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分かり得なかった世界

 





 窓の外はすっかり黒に染められている。もう完全に日は落ち切ったようで、僅かの光もこの部屋に入り込むことはない。






 窓に反射するのは俺たち二人の顔だけだ。半透明にぼやけた自分の表情と加納のそれがどんなものであるか、注視するほどの余裕は俺には無かった。




 互いに目を合わせることはなく、けれど互いを無視できないと言わんばかりの空気感だけがこの部屋に立ち込めている。俺が最後に口にした台詞からしばらくの時間、行き場を失った会話はゆらゆらと生暖かい夜風とともに漂っているように思われる。ついぞ絶たれた会話の糸をもう一度紡ぐこともなく、漠然と呆然と息をするだけのような時間が続いていた。






 ——加納は何も言わなかった。






 俺の提案を否定することも肯定することもしなかった。


 ただ聞き入れるようにして黙りこくり、一人何か思惟するように口を噤む。




「……アンタはさ」




 ようやく出た加納の言葉。


 絞り出すようにして放たれた言葉は、あまりに突飛な質問で。




「アンタは、今の部活のままで良いと思ってる?」


「……あ?」




 それは曖昧な質問だった。




「なんだその質問。……フワフワしすぎだろ。意味わかんねぇよ、どういうこと?」




 質問の意図も正解も分からない。何を答えるべきか判断しかねる。




 だが、加納は強気な姿勢だ。




「……いいから答えなさい。良いのか悪いのか。どっちよ?」


「あっはい。ごめ……いやなんでちょっとキレてんだよ」




 鋭い語気の言葉が俺に刺さった。思わず謝りそうになっちゃうくらいには当たりが強かった。こ、怖いよ加納さん……。




 まぁ加納の言い分ももっともか。先人曰く質問に質問で返してはいけない。吉良さんだってブチ切れていたくらいだし、加納が怒っちゃうのも納得だ。うん。でもデ◯オは質問に質問で返してたなぁ。お前は今までに食ったパンの枚数をうんたらかんたら……。まぁ何だっていいです。




「……そうだな。よく分からんけど」




 とはいえ加納の質問にどう答えるべきか、そこを俺はよく分かってない。今の部活のままでいいかって……そりゃあ良くないだろ。一刻も早く尊王攘夷、打倒加納琴葉である。殴られる未来しか見えないから言わないけど。




 では加納が言いたい事は何か……。例えば部活動の体制、あるいは人間関係。まぁ他にも色々あるかもしれないが、何にせよ俺が言えることは一つだと思う。




「今のままで良いと思うよ。さっきも言っただろ。これ以上面倒事は増やしたくない。お前らと付き合っていくだけで俺は精一杯なんだ」




 その一言に尽きた。結局俺が求めているのは『現状維持』に他ならない。






 これ以上を求める理由なんてどこにもなかった。






 甘んじて受け入れている今の俺も。






 騒々しくて退屈を与えてくれない恋愛相談部のみんなも。






 全部だ。全部含めて、俺は変わらないことを選ぶ。








 ……その真意を問われたところで、きっと俺は本心を言わないけれど。








 だからこそ、口にできることはただそれだけだった。








 ——恋愛相談部は、これからも今のままでいい。








「……そう、ね」








 何かを理解したように、加納が大きく頷く。




 そして深いため息を漏らし、ゆっくりと立ち上がる。






 加納が手に取ったのは自分の鞄。加納の足が向かうのはこの教室の扉。




 俺の方を一瞥する事はなく、黙って消えるようにして。




 足早にこの場を去ろうとしている加納の横顔を、俺は見逃すはずもなかった。








 ——その表情は鬱屈としたものだった。








「おい、どこ行くんだ」


「……どこも何も、帰るに決まってるじゃない。もうこんな時間だし」


「あぁ。そうか……。そりゃそうだな……」




 加納に言いくるめられてしまった俺。あぁ今のは俺の聞き方が悪い。当たり前のことを聞いてしまった。そりゃ帰るに決まっている。




 そういうことではなく、俺がこの場で聞きたかったことというのは——









「——ありがとね」


「……え?」








 唐突に出た、感謝の言葉。






 耳を疑った俺は、途端に思考をフリーズさせる。






 なぜかって、それはおよそ加納琴葉が俺なんかにかけるはずもない、とても暖かくて情のこもった、そんな言葉だったからだろう。






「本当に。ありがとう」


「……っ。別に、感謝されるような覚えはないんだが……?」






 反射的にというか何というか……。加納からそんな言葉が出るとは思いもしなかったので咄嗟に否定してしまった。視線を逸らす俺。思わず冷たい語気になってしまったのを、口にした後で後悔する。まぁ実際、何を感謝されているのか分からなかったっていうのもあるんだが……。こんなところで俺のツンデレを見せても読者は喜ばんだろうに。






「色々迷惑をかけたお詫びに、最後に一つだけアドバイスしてあげるわ」






 唐突に加納がそんなことを言う。アドバイス……?


 えっなんで? どうした急に。






「……アドバイス?」


「えぇ、そうよ」




 脈略がなさすぎて怖いので俺は一歩後ずさる。




「いやいらない。いらねぇよ。お前の処世術なんて役立ちそうにないし」


「……なっ? 失礼ね?」




 ぴくっと加納の眉が吊り上がった。……いや、んなこと言われてもそりゃそうだろ。お前の提案するライフハックなんて全部但し書きで(※ただしイケメンに限る)ってやつばっかじゃねえかよ。……ウィンクするやつはモテるとか、少し服装はダサいくらいが可愛げがあるとかよ。どれも試したけど全部『気持ち悪りぃ』って言われたぞ。……遥香に。……うん。なんで俺は妹を口説いてんだ。




 俺は手をブンブンと振って拒絶を示すも、加納は退いてくれない。








「いい? よく聞きなさい」








 さっきの俺の返答が気に食わなかったのか、今の加納は高圧的だった。憔悴しきった表情、あるいはやけに素直な言動を経た後での態度。これはこれで安心感があると思ってしまうあたり、俺もどうやらマトモじゃなくなってしまったようである。




 そんなことを頭の片隅で考え、そして諦めて話を聞くことにした俺。肩をすくめて加納に話の続きを促す。




 加納は言った。




「アンタが何も望まなくても、これから先いつか、向き合わないといけないときが来る」




 声音は至って真面目な調子だった。てっきり今度はどんなモテテクニックが飛び出して来るのかと思ったのだが。加納のアドバイスとはどうやら、俺の今後を憂うようなものらしい。




「そのときアンタは——陽斗くんは、自分の気持ちを正直に打ち明けること」




 加納はそう言って、少しだけ俯いてみせる。




 そして言葉を噛み締めるようにして、ゆっくりと続けた。






「そうしないと、誰かが悲しい思いをする。辛い思いをする。そうならないためにも——陽斗くんは、自分の気持ちに向き合わないとダメなの」






 それらの言葉には、どこか重みを感じた。






 胸の奥底に響くような、鈍痛にも似た気付き。






 決して予感があったわけではない。加納の言葉に何か思い当たる節があるわけでもなかった。






 それでも、その加納の言葉には何か意味があるように感じられて。






 加納が話し終えてからしばらく、俺は咀嚼するように言葉の意味を探していた。






「……何の話だ」


「……さぁね」






 意味のない質問と、意味のない答えがやりとりされる。






 加納は悪戯っぽい笑みを浮かべていたように思う。その表情が何を意味しているのか、それを読み取ろうとする前に加納は踵を返してしまった。








 背を向けた加納の姿。








 なぜかは分からないが、その背中は寂しさを滲ませているように、少しだけ小さく見えた。















「——私には分かり得なかった、そういう世界の話よ」
















 加納が何を言っているのか、俺には分からない。







 分からなかったから、加納にかける言葉も見当たらない。







 扉の方へと歩き出す加納に俺は声をかけることもできず。











「——じゃあね。陽斗くん」












 扉を閉める無機質な音。











「——さようなら」











 それから最後に加納から聞いた言葉だけが、ここに取り残されたのだった。


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