二日目:加納琴葉と文化祭マジック
「ぎゃぁぁぁぁっ!?」
腹から声が出た。びっくりした。
こんなにも俺ってば大きな声が出るんだと自分で感心したくらいだった。それはもう凄まじい絶叫。
目の前に現れた包帯ぐるぐる巻きのお化けに、俺は腰を抜かしていた。
「ああああぁぁぁぁぁ!?」
——結論から言おう。このお化け屋敷はガチだった。
次々と俺たちに襲いかかる恐怖の数々。その一つ一つが妙にクオリティ高くてマジやばい。
いったいどこで手に入れたのだろう。妙にリアルな血糊だったりお札だったり、部屋に入った瞬間から何とも言えぬ淀んだ空気感が漂っていた。それはもう雰囲気からして本物顔負けである。いやまぁ本物見たことないけど。
これまでに経験したことのない恐怖感と寒気。さらに言えば、お化けの種別が一様でないのも怖さを増大させていた。
例えばだ。突然目の前に飛び出してくる「びっくり系」お化け。いつの間にか背後にいて微笑みを浮かべている「時限爆弾系」お化け。直接は脅かしてこないものの、その風貌と演技力でお化け屋敷の世界観を補い観客に不安を与える「実力派」お化け、などなど……。
とにかく普通に怖い。お前らお化け屋敷でバイトでもしてたのかってくらいガチな驚かし方をしてくる。
しまいには内装まで超こだわっていて、道中には井戸だったり仏壇だったり棺桶だったり人魂があったりしたのだ。もうね。プロの域だよこれ。すげえよ。金取れるレベルだよ。……あと人魂はどうやって作ったんですか。まさかこれは本物じゃないよね?
おかげで、怖いものに耐性がある俺でさえ普通に泣きそうになっていた。普段からVTuberのホラゲ実況を見ているが、そんなのと比ではない。投げ銭ではなく、普通に金払って早く出たいと思うくらいには怖かった。
「……作り込みすぎだろこれ」
ところでこういうイベント事というのは、妙に先輩方の出し物に限ってクオリティが高い気がする。後輩に負けられないという気概の表れだろうか。噂によれば、三年生の演劇は演技も脚本も素晴らしすぎて涙必至だと聞いたが……。受験勉強は大丈夫なんですかね。この文化祭が終わったら燃え尽きちゃったりしませんかね、マジで。
とまぁ要らぬ心配はさておき。
確かにこのお化け屋敷、怖いが進めないほどではなかった。日本の某テーマパークではリタイア地点が置かれるほど怖いところもあると聞くが、さすがにそこまでの怖さではないわけで。少なくともこうして馬鹿な思考に浸れるほどの余裕はあるようだ。
歩みを進めていく。……と、服の裾が誰かに引っ張られた。
「………………ぅぅ」
「……おい。大丈夫か、加納」
不気味な掠れ声だったので一瞬お化けかと思ったが、違った。俺を引っ張ったのは一歩後ろに居る加納のようだった。
暗闇で表情こそ見えないが、明らかに元気がないことだけは分かる。そしてこれでもかというくらいの前傾姿勢。お化けを見たくないのか、はたまた身を守っての行動か。いずれにしてもこれでは加納は前へ進んでいけない。ていうかさっきからマトモに前へと進んでいないのだ。
「もう中盤は過ぎてるぞ。頑張れ。もうちょっとだ」
「………………」
「おい」
「…………むり。すすめない」
「いや、そんなこと言われても」
「…………こわぃ。もうむり。おいてってください……」
「…………っ」
すごい弱気な声だった。あの加納がここまで怖いの苦手だとは……。
加納は置いて行けと言うが、そういうわけにもいかないだろうに。というか置いて行ったら困るのはお前だろとツッコみたくなった。いや、ツッコまないけどさ。
「いいから、ほら、進むぞ」
「………………ほんとにむり。ごめん、ほんとに……」
「…………」
その声はもう、ほとんど泣きそうなものだと気づく。やはり加納の表情は見えないけれど、それでもこいつがどんな顔をしているのか簡単に想像がついた。
伏見の捜索は俺たち二人の責務だ。ここに加納を連れてきたこと自体、俺には何ら咎められる謂れなどないだろう。
まぁ、そうは言うものの——なんだ。
「…………」
ちょっぴり胸に刺す痛みを感じた。自責というか慚愧というか。そんな感じの気持ちである。……こういう気持ちになるとき、大抵は自分にも非があるもの。何となく、そんなことを思った。
伏見はこの教室にいる可能性が高いが、暗闇に包まれたこの教室内を捜索するのは困難だ。であれば早くこの教室を抜けて、どこかで伏見を待ち伏せした方がいいのかもしれない。ここに長居する理由もないだろう。
お化けに怯えるこいつをここに置いていく意味も勿論ない。二人でこの場所を出ることが先決となるはずだ。
だから、その手を差し伸べる意味もあるはずで——
「ほら、いくぞ」
「——えっ」
差し伸べた手は、自然と加納の手を掴んでいた。
今さら恥ずかしがることも照れることもない。加納とは幾度となく拳を交えた仲だ。手を繋いで引っ張ってやることくらい、俺たちにとっては造作もない簡単なこと。
せめてもの情けで袖だけ掴んでやることもできたが、暗闇に包まれた視界ではどうしようもない。だからぶっきらぼうに手を取るしかなかった。その手はしっかり加納の手と繋がれていた。
——加納は何も言わなかった。
いつもならすぐに逆側の手でカウンターパンチを打ち込んできたりボディブローを決めてきたりするのだが……。大人しく手を掴まれたまま、連れられるように歩みを進めている。まぁ今の加納は憔悴しきっているし、無理もないんだろうな。本調子でないといった具合だ。手を掴んだ文句なら、後でいくらでも聞いてやるか。それくらいの罰で済むのなら俺としても助かる。
——何というか、本当に訳のわからない関係だ。俺たち二人というのは。
別にラブコメ関係になりたい訳じゃない。友達というのも少し違うし、知り合いというほど浅い関係でもない……と思う。
この関係をうまく形容できるほど、俺は賢くないようだった。どんなに考えても答えなんてちっとも見つからない。考えれば考えるほどむしろ分からなくなってしまうのだから始末に負えない。
でも誰かにこの関係を名付けられたとき、俺はそれを肯定するのだろうか。誰かに答えを教えてもらったとき、それを俺は認められるのだろうか。
……分からない。
分からないけれど。どうしようもなく分からないけれど。
いっそこのまま。この流れのまま関係を進めたのだとしたら……。
文化祭の流れに乗じて、俺たちの関係に名前をつけてみるのだとしたら……。
それはそれで……。
きっと……。
きっといい方向に……。
…………。
…………なんて。
——思うのも束の間だった。
『——寒いですね』
「「…………っ!?」」
目の前に現れた、雪のような白い肌の女性。
どこまでも冷たそうな視線をこちらに向けて、その美人は笑っていた。
『——どちらから殺して差し上げましょうか?』
「…………」
「…………」
微笑みとは裏腹に物騒な言葉だった。
あまりに気迫ある演技に、俺も思わず後ずさる。
——雪女、というやつか。
他のお化けとは風格が違う。直感でそう思った。その美しさもそうだが、何より氷のように白い肌と精気を完全に失った声。別格だ。恐怖の中にも彼女には惹きつけるものがあり、不気味さをより醸し出している。
早く次へ行こうと思い加納の手を引っ張る。
が……完全に震え上がった様子の加納が恐る恐る口を開いた。
「——あ、あのっ……、こっちの、この男から……、どうぞお願いします」
「おい」
え、何言ってんだこいつ。
ソツなく仲間を売ったこの女。雪女に向かってなんかすげえお辞儀して謝ってる。俺のことをめっちゃ指さして「こいつです、こいつ」とか言ってた。
おいふざけんなと思って手を解こうとするも、向こうからガッチリ掴まれている。手を離してくれる気配はない。マジで俺のことを生贄にするつもりのようだ。いやなんでだよ。放せよ。
見れば雪女も演技を忘れてちょっと笑っていた。ていうか普通に笑ってた。なんか俺が笑われているみたいで居た堪れない気持ちになった。
とまあこうして。
俺と加納の文化祭マジックは、ものの十数秒で幕を閉じたのだった。