一日目:鳴海莉緒とサボタージュ
「あっ、おかえり」
「……おう」
俺が鳴海のところへと戻ったのは、トイレに向かってから十分以上経った後のことだった。智也たちと話をしていたせいで、予定よりも大分遅れてしまった。
結局長いこと待たせてしまって申し訳ない。俺は謝罪の表情を滲ませつつ鳴海から看板を受け取った。……と、そうするや否や、鳴海がめちゃくちゃ俺の下半身を見ているのに気づいた。
「ど、どうした……?」
「大丈夫だった? 結構長かったけど……」
「おう……。視線、上げてくれ?」
どうやら鳴海は俺の健康状態を案じてくれているみたいだった。まぁ長い間席を外していたからな。心配をかけてしまったらしい。……でもそんなに俺のケツを見ても何も出ませんよ? 出せませんよ?
「俺がいない間、何かあったか?」
「ううん。特には何も。……柳津くんこそ何かあった? なんだか疲れてるような?」
「そ、そうか……? 気のせいだろ……」
鳴海のその発言は図星だった。実際のところ俺は疲れていたと思う。
トイレで聞かされたあの話——突然だったこともあって未だに動揺している。智也が伏見と知り合いだったことも驚きだが、伏見が会長のことを好いていたのはかなりの衝撃だった。
それだけではない。
散々話を聞かされたあとに、智也は俺に協力を打診してきて……。
「実はな、ここだけの話……。伏見は陽斗たちがやるイベントで、告白しようと思ってるんだ」
「——ちょっ、大里くん、そこまで言わなくても……!」
「……えっ、な、なに? どういうこと? イベント? 告白?」
情報が追いつかず混乱している俺に、智也は畳み掛けるように口を開いた。
「あぁ。恋愛感謝祭……だっけ? ちょうどいい機会だ。あの場所で伏見を漢にしてやるんだよ」
「何言ってるのか全然分かんねえけど……。えっと、つまり……?」
「だからな? 伏見がこの文化祭で思いを告白できるように、俺たちでサポートしてやりたいって話だ」
そんなような話をすること数分……。そりゃ疲弊困憊するってもんだ。
もう何が何だかワケワカメである。あまりにも情報量が多すぎる。
話を聞いていただけで疲れてしまった。いや、疲れるだけならまだいい。あれよあれよと話は進み、いつの間にか俺が伏見をどうやってサポートするか検討する会になっていたのだ。
智也は俺に協力関係を要請してきたものの、いきなりこんな話を受けられるはずもない。流石に有耶無耶にするしかなかった。
だってそうだろう。こんな状況下で他人の恋愛相談などできたものでは無い。結果的に本人の努力次第……なんぞ適当なことを言って逃げてきたわけである。やっとの思いでこの場に来たのだから、鳴海に気疲れを見抜かれてしまったのも当然かもしれない。
そんなことを思いつつ、隣の鳴海を一瞥する。不器用ながらも懸命に声を張る彼女の姿がそこにはあった。俺がいない間にも、こうして宣伝を頑張っていてくれたに違いない。……うん。そうだな。さっきの話は一旦忘れよう。優先順位というやつだ。今は目の前のことに集中しなければならない。
伏見の件は確かに気がかりだが、それよりも今は俺たちの置かれている状況の方がヤバいのである。いや、マジで。火を見るより明らか。二日後に(社会的に)死ぬ俺、とかいうタイトルで映画化できちゃうと思う。なんか波紋を呼びそうな題目だなぁ……。
……とはいえ、だ。
「さすがにそろそろ休憩するか。もうずっとここにいるだろ」
「そうだね……?」
休憩の提案。というかサボりの提案。
かれこれずっとこうして突っ立っている。さすがにそろそろ限界だ。俺たちの使命は犯人特定のためのヒントを得ることだが、宣伝だけではどうにもならない……ということにさすがに気付き始めていた。効果があるのか無いのか、そもそも俺たちがこうして宣伝していることに何か意味があるのか、いよいよ分からなくなってきた。
「勢いで宣伝なんかしてみたけど、実際のところ犯人を焚き付けられているのか疑問なんだよな……。犯人の狙いが何なのか、マジで分からん」
「……」
俺たちが宣伝活動をしていることくらい、犯人はとっくに気づいているだろう。あんな犯行声明を出して俺たちの企画を本気で止めたいと思っている犯人であれば、恋愛相談部の行動を注視していない方が不自然だからだ。
しかし依然として、文化祭はつつがなく行われている。とち狂った犯人が問題行動を起こすでも、俺たちに新たな犯行声明を送るでもなく、息を潜めてこの学校のどこかで俺たちのことを泳がせている。
無理やりにでも俺たちのことを止める手段はあるだろうに。……なぜそうしないのだろうか? そもそも目的は何なのか、全くつかめていない。
……まぁ、これ以上頭の中で考えても仕方ないことだが。
「だから、リフレッシュっつーか、休憩でもどうかなって。……せっかくの文化祭だろ? 鳴海もどこか行きたい場所はあるんじゃないのか?」
そう言うと、鳴海は小さく唸った。
「うん、それはまぁ……。他のクラスがやってるカフェとか、気になるかな……?」
「そうか。じゃあ休憩しようぜ。犯人について考えるのは、それからでもいい」
時間的余裕はぶっちゃけ無いのだが、煮詰まった考えを整理するくらいの時間は必要だ。それにこんなところで何時間も犯人のヒントを待ち続けるだけだなんて、苦行にも程がある。もはや拷問だ。忠犬ハチ公でも泣きながら家に帰っちゃうレベル。そんな悲しい運命に、鳴海を巻き込むわけにはいかない。
「いいのかな……?」
「……いいさ。もともと鳴海は巻き込まれてるだけなんだ。あとは俺の方で探ってみるよ」
今は文化祭の真っ最中。これを楽しまない手はない。鳴海は俺と違って友達多いんだし、見てまわりたいクラスや部活もあるはずだ。そう考えると、やはり鳴海の時間を俺や加納のために奪ってしまうことが何より憚られた。
これ以上の犯人探しは鳴海の仕事ではない。当事者たる俺の責務だ。
「でも……」
「いいんだって。とにかく文化祭楽しんでこいよ。……じゃな」
俺は口早に鳴海との会話を打ち切り、その場を後にした。
ちょっと乱暴な感じになってしまったが、それくらいは許してほしいものだ。
こうでもしないと、鳴海は引き下がらなそうだし。自分は関係なくとも、周囲や仲間のために行動してくれる部活仲間——それが鳴海莉緒というやつだ。
これまでの恋愛相談だってそうだった。小牧の件も弥富の件も、彼女は裏で動くことを躊躇わず、いざというときは思い切って行動してくれた。彼女の助けがなければ、俺たちはこれまでの恋愛相談だってうまく応えられなかっただろう。
だから、この一件くらいは鳴海に頼らず、自分の力で何とかしたいという……まぁ、そういう気持ちが心のどこかであったのだと思う。
…………。
さて、これからどうしましょうかね……?
刑事ドラマかなんかで、犯人を探す常套手段と言えば結局『聞き込み』だと俺は知っている。つまり地道な作戦に頼らざるを得ないことは分かっていた。怪しい奴がいないか情報収集でもしようかと思ったそのとき——袖が引かれていることに気付く。
強い抵抗感。何かに服を引っかけたのかと思い、振り返った。
そこにいたのは——
「……っ? どうした? 何かあったのか?」
今しがた俺の跡を追いかけてきたらしい、鳴海の姿があった。
鳴海は少しだけ俯きながら、どこか照れくさそうに笑っていて……。
「せっかくなら……一緒に」
それでいて、まっすぐな眼差しを向けるのだった。
「一緒に……見て回ろうよ?」
都合により、次週投稿をお休みします。再来週から再開いたします。
みなさま、良いお年を。




