言わなきゃ伝わらないわね……」
「さっきから何を言って……おい、痛ぇよ。腕引っ張んな……!」
そう言って俺は半ば強引に、鳴海や弥富から離れた場所へと連行される。
部屋の隅、そこで俺は加納から耳打ちを受けた。
「莉緒ちゃんよ。プレゼントの件」
「……? プレゼント? 何のことだ?」
「誕生日プレゼント……! アンタの記憶力は魚以下なの?」
脇腹を肘で打たれた。地味に痛い。そういうお前の腕力はゴリラ以上ですか?
「いや、覚えてるよ……。鳴海の誕生日プレゼントな。もうすぐなんだよな、あいつの誕生日って。……え。ちょっと待て。それって——」
そこで一つの可能性に思い当たる。加納の言わんとしていることは何なのか。
思えばあの絶妙なポイント設定。やけに鳴海への忖度が入った正答判断。そして俺への追加ルール……。
このイベントそのものは加納の我儘から実現したものに違いない。しかしそれだけで説明できない諸々の違和感はあったはずだ。
それは、つまり。
「——お前、もしかして鳴海の誕生日プレゼントを渡す口実づくりのために、わざわざ……」
「ふふっ」
俺がそう結論づけた瞬間、加納が笑いを抑えきれないように吐息をこぼした。
「私はともかく、アンタはこうでもしないとプレゼント用意しないでしょ」
「…………」
どうだろうか。そこまで俺は頑固なキャラだっただろうか。
「——ちゃんと精算しなさいよ。私にじゃなくて、莉緒ちゃんにね」
そう言って加納は鳴海たちへの元へ戻っていく。残された俺はなんだか居場所に困ってしまい、みんなからは離れたところの席についた。
同じ部活メンバーの誕生日。それはもちろん俺にとって重大なイベントなどでは決してない。そもそも近日だということを知らなかったわけだし。
けれどここまでお膳立てされてしまえば、渡さないという選択肢を取る方が難しいと気付いた。
まぁ……「企画の罰ゲームでプレゼントを用意する」という時点で色々残念要素満載だと思うが……。でもなんだ。むしろそれくらいの方が鳴海としてもプレゼントを受け取りやすいかもしれない。いきなり俺からプレゼントなんてもらったら、そりゃ気が引けるだろう。鳴海のことだ。お返しとか何だとか考えるに決まっている。そういう意味では加納のやり方が極めて妥当なものだと悟った。……いやいや。どんだけ俺ら仲良くないんだよ。
「……はぁ」
いや。こればかりは、どうも言葉にできない。
俺たちの関係性に何という名前をつけるべきか、もうずっと考えあぐねている。
思った以上にその距離は近いものではなく、けれど遠影というには近すぎる。
そんな他愛もない関係にラベルをつけること自体、意味のある行為かは分からないが……。
それでも。
ささやかな幸せを享受するくらいは、内輪にいても良い一員な気がした。
——そして、鳴海へのプレゼントを何にすべきか。
それは普段の恋愛相談に応えるよりも、幾分か難しいお題に感じてならなかった。
***
散らかっていた自室を掃除していたときだ。勢いよく扉が開いた。
驚いて振り返ればそこには遥香が立っていた。ノックもせずに俺の部屋へと入ってきたらしい。
「おじゃましまーす。ちょっと用事が……って、——兄ちゃん、何してんの?」
「……ん」
ズケズケ入り込んできたかと思えば、遥香は散らかっている俺の部屋を見渡し、そして冷たい声音で俺に聞いてきた。
「何って……。まぁ……ただの身辺整理だ」
「身辺整理って……。ただの部屋掃除でしょ。それともなに、兄ちゃん死ぬの? 遺産くれるの? お金持ってるの?」
「話の広がり方がおかしいだろ」
切り返しが斜め上すぎる。俺の発言に負けず劣らずさすがは我が妹。つーか部屋の掃除にしか見えないんなら最初から聞くんじゃねえよマジで。あとノックしろノック。この時期の男子は多感なんだぞ。タイミング悪かったらトラウマ植え付けられるのはお前なんだからな?
なんて、妹想いの優しい感情を贅沢に込めつつ、勝手に扉開けんじゃねえと睨みつけたときだ。遥香がいらんことに気付いてしまう。
「……手に持ってるの何? それは……プレゼント?」
「…………」
俺の手に握られている小包。可愛らしい水色のリボンをあしらったそれは、きっと誰が見ても贈り物だと判断するに違いない。遥香がいまそう発言したように。
「へぇ。兄ちゃんが珍しい……。誰に贈るの?」
「……さぁな」
「さぁな、って……」
適当な発言に呆れたか、遥香は失笑する。
俺もまた、自分の発言を顧みて、次の言葉を決めきれずにいた。
事実、俺はこの小包を誰にいつ渡すべきか、見失っているのだ。
——これは、鳴海のために買ったものだった。
きっかけは何だったか。
思い返す。確かあれは随分と前。『恋愛相談千本ノック』とかいう謎イベントに巻き込まれた日のことだ。加納に良い感じに言いくるめられ、休日になけなしの小遣いで買った……本当に瑣末な贈り物。
これは鳴海へと贈られる予定だった。滞りなく、何の障害もなく渡されるはずだった。
——しかし結末だけ見れば、プレゼントが渡されることはなかったのだ。今でもこの手の中にある。
原因は明白だ。文化祭で混乱した恋愛相談部。件の脅迫文が部活にやってきて、俺たち全員は鳴海のお祝いどころではなくなったのだ。もちろん誕生日会のことが頭の片隅に過ったことはあった。けれど優先度や緊急性という建前の下では、どうも言い出せる話ではなく……。
結局、鳴海の誕生日会は行われなかった。時効的にその会は消滅したのだ。
もともと約束したわけではない。何か惜しいという気持ちが芽生えるわけでもない。
けれど……。
「……参ったな」
その小包に込めた想いが何だったか。
思い出すのに少し間を要する程度には、時間が経ち過ぎてしまったらしい。
——あの文化祭から、もう三ヶ月が経っているのだから。
最終章連載まで、今しばらくお待ちください。