『夜遊び』の真相
モテ男の釈明です
教室の時間が止まった気がした。
もちろん、気がしただけである。
今日も今日とて、時間は相対性理論に基づいて、悠々と流れていく。
だが、俺と智也は違った。俺たち二人の周りの空気だけ、完全に凍り付くように止まったのだ。たぶん物理法則とか自然の摂理とか、そのとき俺たちには適応されなかった。
智也はこれでもかというくらい目を見開き、口を茫然と開け、息を呑むような表情で、明らかに動揺した態度を見せ、俺から目を逸らした。
「…………」
「…………」
「……おい智也お前」
「――いやいやいやいやいやいや違うんだっ! ちょっと話を聞いてくれっ!」
慌てて荒げた声をあげた智也。鬼気迫る表情である。あまりに必死に否定するもんだから逆に怪しい。
「いやその……。ちょっと、思い当たる節があったんだ」
「浮気のか?」
「……陽斗。茶化さないでくれ」
「いや別に茶化してないんだが。普通に疑ってるんだが」
俺の猜疑の念は言葉となって智也を追い詰める。こんな奴が浮気をするはずがないと思ってた時期が俺にもありました。
だがそんなのはどうやら幻想だったらしい。やっぱりイケメンは女を食う生き物だったのだ。そして女もまたイケメンを食うのである。これがいわゆる食物連鎖か……。なるほど。連鎖してねえ。
「勘違いしないでくれ。俺は本当に浮気なんてしてねぇよ!」
まだ白を切るか此奴。
「じゃあさっきの間は何だったんだよ」
「それは……。まぁ言うしかないか……」
智也は諦めたような表情で、力のない笑みをこぼす。
あまり言いたくないんだが、と前置きしてからゆっくりと口を開いた。
「――一週間前の話だ。部活が終わって帰り支度しているときに、梓ちゃんから声をかけられたんだよ。今日一緒に帰りませんかって」
「誰だよ梓ちゃん」
知らない女の名前である。マジで誰だよ梓ちゃん。……そういえば男が知らない女の名前を口にしていたら危険だと何かのエロゲーで言っていた気がする。なるほど、俺がこいつの嫁だったらこの段階で離婚届を突き付けているに違いない。なんで俺が嫁なんだよ。
「梓ちゃんはサッカー部のマネージャーだよ。それで、俺は梓ちゃんと一緒に帰ったんだ。寄り道とかするわけでもなく、適当に雑談して、家まで送ったんだ」
「はぁ」
「そしたら……。その……」
そこまで言って、急に智也の歯切れが悪くなる。なんかソワソワしてるし……。なんだよさっさと喋れよ。
「……なんだよ、早くしろって」
ジト目で急かすと、智也は遂に諦めた顔になって口を開いた。
「――いきなり告られたんだ」
「はぁ……。え? はぁ?」
「ずっと前から好きでした、ってな」
マジかよ。
え……、そんなことってあるん……? 急に女の子に告られる……? いやいやそんなことあるわけねえだろ韻を踏んだシャレに決まってるし告られるじゃなくて屠られるの間違いだよなそうだよな?
「もちろん俺は断った。美咲がいるからな……。気持ちは嬉しかったけど、美咲を裏切るわけにはいかないから」
「……それで?」
「梓ちゃんはすごい落ち込んでたけど、彼女がいるなら仕方ないなって諦めてくれることになった。俺も、気持ちに応えてあげられなくてごめんって謝ったよ」
ここまで聞けば、ただのリア充のうらやまけしからん話でしかない。
だが、問題はこの後だった。
「でも梓ちゃん、自分の気持ちに踏ん切りをつけたいから、その日の夜だけでいいからデートしてくれって言ったんだよ」
「おう……」
「最初は断ろうと思ったけど、必死にお願いする梓ちゃんを見て思ったんだ。こっちも梓ちゃんの気持ちを無下にしたくない、ってな……」
「……待てよ。それでその日の夜にデートしたのか」
「ああ。駅前を二人でブラブラして、買い物して、飯食って。それから――」
「なるほど。神聖な行いをしたんだな。――ラートム」
「帰ったんだよ! 陽斗は俺のことなんだと思ってるんだ……」
悄然とした声を出す智也に、俺は「すまん」と平謝る。
もしかして春日井が見たっていう『夜遊び』は、このデートのことなのか……。
「だから、俺は浮気してたとか、そういうのじゃねえんだ」
「要するに、智也はその梓ちゃん……? っていう子のためにデートをしていた、と」
「そうだな」
「春日井に対して疚しいことをしたりは……?」
「してるわけないだろ。最初からそう言ってるじゃねえか」
智也の怒ったような表情は珍しい。いつもヘラヘラ笑っているような奴だから余計に。
愁眉を開いていると智也がギロリとこっちを睨んでいた。
「陽斗、俺のことめちゃくちゃ疑ってたよな? 友人として悲しかったぞ?」
「ははは……。どうも」
いやいや、俺はもちろん信じてたぞ……? 智也がそんなことするはずがないって……。ほ、ほんとだよ……? だからそんな睨むな睨むな。怖ぇだろうが。
つまり、ここまでの話をまとめると……。
春日井が見たという『夜遊び』は見間違いではなかったが、浮気現場ではなかった。要するにただの勘違い。智也は部活の知り合いに告白され、仕方なく一日だけデートに付き合っていたに過ぎない、と。
ていうか。
そんなことあったのかよ……。全然知らなかったぞ俺……。
だいたい俺は智也に彼女がいたことさえ昨日まで初耳だったのだ。
そりゃあ言いたくないこともあると思うが、友人である俺に少しくらい相談があってもいいんじゃないか?
――もしかして、だが……。考えたくないこと、だが……。
智也と俺は、実は友人ではないのだろうか……。
つまり、俺は智也のこと友達だと思っていても、智也は俺のことを友達だとは思っていない的な……? だから彼女のこととか色々話してくれなかった的な……? なにそれ悲しすぎるだろ。
悲しくなったのでこの際聞いてみることにした。
「お前ってさ、俺の友達でいいんだよな?」
「なんだ急に。気持ち悪いな、陽斗」
「うるせえ。彼女のこととか、なんで俺に黙ってたんだよ」
なんか子供みたいな発言してるなぁ、俺……。別に智也が彼女のことを誰に言おうが勝手だってのに……。
友人だからといって、自分の悩みや相談事を打ち明けなければならない道理はない。そんなことを押し付けていては、それこそ傲慢という他ない。
「なんだよ……。拗ねてんのか」
「俺はお前を友達だと思ってたんだけどなぁ」
「……悪かったよ。別に隠してたわけじゃない。誰にも言わなかっただけだ」
少しの間をおいてから、智也は呆れたように笑って続ける。
「別に言いふらすことじゃないと思ったから、あえて言わなかったんだよ。美咲のことは本当に好きだし、ちゃんとあいつの気持ちには応えていきたい。しっかりしたいんだ、俺は。たかが高校生の恋愛って思われるかもしれねえけど、本気で恋愛してえからさ」
「…………」
そう語る智也の瞳は、今まで見たことがないくらいに輝いていて。
思わず俺は、
「…………ぷっ」
「おい陽斗、いま笑っただろ?」
「いや、ふふっ、す、すまん」
こんなの……、笑うなという方が無理だ。
まっすぐバカみてぇに自分の恋愛が如何に本気かを語るような奴が、浮気なんてするはずないよな、そりゃ。やっぱり智也は智也なんだと気付いた。当たり前だけど。
「智也が春日井に本気なのは何となく分かってたよ」
「なんだそれ」
「お前、他の仲いい女の子はみんな『ちゃん』付けなのに、春日井だけは『美咲』で呼び捨てなんだな」
「……は? まあ、言われてみれば……、そうだな」
「自覚無かったのかよ」
俺が突っ込むと、智也はいつもの笑顔で俺を小突いた。
と、チャイムが鳴った。もうホームルームの時間だ。
「今回の件、春日井には俺から説明しておくよ。その方が都合も良いだろ」
「……ああ。そうだな。迷惑かける」
苦笑いを浮かべる智也に、俺は自然と言葉を紡いでいた。
「いいよ、これくらい。だって友達だからな」
いつもなら絶対に照れくさくて言えないような台詞。なんだよこれ。ちょっといい話みたいじゃねえか。アオハルかよ。
……ああでも。
失くしたゲームは買い直してもらうからな。それだけは絶対に忘れねぇ。