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カーテンコール

 





 ——世界は愛に満ち溢れていると、誰かが言った。






 曰く、愛そのものは、人生で最も素晴らしい生きる力なのだと。


 曰く、愛し愛されることは、両側から太陽を浴びることなのだと。


 曰く、愛の欠如は、世界における最悪の病なのだと。






 歴史上のお偉いさんたちがこんなことを言うくらいだ。本当に世の中というのは愛で溢れかえっているのかもしれないと、ふとそんなことを思った。






 ——誰かを好きになり、そして結ばれること。それはとても素晴らしいことだと言われる。






 なんでも、恋をすると新しい世界が開けるという。これまで気付かなかったモノの見方や価値観に触れるからか、付き合い始めてから数ヶ月のうちにまるで人が変わってしまったというケースは確かに珍しくない。もちろん、それは大抵良い方向に転んでいて、本人の口からは「成長」という言葉で括られることが多いと感じる。




 逆にだ。こと恋愛においてはその感情自体を否定することがタブーとされている。むしろそこには憧れや羨望といった感情さえ介入するべきだと周囲は言うのだ。恋という感情を自覚していない人間には将来の可能性を示すのが正しいとされ、恋愛感情そのものを認めない人間には戒飭が相当だと、まるで暗黙の了解のように誰もが理解している。




 しかし待ってほしい。




 それはつまり、恋愛という感情が絶対的に「素晴らしいこと」だと前提を置いた上での理論ではないだろうか。




 もちろん恋する気持ちは尊いもので、その感情を否定したいわけじゃない。




 しかし目にも見えない、耳で聞くこともできない、そんな得体の知れない感情にあぁそうですかと黙って身を任せることはとても怖いことだと思うのだ。初めてその感情に触れる者なら尚更ではないだろうか。




 思春期真っ只中の俺たちにとって、恋愛は常に隣り合わせの感情だという。しかし俺たち高校生は自分の気持ちを簡単に曝け出したりはしない。それは今挙げた事由とも紐づいているはずだ。




 だからこそ、恋愛相談部には需要があるのかもしれない。




 恋愛を意識し一歩踏み出すことに躊躇いを覚えている者が、何かを求めてここを訪れる。それは自分を後押ししてくれる言葉、あるいは自分の考えが正しいことを示す証明……まぁなんだっていいのだが、そういった自分に足りないものを補完するためにこの部活は存在しているのだと思う。








 ——そんな恋愛相談部は、いつも通りの平常運転を続けている。








 ゆったりとした時間が流れていた。それは眠気を誘うほどの柔らかい雰囲気。




 俺は教室後方、いつもの座席で本を読んでいる。部室に入るとまだ誰も来ていないのを確認し、スマホをすこし弄ってからはずっとこんな調子だ。こんなナメた態度で部活を開始できるのは忠節高校数ある部活の中でもここしかないだろう。




 ただ一つ普段と違うことがあるとすれば、俺が読んでいる本がラノベでないことか。珍しく最近買った一般文芸の本、夏休みのボーイミーツガールを描いたSF青春小説。……とても面白い。佳境に入っているのだが急展開が訪れて目が離せないのだ。たまにはこういうのを読むのもアリだと思った。いつもの凌辱ラノベとはまた違った面白さがある。いや凌辱ラノベってなんだよ。






 期待を滲ませながらページを繰ったときだった。扉が開かれる。




 入ってきた人物を一瞥して、俺は再び手元に視線を落とす。




「——おつかれさまですっ!」


「……おう」




 入ってきたのは弥富梓。相変わらず声がデカい。もとい元気いっぱいだ。


 カバンを適当な場所に放り投げて俺の方に駆け寄ってきた。




「ハルたそ! 今私のこと無視しましたよねっ!?」


「……あ? してねえよ」


「いや絶対嘘です! 今だって本読んでますよ! 私の目を見て挨拶してください? ……ほら言えますかぁ? おはようって言えますかぁ?」


「うっぜえ……。てかおい。やめろ。やめろって」




 ついにはぐいっと顔を近づけてくる弥富。本を読むための視線を遮るほどに顔を近づけてきた。思わずこちらが仰け反ってしまう。……こいつのプライベートスペースはどうなってんだマジで。


 観念して本を閉じた。せっかく良いところだったんだが。




「悪かった。はい、おはようございます」


「おはようございます! ……まぁもう午後なんですけどね。だからおはようは間違いです! こんにちはが正解でした、にししっ」


「あぁそうですか」




 小学生みたいな揚げ足取りだった。よく分からんが弥富が満足そうに笑っていた。はいはいワロスワロス。


 確かに弥富さんのおっしゃる通りだ。今は昼なんだから「おはよう」と挨拶するのは少し違うな。


 でも時間帯によって挨拶の言葉を分けなきゃいけないのが面倒だなぁと思うことはあるわけで。それに比べて大学生や社会人が使う「お疲れ様です」とはなんて便利な言葉なんだと思った。時間帯に限らず、別に疲れてもないのに使える点が尚更良い。




 どうでもいい思考を挟み、一つ気になったことを問う。




「……つーか弥富。お前最近補習受けてただろ。今日は大丈夫なのか」


「えぇっ? あっ、いや、それはそのっ……、なんか今日はなくなっちゃたのかなぁ……みたいな?」


「サボりか」




 一発で分かった。弥富が冷や汗をかきながらあさっての方向を見ている。マジかよこいつ。退学とかにならないのか大丈夫か。




「次の中間、赤点だとマズいって言ってなかったか?」


「あぁ言ってましたね」


「すげえなお前……。よく他人事みたいに言えるよな。お前の話だろ……」




 変な感心をしてしまった。いや感心するようなことでは全くない。


 ジトっと蔑みの目で見てやると、流石に慌てたのか、早口で弥富が言い訳を披露する。




「ちっ、違うんですよ! 私はいま、補習なんて受けてる場合じゃないんです! この部活の方が優先なので!」


「いやそんなわけあるか。一番低優先だぞこの部活」




 なんなら優先度低すぎてTo doリストにさえ挙がらないレベル。勉強に勤しんで将来に備えた方がよほど有意義に決まっている。いやまぁ。俺も人のことは言えないけどさ。




「そんなことはありません! 今日もきっと、恋愛に迷える子羊たちがわんさか来てくれるはずです! 私はそれに応えないと!」


「子羊ねぇ……」




 変な例えだった。恋愛経験という目盛りで見れば俺の方がよっぽど子羊だろうに。もはやその辺に生えてる雑草とかだぜ、俺なんて。




 しかし今のを聞いて、こいつはこいつでポリシーなるものがあるのだと知った。こんな部活でも確かに一定の需要があることは事実。そんな殊勝な考えのために補習をサボっちゃうだなんて……うん、殊勝なのかな? どうなのかな? よくわかんねぇや。






「——あれ、盛り上がってるね……?」






 と、そこへやってきたのは鳴海莉緒。部屋へ入るや否やそんな一言を漏らす。




 今日も鳴海のおっとりボイスは心に安らぎを与えてくれる。悪くない気分だ。隣にいるこいつとはのほほん(・・・・)度合いの格が違う。




「リオリオ! 聞いてくださいよぉー。ハルたそが私のこと虐めるんです!」


「そう……なの?」


「いや虐めてないから。むしろ絡まれてたの俺だから」




 くるっと踵を返して、鳴海の方にダッシュした弥富さん。なんだよその逃げ方。お前アレか。責任押し付けられて都合が悪くなったら涙で誤魔化す系女子かよ。そのキャラ、漫画とかアニメでめちゃくちゃ嫌われるから気をつけた方がいいぞマジで。




「今日も早いね……? 柳津くん」


「そうか? こんなもんだろ」


「うっ、うっ……。ハルたそには友達がいませんからねぇ……」


「嘘泣きはやめろ弥富。泣きたいのはこっちだ」




 と、ツッコミを入れたときである。弥富が顔色を変えて「ごめんなさい……」と謝ってきた。——おっと? 急に対応変えるのやめてくんない? なんか俺が本当に可哀想なヤツってことになってない?




「ホントにごめんなさい、ハルたそ」


「いやいいって。これ以上謝るな。ガチ感が出て俺が居た堪れなくなるだろうが」


「あはは……」




 と、まぁ。




 先述の通り、恋愛相談部は平常運転。






 この光景に綻びもほつれも何一つなく、それは当たり前のように享受していた平穏のようで。








「——それにしても、少し寒いね。暖房入れる?」


「賛成です!」


「……そうだな」








 ——いや、解れはあった。








 心の中で蠢く鈍色の感情と、ここに存在すべき彼女の不在が、それを表している。








 気付いていないわけではない。けれど介在する動機など俺にはなかった。








 まるでただ帰りを待つ犬のように、俺は黙ってそのときが訪れるのを受動的に期待しているのかもしれない。








 俺だけではない。




 鳴海も弥富も、きっと願っている。




 穴の空いた何かを埋めるようにして、鳴海がポツリと言葉を漏らす。








「——ことちゃん、今日も来ないね」








 独り言だったか、それとも俺か弥富への投げかけか。






 どちらにせよ応じる声はなかった。俺は首肯することもせず、黙って視線を机に伏せた文庫本に向け、そっと手を伸ばす。






 何かが間違っていたとは思えない。初めからこうなる結末だったとしたら、きっとそれは訪れるべくして訪れたのだ。そしてそれを否定することは俺にはできなかった。










 けれど——










 もしもあのとき——










 俺が違う選択をしていたら——










 彼女は、いまここに——










 …………。










「——あっ」










 なんて。






 思うことさえ許されないみたいだった。






 扉をノックする音が聞こえたのだ。それは来客を意味する。






 伸ばされた手は何を掴むことなく空を切り、そっと自分の元へと帰る。








「——仕事か」






「……なにカッコよく呟いてるんですか。仕事じゃなくてただの部活です」


「俺にとっちゃ仕事と変わんねえよ」


「あー何でもいいですから、はやくそっち座ってください!」






 珍しく弥富に諭されてしまい、俺は渋々来客用の座席に腰掛けた。






 鳴海がいつも通りアイコンタクトを送る。






 弥富と俺が合図をして、鳴海が扉を開く。






 そして扉の向こうから相談者が現れる。……俺たちはいつもの部活動を淡々とこなしていくのだ。今日も明日も、きっとその先も。






 たとえ俺たちにどんな困難がやって来ようとも、変わらずこの世界は回っている。






 それを示すように相談者は毎日のように現れ、俺たちは応え続けなければならない。








































 季節は十二月。肌寒さはこの頃一層増しているように思われた。

































 あの文化祭から一度も。





 一度たりとも。







































 ——加納琴葉は、この部室を訪れていない。



















お久しぶりです。にっとです。


第5章、無事に完結させることができました。

読者のみなさま、ここまで読んでいただきまして本当にありがとうございます。




本作品は、次章で最終章となります。




部活から消えてしまった加納琴葉。


密かな想いを秘める鳴海莉緒。


逆に想いを露わにした弥富梓。


そして決断を迫られる柳津陽斗。




彼ら彼女らの顛末を描きます。




最終章 恋愛マスター編 は来年を目処に連載開始予定です。




よろしくお願いいたします。

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