一日目:恋愛相談部と文化祭キックオフ
「ついにこの日が来たわ……」
おどろおどろしい感じで、加納がそう口にした。
部室には恋愛相談部のメンバーが集合している。
現在午前八時半。文化祭が始まるのは九時からで、生徒たちは体育館集合と通達されていた。登校してから文化祭開始までは、出展を行うグループで壮行会を行うのが、我らが忠節高校文化祭の常だという。周囲の部活も朝早くから集まっていたし、今年も例外なく験担ぎが行われるみたいだった。
詰まるところ、文化祭を成功させるための作戦会議。
当日の流れを最終チェックしたり、メンバー同士で発破をかけたり、文化祭成功への意気込みを熱く語ったりするのだろう。実際そうすることで士気は高まるし、「これから文化祭が始まるのだ」と改めて思い知る良い契機になる。
しかしながら、恋愛相談部はそうではない。他の部室から気勢の声が聞こえる中、この場所には重い空気が立ち込めていた。いや、もちろん恋愛感謝祭の成功は実現したいと考えている。……考えているのだが、そんなことよりヤバい事案が発生したのだ。——そう。例の事件だ。
加納に対する脅迫から始まった今回の騒動。ぶっちゃけ昨日の夕方までは問題解決に向けてやる気もクソもなかった。しかし、いまやこの一件は俺の社会的生死に関わる事案となっている。失敗すればこの高校に俺の居場所はないだろう。当然この作戦会議には一番乗りで参加した。
「みんなも知っている通り、私たちは謎の犯人から脅迫を受けているわ」
加納が改まった様子で話している。その表情は真剣そのものだ。鳴海も弥富も、もちろん俺も、加納の演説を黙って聞いている。
「私だけじゃなくて、陽斗くんも被害に遭っている。どうやら犯人は本気で私たちを貶めようとしているみたい。……断じて許せないことだわ」
「そうだな……。日頃のばちがあたって当然な加納ならまだしも、普段大人しくしているこの俺が巻き込まれるのは納得いかねぇ……」
「陽斗くんうるさい」
なんか知らんが睨まれてしまった。あ、はい。そうですか。
「だから、私たちは何としてでも犯人を見つける必要があるの。恋愛感謝祭を成功させるためにもね」
どこか強い語気を感じるような口調で、加納は堂々と言い放つ。それは恋愛感謝祭を強行するという宣言と捉えることもできた。犯人の思惑に背く形ではあるが、ここまで来たからにはこちらとしても引き下がれないということらしい。むしろ俺たちがこうして集まっているのは、反撃の狼煙を上げるためなのかもしれない。
加納はこう締めくくる。
「——文化祭、絶対に成功させるわよ!」
覚悟を孕んだ言葉。それを号砲に、俺たちは互いの顔を見合わせた。
心の中で漠然ながらも、衝動に似た強い感情を覚えている。今日までの努力を無駄にしたくはない。そして文化祭を成功させたいと、強く感じるのだ。本当だ。失敗だけはあり得ない。……何のために俺の貴重な夏休みを、こんなクソみたいな企画の備品作りに捧げたのか。あの時間でどれだけのゲームを消化できたことか……。いわばこの恋愛感謝祭は俺の夏休みそのものでもあるわけだ。——これで大コケでもしてみろ。普通に泣くからな?
まぁ企画の成否については俺たちの手腕にもかかっているし、ここで敢えて議論するべき事案ではないだろうが。
差し詰め、今から話し合うべき事は……。
「……んで、どうするよ。犯人探し」
「そうですねー。早く犯人を見つけないと、次に犯人が何をしてくるか分からないですからねぇ」
ここまで全く手応えのない犯人探し。
文化祭準備期間中も出来る限りの情報収集は行なったが、芳しい成果は上げられなかった。
「早く対策しないとマズイぞ、加納」
「そうね……」
加納はそう言って、こめかみに手をやりながらだんまりしてしまった。犯人を見つけ出すために、これといった手段がこちら側に無いのが痛いところだ。しらみ潰しの情報収集くらいしか、俺たちに出来ることはないのかもしれない。
話し合いが停滞しているとき、弥富が思い出したように口を開いた。
「でも犯人の目的って何なんですかね?」
「……目的?」
これまた突拍子もない話題だ。問うと弥富は首を傾げながら言う。
「はい。ぶっちゃけ目的は何なのかなって? 私たちの企画を潰したところで、何かメリットが生まれるとは思えなくて……」
「バカお前。んなもん、いくらでもあるだろ。例えば加納のことがウザかったとか、加納のことが気に入らなかったとか、加納のことが目障りだったとか……」
「いやいや、だとしても脅迫状まで用意して中止させる理由にはならないかなって思うんですよ? 今回の話って、誰かに対する嫌がらせを超えてるじゃないですか。犯人にもっと何か明確な目的があるのか、それとも深い意味があるのか……。あっ、もしかして私の言ってることって変ですか?」
「あっ、いや、そういうわけじゃないけど……」
お、おう……。中途半端なボケに対してマジレスされてしまったのでたじろいでしまった。思わず情けない返事になってしまったが、しかしなるほど……。弥富の言う通りかもしれない。
犯人の目的……。もちろん今まで犯人の動機を考えなかったわけじゃない。けれどそこに深い意味があるのかもしれない、なんて熟思まではしなかった。物的な証拠から手がかりが得られない今、心理的な要素から犯人を推理するのは新たな可能性と言えるだろうが……。しかし情報量がな……。
依然として俺たちは犯人のことを知らなさすぎる。あまりにも犯人像が見えていないのが厳しいところだ。このままでは行き詰まりだろう。
またしばらく沈黙が流れる。無言の時間に耐えかねて、俺は鳴海に意見を問うた。
「鳴海はどう思う?」
「……えっ?」
ダメ元だったが、鳴海も困ったような顔を浮かべるばかりだ。
「そうだね……? 私たちにできる事は、聞き込みくらい、かな……?」
「まぁ、そうなるよな……」
いずれにせよ、できる事はそれくらいらしい。
ヒントも手段も何もかも乏しいが、やるしかない。
文化祭の成功のため。ひいては俺の自己保身のため。
犯人を見事に見つけ恋愛感謝祭を開催するか、それとも一歩及ばず写真がばら撒かれるか。究極の二択デッド、オア、ダイ。それどっちも死んでるっつーの——って前にもやったなこのネタ。二番煎じでした。てへぺろっ☆ でもこの二択じゃ、どっち選んでも俺本当に死ぬんだよなぁ。恋愛感謝祭なんてただの黒歴史製造イベントだから……。
「これからの行動について作戦を立てるわよ」
バカみたいなことを考えていたら、加納がそんなようなことを言っていた。
「できれば全員で犯人探しを続けたいところだけど……。それだとせっかくの文化祭が台無しになっちゃうし、みんなの予定もあるから、そうね……。犯人探しは当番制にするっていうのはどうかしら?」
「うん、いいんじゃないかな?」
「私も賛成です!」
「……おう。俺も異論なし」
妙案だ。てっきり加納のことだから、犯人が見つかるまでは文化祭そっちのけで聞き込みをしろ、とか言うのかと思ったが、そこまで鬼ではないようだ。良かった。
「当番は二人でいいかしら?」
「おう」
「……じゃあチーム分けね。今日は莉緒ちゃんと陽斗くん!」
「はいよ」
「うん」
「二日目は、私と陽斗くんで!」
「……ん?」
「で、三日目が、梓ちゃんと陽斗くんね!」
「了解です! 頑張りましょうね、ハルたそ!」
「お、おう。頑張ろうな——って、ちょっと待ってくれ?」
タイムタイム。思わず声が裏返る。
えっ、聞き間違えた? それとも俺の耳がイッちゃった?
「なんか一人だけデスマーチを送ってるやつがいたんだけど?」
「はぁ。ちょっと何を言っているのか分からないわ」
「いや俺! 俺だけ三連勤なんですけど!?」
「それがどうしたって言うのよ。ほとんどの社会人は五連勤してるのよ? 三連勤なんて序の口じゃない? それに陽斗くんは文化祭中やることもないだろうし、最大限の配慮をしたまでよ」
「いや、どこに配慮してんだよ!? いらねえよそんな配慮! っつーか余計なお世話だわ!」
何とか反駁したものの、加納の言っていることもそんなに間違いじゃないのが辛かった。こいつ俺のメンタル破壊するのうますぎだろ。なんで俺以上に俺の弱いところ知ってんだよ。なんなの? お前もしかして足ツボマッサージ師かなんかなの?
「だいたい俺だって——」
「——ちょっと良いかしら?」
加納への反論を遮った声。
それは俺たち四人のいずれでもない、大人びた声だった。
扉の方、そこにはバツが悪そうにこちらを見ている女性が一人いて。
「もうすぐ始まるわよ……? 開会式」
可児先生が、心配そうな声音でそう言ったのだった。