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行動原理という名の綻び

 



 きっと、こんな話を始めなくても良かったのだと、今更ながら思う。




 誰のためにもならないのだと、俺自身がそう確信しているからだ。




 俺が加納に問いかけたその言葉の意味、加納はどう受け止めているのだろうか。瞬時に俺の真意は理解したはずだ。……犯人は安城先輩ではない。俺は確かにそう告げた。




「……はぁ?」




 加納の戸惑った表情が目に映る。


 慌てているような、狼狽えているような、そんな様子にも見て取れた。




「今なんて……?」


「……あ? 聞こえなかったのかよ。耳遠すぎだろ。それとも何? 耳詰まってんのか。ちゃんと耳掃除してますか? 大丈夫ですか?」


「違うわよ! どういう意味かって聞いてんのよっ!」




 加納の怒った声と鋭い視線。いや、蔑みの視線か。ゴミを見るかのような目で俺を見ている。……うん。いやでも良かった。この距離で聴こえないくらい、耳くそが詰まってるんじゃねえかって心配しちゃった。杞憂に終わって良かったよマジで。




 俺らくらいの歳になると、耳かきというのは大きな問題になり得る。なぜってそれまで頼ってきた親に耳掃除してもらうのが恥ずかしくなるからだ。そりゃ彼氏彼女がいる奴らは困らないかもしれんが、非リアにとって耳掃除は重要な問題である。いわば誰に耳かきをしてもらうかという究極のイシュー。……さすがに高校生にもなって母親の膝枕は気が引けるし、かといって一人で耳掃除してもちゃんと取れているか分からない。ついには面倒臭くなってあんまり耳かきしなくなるか、妥協して父親あたりにお願いする……とか死ぬほどどうでもいい。マジでどうでもいい。だいたい何の話だこれは。




「しかも私が『知っていた』って……、今アンタ言った?」


「あぁ、言ったな」


「はぁ? いやいやいやいや。そんなわけないじゃない!? もしかしてあんたバカぁ?」




 話を戻して加納との会話。偶然にもアスカ様の名言が飛び出たところで、俺は加納を見据える。そして質問をぶつけた。




「単刀直入に聞く。お前、文化祭が始まる前から、今回の事件の犯人を知ってただろ」


「……いや、何を急に」


「いいから答えろ。もう証拠はあがってんだ。お前は今回の件、色々と不自然だったんだよ」




 強い語気で言い放つも、困惑した様子を見せている加納。ぱっと見、彼女は俺の発言に困惑しているようにしか見えない。実際声を詰まらせ、神妙な面持ちでいる加納の表情からは「狼狽しているのだろう」という推測しか成り立たない。


 しかしどうだ。それは裏を返せば出来すぎた演技にも見える。こいつとの付き合いも長い。加納が何を隠しているかまで知る由は無くとも、何かを隠していることだけは確信できた。




「不自然って……。いったいどういう……」


「最初におかしいと思ったのは、お前がこの恋愛感謝祭を強行すると言ったときだ」




 俺はそう切り出し、この文化祭が始まるさらに前、犯人からの手紙が届いたあの日を思い返す。恋愛相談部全員で今後の方針を話し合い、犯人の意に背いて企画を強行すると言う案に至った、あの日のことだ。




「犯人からの手紙は、俺たちに対する脅迫だった。ご丁寧に写真まで同封されていて、意味ありげなことが書かれていたよな。お前の今後が危ぶまれることだと、誰もが理解できた。……だから俺は、お前が強行作戦に出るとは思わなかった」




 他ならぬ加納への脅迫。それは加納にとって最大の危機とも言える事態だった。当の本人も最初は憔悴し、一時は企画の中止も視野に入っていたはずだったが……。






 何を思ったか、加納は突然英気を取り戻し、そして——






「どうしてお前は、あの日、恋愛感謝祭をやるんだと決断できたんだ?」






 そう尋ねると、少しの時間を置いて、加納が反論する。






「……っ。いや、それはあのときも言ったでしょ。あんな手紙一枚に踊らされるのが癪だったのよ。それにせっかく準備した企画が潰れるのもイヤだったし……。だから恋愛感謝祭をすることにしたの」




 加納の真剣な眼差しが、彼女の真意をよく表している。……加納の言っていることは正しい。確かにあの日そんなことを言っていたと思う。これまでの準備を無碍にしたくないのだと。ぐずぐずしていても仕方ないのだと。あの日の加納が俺たちに発破をかけたから、恋愛感謝祭は実現されたのだった。




「そういえば、そうだったな」


「ええ。それにあの手紙には『写真をばら撒く』とまで書かれていなかったわ。だからあの手紙一枚で企画を中止するだなんて判断できなかった。ただそれだけのことよ」




 言い終えると、加納は肩を動かすほどの大きな所作で、ため息をこぼす。




「私の話、どこかおかしいかしら?」


「——あぁ、おかしい」


「……っ。いったいなにが?」




 苛立ちを声に滲ませた加納を前に、俺は臆することなく言い放つ。




「——じゃあ『二枚目』はどうなるんだ? 犯人からの手紙は二枚あった。俺への脅迫を書いた二枚目の手紙には、ハッキリと『写真をばら撒く』と書いてあったはずだ」


「………………それは」




 そうだ。文化祭前日、忘れた頃にやってきたもう一枚の脅迫状があった。そしてそこにはこう書かれていた。『この写真をばら撒く用意がある』と。




 この一文は加納にとって致命的だったに違いない。……いや、致命的でなくてはならない(・・・・・・・・)手紙と言ったほうが正しいか。




 加納は自身のブランドイメージを第一に行動する人間だと俺は知っている。それはつまり自己保身主義と言い換えても良い。多少のリスクならまだしも、自分の正体を流布されるかもしれない大きなリスクを前にして、それでも賭けに出る加納の行動原理が俺は分からなかったのだ。




「文化祭初日、朝のミーティング。あれが最後の決断のときだったと思う。恋愛感謝祭をやるかやらないか。まだ中止を選ぶこともできたはずだ。ここまで犯人から狙われていると知ってもなお、お前は躊躇いすら見せずに恋愛感謝祭をやると宣言した」




 迷いも葛藤もなかったように思える。加納はリスクを承知の上で、恋愛感謝祭を強行したのだ。




「……おかしいというか、お前らしくないと思った。お前は自己犠牲で仲間を救うジャ◯プの登場人物でもなければ、文化祭を楽しんで主人公とイチャイチャ展開を望んでいるマ◯ジンのヒロインでもない。どっちかっていうとチャンピ◯ンとかにいそうな捻くれた悪役タイプだから……、なんつーかこう、うん、お前らしくないと思ったんだ」


「何言ってるのかよく分かんないけど……」




 もちろん俺も何を言っているのかよく分からないが、つまり俺が言いたいことというのは——




「二枚目の脅迫状を見た時点で、お前にとって恋愛感謝祭をやるリスクは計り知れないものになったはずだ。俺宛の脅迫とはいえ、加納が被害を被らないとは保証できないからだ」




 だから致命的ということになる。あの脅迫状が来た時点で、加納が取るべき行動は恋愛感謝祭を止めること一択に絞られるはずだった。






 ——だが、その選択が選ばれることはなかったのだ。






 恋愛感謝祭は加納主導のもとに恙無く執り行われた。まるで犯人の脅迫など意に介していないかのように。あるいは自分は安全だと確信しているかのように。加納はただひたすらに恋愛感謝祭をやることにこだわった。……そこに違和感を覚えないわけがない。




 加納という人物を知っているからこそ、この結果には綻びがあるのだと気付いた。






 では、なぜ加納は恋愛感謝祭を強行できたのか。








 導かれる結論は一つしかない。








「お前が恋愛感謝祭を開いたのは、犯人に心当たりがあったから……。違うか?」








 そして、加納の表情が、わずかに陰ったのを見た。


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