一日目:鳴海莉緒とラブコメの波動
明けましておめでとうございます
どうした俺のラブコメ。
いきなりこんな急展開があるものか。
驚きのあまり思考が停止している。どうしたらいいのかテンで分からない。
混乱した頭と、乱れる呼吸、そして謎の動悸。さっきから発汗も止まらない。なるほど、どうやら俺は焦っているらしい。頼んでもいないのに心臓はバクバクと動き、全身に血液を運んでしまっているくらいだ。……いや、それは当たり前か。何言ってんだ俺。止まってもらっちゃ困る。
——鳴海からの誘い。それは一緒に文化祭を見て回ろうというものだった。
目の前を鳴海が歩き、その後ろを俺は黙ってついていく。特に鳴海は慌てる様子も見せず、平然とした様子で俺のことを誘った。それどころか、俺のことを追いかけてまで声をかけたのだ。「一緒に回ろう」と……。おいおい、どうなってんだこれ。急展開すぎてわけがわからないよ……。どれくらいの急展開かって、三話でマミさんがマミっちゃうくらいの急展開。
加納の命令で、俺と一緒に行動を共にしなければならない——というのならまだ分かる。それは言うなればオフィシャルなイベントだ。部活に何らかの利益が生まれるのなら合理性も認められるし、俺だって何の疑いもなく付き添う事ができる。
だが今回の誘いは部活動の範疇にない。鳴海は自分の意思で俺のことを誘ったようだ。そりゃ驚くに決まっている。驚きすぎて、さっきから口がパクパクしていた。……どういう驚き方だよ俺。鯉か。
「……ど、どこいくんだ?」
「えっ? そうだね……。さっきも言ってた、私が気になってるカフェ……かな?」
向かうは一年生棟。確かカフェをやっている一年のクラスがあるんだっけ。宣伝しているのを見かけたな。恐らくそこへと向かっているのだろう。
……いや、そんなことはどうでもいい。どこへいくとかどうでもいい。
俺の頭の中は、先ほどの鳴海のことで一杯になっていた。
「一緒に……見て回ろうよ?」
……このセリフが、頭から離れんのです。
鳴海の上目遣いをダイレクトに食らった気がする。何だよあれ。反則すぎるだろ。可愛すぎてキュン死するかと思ったわ。
このお誘いに、何か意味を見出さずにはいられない。そりゃそうだ。突然の文化祭デートだ。そもそも好意がなければ、あんな誘い方になったりはしない。
一体全体。鳴海は何を考えているのか。……もしかして俺のことが好きなのか? そうなのか!?
「——ついたよ」
「いやぁ、着いちゃったかー。残念だなぁ。もう少し行路を楽しみたかったなぁ……って、あれ、なにここ?」
俺の目の前に現れたのは、洋風な雰囲気を醸し出している教室。
ステンドグラスだったり煉瓦造りの壁だったり、どことなく異国感があるというか、レトロな雰囲気が洒落ているというか、そんな感じの場所だった。外構えにかなりの力を入れているようで、思わず最初に「凝ってるなぁ」という感想が出てきた……まではよかった。
看板が目に入る。
「……どうしたの?」
「いや……なんか……。そこに『山猫軒』って書かれてるんだけど……」
その店名の意味を理解するのにそれほど時間はかからない。聞いた事が何度もあるからだろう。それにこの外装と雰囲気……。なるほど、これはかの有名な宮沢賢治の代表作『注文の多い料理店』のオマージュということらしい。博識な俺である。すぐに分かった。
つまりこれはコンカフェ。あるコンセプトに基づいて世界観から体験してもらう、文化祭では定番の企画だ。入り口には「どうぞご遠慮せず入ってください」とか書かれてるし、これもう完全に賢治ワールド。ジョバンニとか出てきてもおかしくないクオリティである。
そんな中俺が慄いているのは、テーマとして選ばれているのが『注文の多い料理店』であるということだ。
「……あのー、確認なんだけど」
「うん?」
「ここが、鳴海の気になっていたカフェとやらで合ってる?」
「……う、うん」
遠慮気味に鳴海が頷いた。……そうかそうか。鳴海はここに来たかったと。
さて、皆さんもご存知だろう。
——あの作品において、来店した二人の男は食べられそうになるのである。
それを踏まえて、もう一度。
「本当に? 本当にここが来たかった場所?」
「うん。そうだけど……。何か変だった?」
「いや、別に変じゃねえよ。大丈夫だ。……ちなみにこのカフェの元ネタは知ってるか? 世にも恐ろしいホラー小説なんだが」
「……いやいや、ホラーじゃないよ。童話だよね……? 最近になってこの作品を読んだから、ちょっと気になってたの」
「なるほどな。読んだことがあるなら話が早い。——じゃあ俺がここに入ったらどうなるか分かるよね? 知ってるよね? ……俺食べられちゃうんだよ?」
「そ、それは……」
そう言うと、鳴海が恥ずかしそうに笑ったのを見た。
ちょうど窓際——彼女の笑顔は斜陽に照らされ、スポットライトを浴びているかのようで。彼女がこの世界の中心に立つかのような、そんな佇まいを見る。
それは、光の中で輝いた嫣然たる微笑みだった。
「入ったらどうなるのか……気になったから……」
「さいですか」
……まぁ、どう取り繕って表現しようが、そういうことだ。
鳴海の恍惚にも似た表情が全てを物語っている。さっきから俺なんかではなく、店の方ばかり見ていた。
どうやら鳴海は好奇心を満たすためにこのカフェへとやってきたらしい。そして俺は鳴海の好奇心を満たすための人柱。このきな臭いカフェに特攻して俺がどんな顛末を迎えるのか見たかっただけというわけだ。なるほど納得。それなら鳴海の行動にも説明がつく。あははっ、いやっ、俺のドキドキを返せこの野郎。
そういえば……。いつかの日、鳴海が部室で読書をしていたときがあった。あのとき読んでいたのは確か俺も読んだことのある本だった気がしたのだが……。……えっ、あれって宮沢賢治だったってこと? だから注文の多い料理店ってこと? そういうこと?
——記憶を掘り返す。いや間違いない。絶対あのとき読んでた。
自分の推理力の高さに思わず肩を震わせる。ふふふっ。おかげでどうでもいい伏線が回収された。うん。もはや伏線ですらないね。
「柳津くん、一緒に入ってくれないかな?」
「……うん。まぁいいよ。せっかく来たしな」
まぁアレだ。男っていうのはよく勘違いする生き物だからな。無様を晒す前に気付けて良かったよ、マジで……。危ない危ない。うっかり「俺のこと好きなの?」とか言っちゃうところだった。そのまま高校生活終了しちゃうところだった。——っぶねぇ、マジで綱渡りすぎる俺の人生。
ある意味結果オーライである。勘違いだったのは些か惜しい気持ちもあるが、俺の勝手な誤解なのだからどうということもない。むしろ助かったという気持ちの方が強いまである。鳴海が俺のことを……だなんて、夢物語にも程があるな。
さてさて。ここは鳴海のご希望通り入ってあげますか。
胸騒ぎが消えた今なら冷静にものを考える事ができる。普通に考えて、いきなり化け物に取って食われることはないだろう。じゃなきゃ出店停止だし。
それにどういうコンセプトかは知らんが、俺も興味が湧いてきた。せっかくの機会に乗らない手はない。……加えて連れが鳴海という安心感もある。過度に心配することはないだろう。
これがもし、一緒に入る相手が加納だったらどうなるだろうか。「……ふん、いいじゃない。アンタは元から顔がしわくちゃなんだから」とかうまいこと言ってきそうだ。——くっそ、ムカつくな……。本人が言ったわけでもないのに、想像だけで腹が立ってきた。一緒に入るのが加納じゃなくて良かった。
なんて、くだらない考えはさておき。
俺は一呼吸おいてから、扉に手をかけたのであった。
年末年始に書き溜めようと思ったんですが……、無理でした。サボってこたつの中にずっといました。
今年も粛々と書いていきますので、どうぞよろしくお願いします。