反駁と予感と、あるいは彼女の提案
やっぱりうまく言葉にはできない。けれど何かが壊れていく予感だけが、肌に刺さるみたいに分かった気がした。
もし私達の関係がこれまで拮抗状態にあったというなら、それは間違いなく今この瞬間に崩れ去ったと思う。二人の様子を交互に見ながら、私はただそんな月並みなことを考えることしかできなかった。
梓ちゃんが少し驚いた様子で莉緒ちゃんの方を見ている。対して莉緒ちゃんは険しい表情だ。……いや、焦っているようにも見えた。息遣いがいつもより荒いのが分かる。何かを言おうと口を動かしているけれど、ついに言葉が放たれることはない。
梓ちゃんの方もどうしたら良いか分からないといった具合に、ただ呆然と莉緒ちゃんの方を見ている。二人の間に言葉は交わされないまま、時間だけが過ぎていく。
「……大丈夫? 莉緒ちゃん」
しばらくの時間が経った後で、そんな言葉が無意識に私の口から漏れていた。緊張で張り詰めた空気を壊した一言。……気遣いの台詞が出たのは良かったけど、それは莉緒ちゃんのことが心配だったからというより、私が沈黙に耐えられなかったから出た言葉だった。
「——えっ? あっ、ご、ごめんなさいっ」
我に返ったように莉緒ちゃんが謝った。私たちにペコペコと頭を下げる。それから倒れてしまった椅子を元に戻して、バツが悪そうに苦笑いを浮かべた。
「……ごめん、ちょっと驚いちゃって」
何かを取り繕うように出た言葉のように思える。……ちょっと驚いたというには少し無理があると思う。莉緒ちゃんのあのときの表情は明らかな動揺を滲ませていた。
「そうなんだ……。弥富ちゃんが柳津くんのことを……。そうなんだね……」
「ごめんなさい私も。突然こんなことを言い出して……」
梓ちゃんも申し訳ないといった表情を作って謝る。莉緒ちゃんは深く息を吐いたあと、ゆっくり椅子に腰掛けていた。
——それからまた静かになる。口を開くことはおろか、目のやり場にさえ困ってしまう、とても居心地の悪い沈黙だった。
ここにいる三人とも何を話すべきなのか、何を聞くべきなのか、きっとそんなことを考えているに違いない。普段会話のテーマに困らない私だって、このときばかりは何を話せばいいのか分からなくなっている。話題が話題なだけに、中途半端なことは言えないっていうのもあると思う。
……いや、もちろん高校生に恋の話題はつきものだ。私の友達が誰かに告白したいだなんていう話はプライベートでもよく聞く話だし、ましてや部活動では嫌と言うほど聞いている話題だ。
そのたびに私はあれこれ考えて、そして言葉を選んで、これまで乗り切ってた。『頑張れ』とか『絶対大丈夫だよ』とか、その場を盛り上げながらも本人が最も言われたい台詞を口にしてきたと思う。それが本心から出た言葉なのか思ってもみない言葉なのか……、まぁ、そういう話は置いておいて、場をやり過ごすという意味では、私にとってこういう場面は決して珍しくないのだと自覚している。
けれど私は今、次の言葉に窮していた。どんな言葉をかけるべきなのか全く分からない。決してアタマが怠けているわけではなくて、本当にかけるべき言葉を見失っているのだ。……そしてただ一つ言えることがあるとすれば、私は梓ちゃんのことを手放しに応援してはいけない気がした、ということだろうか。
他意はない。私がアイツのことを好いているとかそういう話ではない。きっとそれはたぶん、私自身の思いというよりも、莉緒ちゃんのことを考えてのことで……。
「本当にごめんなさい。ちょっと、言うタイミング間違えちゃったみたいですね。にししっ……」
思考の果てに出た結論はない。気まずそうな表情と声音で梓ちゃんが小さな笑い声をあげている。梓ちゃんが何か私たちに特別な反応を求めて告白をしたのかもしれないけど、それを知る術を私は持ち合わせていない。……けれど、なんというか、さすがに梓ちゃんのことが可哀想になってきた。こうなってしまったことに誰かの非があるとするなら、それは部長たる私——なのかもしれない。
いずれにしても、このまま変な空気感で過ごすのはごめんだ。
「……ところで」
ふと思い出す。そもそも梓ちゃんがこんなことを言い出したのはなぜか。——何か私たちに要望があったからだ。
「梓ちゃんの要件っていうのは結局何だったの? 今の話を私たちに伝えたかっただけじゃないよね?」
「……あっ、はい!」
梓ちゃんが気付かされたように声を上げた。
「そうです! 私が言いたかったのはですね、恋愛感謝祭のことです!」
「恋愛感謝祭……?」
私の言葉に梓ちゃんがゆっくりと頷いてみせる。そういえば私たちは文化祭について話していたんだった
。
「はい! ちょうど企画している私達の出し物です! 恋愛感謝祭はアレですよね、要はみんなの前で恋愛相談をするっていう話ですよね?」
「……まぁ、そんなところかしら」
林間学校の時に行われたレクリエーションの恋愛版だと思えば、梓ちゃんの解釈は間違っていない。イメージとしてはステージに私たちが居て、観客から選ばれた立候補者がその場にいる全員に公開する形で恋愛相談を行う、という感じだ。そこにどんな要素を付け加えていくのかはこれから考えようと思っていたけれど。
梓ちゃんは私の返答に頷いてから、続ける。
「そこで私思ったんです。恋愛感謝祭は告白するにはうってつけの場面だなって。何も恋愛相談だけにこだわる必要はないと思いますから。だから、これに肖って私の気持ちをハルたそにぶつけようかなと……」
「……」
すこし暈された言い方だったけど、梓ちゃんが言いたいことはすぐに分かった。
「……えーっと。梓ちゃんは恋愛感謝祭で陽斗くんに告白したいと思っている……そういうこと?」
「はい、そうです! ……なんかアレですね。人から言われると何だか小っ恥ずかしくなっちゃいますね」
そう言う梓ちゃんは確かに照れくさそうに笑っていた。言葉は少しだけぎこちなく、緊張した様子も見て取れる。けれどその割に梓ちゃんは自分の思いをはっきりと表していた。自分にどこまでも正直で、きっと嘘を付くことなんてできないんだろう。
それはまるで、私とは対極の存在のように思える。そこに羨ましさとか妬ましさなんていうものは感じない。ただ私は、梓ちゃんが自分と違う生き方をしていて、誰よりも勇気ある一歩を踏み出したんだなと、そんなことを思うばかりで。
……なんとなく、梓ちゃんの言う『私たちへのお願い』が何なのか勘付いた。恋愛感謝祭という企画と梓ちゃんの思いを照らし合わせれば、自ずと答えは出る。むしろここまで話してくれたのだから、私たちの方から察してあげるのが道理なのかもしれない。
「だから、お二人には申し訳ないんですけど……」
それでも、やっぱりと言うべきか。予想できていたことだけれど。
梓ちゃんは私たちに委ねることなく。
その『願い』を、口にするのだ。
「——協力してもらえませんか? 私の告白に」