秘めた加納琴葉の思惑
窓の外はいよいよ暗闇に呑まれようとしている。
壁時計を見ればいつもの最終下校時刻を過ぎていることに気付いた。どうやら随分と話し込んでしまったらしい。
それでもまだ校舎の中には多くの生徒がいるようで、廊下の方から度々笑い声が聞こえてくる。確か今日は片付けのためであれば多少の居残りも黙認されると聞いた。文化祭最終日ということもあって、今日は名実ともに特別長い一日らしい。
それは俺たちにとっても同じことだ。何かの後片付けというわけではないが、この騒動にケリをつけなければならないのは確かだった。加納と対峙して、俺はそんなことを思惟する。
「そして加納。お前の誘導もまた手がかりだった」
「……私の誘導?」
俺のつまらない話は、まだ終わっていない。
鳴海が共犯者だったということもそうだが、まだ加納に話さなければならないことがある。
「犯人からのメッセージは手紙だけじゃない。この写真も入ってただろ」
手紙が入っていた封筒にはもう一つ、脅迫材料たる写真が同封されていた。俺はその写真もカバンから取り出すと、手紙の横に置いてみせる。
「写真は俺と加納を映したものだ。……よく撮れてる。まるでシャッターチャンスを窺っていたかのように、ばっちりとな」
加納渾身のボディブロー。的確に俺の脇腹を捉えた至極の一撃。写真越しでもその威力がよく伝わってくる。……うん。何度見ても酷い写真だ。あまりの痛々しさに俺の古傷が疼いてしまう。あと俺が加納の乳を揉もうとしている写真もありましたね。そっちはもういいか。別に見せなくても。
「この写真を見て分かること……。それはこの写真が部室の中から撮影されたってことだ」
写真を改めて見ると、確かに撮影は部室内で行われているように感じる。むしろ画角を考慮すると、手品師でもない限りこの部室の外側から写真を撮ることは不可能だろう。
「話は変わって文化祭前日。俺とお前が文化祭の準備をしていたとき、この写真の話をしたことがあったと思う。そのときお前は俺に言ったんだ。……この写真は『遠隔操作』によって撮られたんじゃないかって」
文化祭に向けて準備を進めているときだったか。加納がそんなことを言ったのだった。
遠隔操作による撮影——これがキーワードに他ならない。
「確かにそう考えるのは間違いじゃない。実際可能だろうな。アプリかなにか使えば簡単に撮れると思う。……そしてお前は続けて言った。——だからこの事件の容疑者は部外も含まれるんだと」
手元の写真から、加納の方へと視線を移す。真っ直ぐに俺のことを見ていた。加納は沈黙を貫いている。
「……でも俺はあのとき思ったんだよ。なんでお前は、そんな当たり前に気付くようなことをわざわざ文化祭前日に言ったんだろうなって」
「……」
「写真が俺たちの元に届いて一週間。構図についてはみんな分かりきっていたことだ。あの写真が部室内からしか撮れない構図だなんて、みんな分かっていた。でもお前はそれをわざわざ口にして、犯人がまるで部外にいるかのような考えを俺に示した。……今思えば、あれはまるで『誘導』だった」
まさか気付くはずもない。すでにあのときから、加納は行動を開始していたのだと。
実に加納らしい、頭の良いやり方だ。きっかけがなければ、文化祭が終わるまでに分かることはなかったかもしれない。
「それが本当に誘導だと気付いたのは弥富から話を聞いたときだ。あの日、俺はお前にその話を他のメンバーにする必要はないと念を押したはずだった。だが弥富はお前から話を聞いたと言う。俺が忠告した後にだ。……変だと思ったよ」
わざわざ共有するほどのことでもない話である。しかも加納は文化祭が始まる直前、ないしは文化祭中にこの話をしている。俺たちが写真を見たあの日、その瞬間に気付くような大きなヒントだ。加納はなぜこの話を今になって弥富にも話したのか。
今日の昼に弥富から話を聞いた俺は考えた末、一つの可能性に思い当たった。
「だから逆に考えた。——犯人が見つからず俺たちが焦る中、こんな話を聞けば俺たち探偵役はどう考えるのかと……。可能性がゼロじゃない話だ。確かに遠隔操作の撮影もあり得ると考えて、潜在的に容疑者を部外に向けてしまうかもしれない。俺も弥富も、そうやってお前に操作されていることに気付かなかった」
ただでさえヒントが少ない状況だった。加えて犯人がどのようにこの写真を撮ったのかは重要な要素であり、それを解き明かすことは犯人確保に向けた大きな一歩と言えたはずだ。
だから加納からこの話を聞いたとき、俺たちは焦って手順を逆にしてしまったのだ。写真がどう撮られたのかを解明するよりも先に、加納の仮定を鵜呑みに信じ、容疑者の特徴と辻褄が合う人物を探してしまった。そうして推理の矛先に上がったのが——伏見涼だったのだ。
加納の撹乱はそうして成功を収めていた。畢竟、俺たちはまんまと騙されていたのである。
ではなぜ、加納はそんなことをしたのか。
……思い当たる節はある。
「お前が容疑者を生徒会に向けたかった理由——それは今回の事件に鳴海が関わっていないと思わせるためだったんじゃないのか?」
「……」
「そうして俺たちは実行犯である安城先輩に辿り着き、彼女一人の犯行だということで話が収まる。文化祭は幕を閉じ、共犯者である鳴海の存在には気付かないってオチだ」
過程はどうあれ、散りばめられたヒントからいずれ犯人には辿り着く。生徒会という部外に狙いを定めていた俺たちは、実行犯たる安城先輩に目星をつけるのは自明だろう。それこそが加納の思惑だったに違いない。
犯人が見つかってしまえば、もう犯人探しが行われることはないのだから。
そうしてこの一件は丸く収められ、鳴海が咎められることはなくなる。
「お前が安城先輩のことをいつ知ったのかは分からないけど、大方、手紙の差出人が鳴海だと気付いた後に、鳴海から一連の計画を聞いたはずだ。真っ先に鳴海が手紙の差出人だと気付いたのはお前だからな。当然、鳴海から話を聞きたかったに違いない」
まさか加納が鳴海の行動を野放しにするとも思えない。恋愛感謝祭は加納の希望によって実現する側面が強いからだ。
そして思わぬ部員の反抗に加納が最初に取るべき行動は、事情聴取あたりだと想像できる。
「そうしてお前は鳴海から全てを聞いた。安城先輩とお前は面識こそないが、実行犯であることは知り得る。そして俺達が真相に辿り着くことを妨害して、鳴海を容疑者リストから除外することに努めた」
加納が何を知り、何を以て鳴海をを擁護したかまでは不明だ。
少なくともそれは加納にとって不都合なことであり、面倒ごとでもあったはずだ。
それでも加納ならば——いや、こいつの言葉を借りれば『みんなの加納琴葉』ならば。
全ての人から愛され、それを是とする加納琴葉なら、鳴海を救うという結論に至ったのかもしれない。
そうして俺たちは加納の誘導に乗せられたのだ。容疑者は部内という可能性を潜在的に否定された。
あの写真は『遠隔操作』によって『生徒会』の人間が撮ったものだと、そう思考してしまうようになったのだ。
「——今となって冷静に考えれば、安城先輩が犯人じゃないことは分かることだった。そもそも安城先輩じゃ、あの写真は撮れないからな」
ただ、それでも間違いだと気付くことはできた。
これは安城先輩が撮影したものではないと、そう言い切れる証拠があった。
呟くようにそう言うと、これまで長く沈黙していた加納が、力のない声で問う。
「……どうして」
「安城先輩は極度の機械音痴だ。放送機器はもちろん、ガラケーを未だに使うほどのアナログ人間だったろ。……あぁそうか。そういえばお前は知らないのか」
言ってから気付く。加納と安城先輩は昨日初めて顔を合わせている。であれば、そもそも安城先輩が機械音痴だということも知らない可能性が高い。
「……そう、だったのね」
「あぁ。超がつくほどのアナログ人間だよ。そんな安城先輩が、部室にカメラを仕掛けて遠隔操作でタイミングよく写真を撮るだなんて、普通に考えたら無理な話だって分かる」
これは加納の誤算だったに違いない。とっさに考えた案とはいえ、遠隔操作の話を否定することも難しい話だ。安城先輩がスマホも使えない機械音痴だとは、まさか加納も考えていなかっただろう。
「じゃああの写真はどのように撮られたのか。……簡単だ。部員である鳴海なら、部室の中から疑われることなく簡単に撮影できる。ただそれだけのことだったんだ。……あの写真に鳴海は写っていなかったしな」
「……」
「だがお前の誘導もあって、俺たちの犯人探しは難航した。一番近い容疑者に辿り着くのに、俺たちは相当の時間を費やしてしまった。……まさかお前まで協力者だとは、さすがに考えもしなかった」
色々と分からないことはある。納得いっていないことも、合点がいかない点も多い。今話したことに綻びだって何箇所もあるはずだ。
けれど、これだけの証拠が揃い、かつ、説明がつくのであれば。
俺はこう結論付けるしかないのである。
「実行犯である安城あかねと、共犯者の鳴海莉緒。そしてお前は犯人が鳴海だとバレないよう手助けをしていた協力者……」
——長い話に終止符を打つ。
「お前は同じ部員である鳴海だけでも助けてやりたい……そんな思いで、この三日間を過ごしていたんじゃないのか」
——加納の秘めた思いに寄り添う形で。
「……それは、とても苦しいことだったはずだ」
今更ながら、俺はそんな言葉をこいつにかけてやるのだ。