一日目:鳴海莉緒と気になる二人
「はい、お待たせしました。こちらアイスコーヒーです」
「ありがとう。ことちゃん」
「ううんっ。どういたしましてっ」
待つこと十分ほど。ようやく料理が運ばれてきた。
昼時ということもあって、店内は慌ただしい様子だ。
鳴海の前に差し出されたのはアイスコーヒー。背の高いグラスは今どきの北欧デザインというやつで、洒落たシルエットをしている。机の上に置かれると、氷がカランと揺れて涼しげな音が聞こえた。芳醇ながらも爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。
「……はい。アンタにはオムライス」
「おう、悪いな」
そして俺はオムライスを注文。なぜオムライスを頼んだかと言えば、当然メイド喫茶といえばオムライスだからである。ああ。他に大した理由なんてない。
いやむしろ。メイド喫茶に来たからにはオムライス一択である。鳴海はメイド喫茶に行ったことがないから知らないだろうが、こういう店に来た時は脳死でオムライスを注文するもんだ。そうそう。オセアニアじゃ常識なレベル。
さて、俺の前にサーブされたオムライスだが……、実はまだ完成していない。
というのもケチャップがかかっていないのだ。このあとメイドさんにケチャップをかけてもらうことで、初めてオムライスは完成するというワケである。
現に加納がケチャップを握りしめていた。……すげえ嫌そうな顔で。
「——んで、何を描けばいいの? 直線?」
「バカお前。一本の線でご主人様をもてなす気か。ダメに決まってんだろ」
はい。じゃあ何を描いてもらおうかしらね。こういうとき人気のアニメキャラだとか『俺の嫁』だとか頼むのがセオリーなんだろうが、加納が俺の注文について来れるはずもない。こいつアニメキャラとか知らなそうだもんな。
となると……。
「俺の似顔絵とかどうだ? 普段から見てる分描きやすいだろ」
「……似顔絵? 確かに嫌と言うほど見てるけど……。アンタの顔って特徴がないから逆に難しいのよね……」
「そうですか……。てか嫌とか言うな」
心にグサリ。ちょっとだけ悲しい気持ちになってしまう。そういうさりげない一言で人は傷つくんだからね? 覚えておくように。……ってまぁ俺もお前のこと嫌と言うほど見ているんだが。
「もう何でもいいから描いてくれ。特にこだわりなんて無いし。……ああ、でもできればイケメンに頼む。イ○スタ映えするやつだと尚良し」
「注文が多いわね、まったく……。分かったわよ」
ここは注文が多い喫茶店である。注文が多いのは論を俟たない。
ちなみに俺はもっぱらのツ○ッター、もといX派である。イ○スタなんてやったことすらない。プリクラなら智也とやったことあるけど。……イ○スタってプリクラみたいなもんだよね? そうだよね? 違う? 違うか。
でも最近のアプリってプリクラばりに加工できちゃうから本当にすごいと思う。この前暇つぶしに話題の写真アプリで自撮りしたんだが、『これ誰だよ』ってなるもんね。まず顔の輪郭からして違う。エラがすごい削れる。本当に。マジで。びっくりして、今度は頬をめちゃくちゃ凹ませたらどこまで顔が小さくなるか試したくらいだ。一人で何やってんだ俺は。
と、一人で自分にツッコミを入れていたときである。
——視界の端に気になる人物を見た。
男女二人。その二人は明らかに俺が見知っている人物だった。
「……どうしたの? 柳津くん」
「いや、あそこにいるのって……」
ちょうど他の客がいたせいで死角になっていたらしい。これだけの時間が経ってから気付くというのは些か遅すぎるのかもしれないが、なんせ意味もなく繁盛しているクラスだ。無理もない。
しかし意識した今でなら、彼らの存在を見逃すはずもないだろう。
「会長と、副会長……」
そこにいたのは、今しがた席を立った知立会長と田神副会長。
ちょうど会計を済ませて、ここを出ていくところだった。
俺たちとは反対側の席にいたようで、彼らが出入り口に向かうまでの動線に俺たちはいない。店員に見送られながら、会長は余裕を感じさせる涼しい顔を浮かべ、田神はぎこちなくも笑顔を見せていた。二人の姿は、扉が閉まることによって完全に消え失せる。
なんで、あの二人がここに……。
「あぁ。もしかして会長たち? 二人なら、結構前からいたわよ?」
「……なんだ加納。知ってたのか」
「そりゃね。メニュー運んだりしてたら見えるもの」
ケチャップで絵を描きながら、加納が淡々と言った。
「会長たちが来たのは、陽斗くんたちが来た少し前だったわよ。外で会わなかった?」
「いや、どうだろ……。会いはしたんだけどな……」
「なに? 歯切れ悪いわね」
「いや、ちょっとな……。それよりひとつ聞いてもいいか?」
「なによ?」
加納が少し真面目な顔をしてこちらを見る。……そうだな。この際だから聞いておくべきだろうか。
いろいろと考えていることはある。俺たちが背負っている問題も山積みだ。
しかし今胸に抱いた疑問が何かの答えにつながっていると、根拠もない思いが心のどこかにあって——
そんな取り留めのないことを思いつつ、俺は加納に質問をぶつけた。
「——あの二人は『ここへ何しに来た』んだ?」
「……はぁ? 何言ってんの。何しに来たって……そりゃ、カフェでお茶をしに来たんでしょ。実際コーヒーとか頼んでたみたいだし」
「そうか。そうだよな」
予想通りの返答を聞き、俺は静かに溜め息を漏らす。
「……じゃあもう一つ。俺たちが来るまでの間、会長たちと何かやりとりはあったか?」
「? やり取りって?」
「なんていうか……事務的なやり取りっつーのかな? あの二人は生徒会のメンバーだから、文化祭中もそれぞれの企画が正常に動いているか見て回ってるらしいんだが……」
問うと、加納は合点がいった様子で俺を見る。
「あぁ、なるほど。うーん……。そういうのは無かったと思うけど……。見てないだけかしら……?」
唸りながらも記憶を掘り起こしているようだが、ついに加納が首を縦に振ることはなかった。
加納は会長たちの存在を最初から認識していた。彼らが生徒会メンバーとして、このクラスと事務的な連絡をやりとりしていたならば、その様子を加納が見ていないのは不自然と考えるのが妥当だ。
であれば、会長たちがここへ来た理由は別にあると考えるべきで。
生徒会としての役割を越えた、何か特別な理由。
その理由とは何か——
俺たちや安城に対して、あやふやで不透明な受け答えをしてまでここへ来た理由……。
何となく、俺はその答えに勘付いているのだが……。
「——ていうか、おい」
「……なによ?」
「『なによ』じゃねえよ。これなんだよ」
ふと視線を落として気づく。加納が俺のオムライスに描いていたのは、どこからどう見ても人の顔ではない。鼻がこれでもかというほど大きく、唇もバカみたいに分厚い生き物。俺はこの生き物を、どこかで見たことがある……。
「なんだっけ、これ。くそ、思い出せねぇ……」
「ではお二人ともごゆっくり〜」
そう言って加納は去ってしまう。鳴海が苦笑いを浮かべてコーヒーを啜る中、俺は悶々とした表情でオムライスを眺める。徐々にケチャップで描かれた絵は崩れていき、もうほとんど原型を留めなくなったその瞬間、ついに思い出した。
「——かぁっ! 思い出したっ! ブロブフィッシュ! ブロブフィッシュだわ! よかったぁ、思い出せたわー。マジすっきり——って、加納どこ行きやがった! ふざけんな! あと店長! 店長を呼べ!」
「柳津くん、オムライス冷めちゃうよ……?」
鳴海にそう言われ、間一髪で我に帰る俺。
見れば鳴海のグラスにもうほとんどコーヒーは残っていない。代わりに陽の光をいっぱいに浴びて、グラスは乱雑に光を反射しているばかりだった。