二日目:加納琴葉とさるぼぼ
文化祭はつつがなく行われている。
現在、午後三時過ぎ。そろそろ二日目も終わろうとしている頃合いだ。
俺と加納のミッションである『伏見の尾行』は予定通り継続中である。今も加納と一緒に伏見を追ってはいるのだが……お化け屋敷の一件以降、俺たちの尾行は散々な結果だった。
というのも、ターゲットである伏見を見つけても、すぐに見失ってしまうのだ。
伏見は各クラスや団体のチェックに回るわけだから、当然その教室に入って生徒会の仕事を行う。
部屋の中へ入った伏見を外から観察することはできない。だから俺たちは伏見の状況を観測しようと教室に入る……ところまではいいのだが、そうなると俺たちはお店にやってきた『お客様』という扱いを受けることになるわけで。するとどうだろう。イベント内容によっては尾行どころではなくなってしまうのだ。
良い例が先刻のお化け屋敷だろう。加納が発狂したもんだから、伏見の尾行どころではなかった。
忠節高校の文化祭は本気そのものだ。他にも演劇や映画上映、マジックショーなどなど。伏見のことを目で追いたくても、そうさせてくれないイベントが目白押しである。皆んなが皆んな、自分のグループが出す企画に誇りと自信を持っていることも相まって、どうしてもイベントの方へと目が向いてしまう。
ああそうだ。気付いている人もいるかと思うが、これがどういうことか説明すると……。
——つまり、俺たちがただ文化祭を楽しんじゃっているというだけの話である。
「——やった! ビンゴ! ビンゴになったよ、陽斗くん!」
「おう、マジか! すげぇな加納! これで景品は俺たちのものだっ! …………っておい」
とあるクラスのビンゴ大会。このタイミングでふと気付いた。……そうだ。こんなことをやってる場合ではない。楽しんでいる場合ではないのだ。
事は一刻を争う事態なのである。なんで忘れていたのだろう。文化祭を満喫している余裕など俺たちにはないはずで……。
しかし俺と加納はあろうことか文化祭の熱にあてられて、伏見を見つけては逃し、また見つけては逃し……なんていうことを続けていたのだった。
ビンゴ大会から抜け出し、俺たち二人は人気のない階段裏にやってくる。
「——やべぇ。マジ何やってんだ俺ら……」
「急にどうしたの? そんな暗い顔して。……ほら? これ一等のさるぼぼだよっ。陽斗くん何も当たらなかったみたいだから……これは陽斗くんにあげるねっ」
「いやさるぼぼとかいらねぇから。さりげなくいらない景品渡されても困るから。……ていうか景品のチョイスおかしいだろこのクラス」
「そう……? さるぼぼ可愛いのに」
加納はそう言って首を傾げるばかりだ。まぁ確かにさるぼぼは可愛いのかもしれんが、男子高校生が好んで欲しがるものでもないだろう。まず持ってる人を見たことねぇよ。……さるぼぼが好きな人はごめんね。
そんなことを考えている俺の横で、呑気に加納がさるぼぼと自撮りをしていた。意味不明なツーショットだが、加納は迷わずSNSにその写真をあげたようだ。「あっ、早速いいねがついた!」とか言っていた。……すげぇなあ。そんな工夫もクソもない写真でバズる加納が羨ましいなぁ。俺の裏垢SNSにアップされてる写真を見せてやりたいぜ……。阿鼻叫喚の画像が勢揃いで嗚咽すること間違い無し……。くくくっ。まぁ、フォロワー0だから誰にも見られないんですけど。
んなことより、伏見だ。もう二日目も終わろうとしている。
俺は加納からさるぼぼをひったくった。
「——ちょっ!? 何するの!」
「何するのじゃねえよ。伏見を追うんじゃねえのかよ」
「そ、それはそうだけど……」
加納は唇をとんがらせて、小学生が言い訳するみたく言った。
「せっかくの文化祭だから、ちょっとくらい楽しみたいなぁって……」
「んなこと言える立場じゃねえだろ……。お前の写真がばら撒かれるかもしれないんだぞ。いいのかよ?」
「それはもちろん良くないけど、それとこれとは別じゃない?」
「別、ねぇ……」
どう別なのだろうか。テンでわからん。飯食った後のデザートは別腹みたいなもんか。なるほどな……。それなら分からんでもない。うん。いや、分かんねぇよ。
加納の置かれている状況を考えれば、文化祭を悠長に楽しんでいる余裕はないはずである。
「……お前、やっぱり今回の一件何か知ってるだろ」
「何かって?」
「いや、なんつーかこう……。こんな事態になってるのに、お前からあんまり危機感を感んじないんだよな……。いつものお前ならもっとピーピー騒ぐはずなのに」
「ピーピーって……」
加納が不満そうな声を漏らす。いやいや。上手い擬音が思いつかないからそう言ったまでだ。より正確にはギャンギャンとかドッカンドッカンの方が良いかもな。こいつは怪獣か。
「本当に何も知らないわよ」
「そうか? その割には落ち着きすぎじゃね……?」
「そういうアンタこそ、だいぶ落ち着いてるんじゃない? 冷静に犯人の分析なんかしちゃって……。アンタも写真ばら撒かれるかもしれないのに」
「誰のせいだ誰の!」
「別に私のせいではないでしょ……」
そうだっただろうか。俺が厄介ごとに巻き込まれるのって、大抵加納のせいだと思っていたんだが。今回の一件だってあながち間違いではないはずだ。それもこれも全部、俺を恋愛相談部に引き込んだ加納のせい。Q.E.D. 証明終了。
まぁ何にせよ、加納が何も知らないって言うのならそれまでの話か。仮にこれ以上加納を問い詰めたところで、そして加納が本当は何かを知っていたところで、きっとこいつは口を割らないに違いない。俺の勝手な予測ではあるが。
となると、やはり伏見を追ってヒントを掴むしかないわけだが……。
「で、どうする? また伏見くんを探す?」
「どうだかな……。これ以上伏見を追っても、何か情報が掴めるとは限らない」
「まぁ、そうね」
伏見の尾行が完全でなかったとはいえ、決して収穫がなかったわけでもない。その収穫というのはずばり『今日において怪しい行動は見られなかった』ということだ。
伏見は淡々と生徒会の業務をこなしていた。各クラスが出展に対して適切な管理をしているかの確認、演劇などの大規模なイベントでは人員整理、そして困ったことがあればその場で相談に乗るなど、生徒会メンバーとして十分すぎる活躍をしていたように思う。
逆に言えば伏見は、俺たちの目の届く範囲では何ら不審な動きがなかったということになる。恋愛感謝祭が明日である以上、犯人は今日という一日を無駄にできないはずだ。もし犯人が伏見だとしたら、さすがに何かしらのアクションを起こしても良いはずなのだが……。
「——今になって、犯人は伏見じゃない可能性が出てきた……。じゃあ誰が……」
誰が、こんなことをするのか。
俺たちを脅して得する人間なんて、誰かいるだろうか。
いよいよ分からなくなってしまった。決定的な証拠を掴めぬまま、俺たちはこうして為す術なく二日目を終えようとしている。
今回の騒動については、本当に何もかもが分からないことだらけだ。
生徒会のこと、俺たち恋愛相談部のこと、そして恋愛感謝祭のこと……。
何かを見落としているのか、あるいは犯人が尻尾を掴ませてくれないだけなのか。
分からない。分からないままで。
隣にいる加納を見ながら、俺は鬱屈とした気持ちを拗らせるしかなかった。