傍杖のピエロ
生徒会メンバーの二人と別れ体育館を出ると、周囲はお祭りムードである。活気に満ち溢れた校内。そんじょそこらで笑い声だったり気勢が上がったりしていた。普段の授業風景ではまずありえない光景だ。
明日の文化祭に向けて準備を進めているのは俺たちだけではない。どこのクラスも部活も本気のようだ。来場者数の競争、新入部員の獲得、催し物の完成度向上など、銘々に隠された思惑はあるのだろう。しかしそういったことよりも、自分たちが楽しむことを何より優先しているに違いない。だからこそ彼ら彼女らはこうして準備から本気になれるのであり、文化祭に全力を尽くすし、その結果に一喜一憂することができるのだ。
文化祭という非日常を楽しまない手はない——そう言わんばかりに祭りの準備は確実に進められていく。お、俺だってアレだよ……? 文化祭超楽しみだよ? うん、まじまじ。はやく恋愛に感謝したいレベル。感謝のあまり土下座しちゃうかもしれない。「部活辞めさせてください……!」って言っちゃうかもしれない。それくらいには楽しみ。
まぁここまで色々進めてしまったのだから仕方ない。俺とてこの企画を全否定するつもりはないのだ。主催者がゴミなだけで、企画の内容自体は決して悪くないと俺も思ってるからね。……まぁ、彼女がいたことはおろか、今後まともに恋愛できるかも怪しいこの俺が、恋愛にありがとうもクソもないんですけど。フラれたことしかねえよ。
そんな悲しいことを考えながら生徒会室へと向かう。加納に荷物搬入が終わった連絡を入れねばならない。
騒がしい廊下を一人歩き、やがて目的地に辿り着いた。
「……こんちは」
扉を開け、その先に三人の人影を認める。
我らが加納、田神副会長、そして知立生徒会長。
何やら話し込んでいる様子だった。俺の存在に気づき、そしてピタリと会話を止める。
「来たな」
ようやく登場したかと言わんばかりに、知立会長がそう呟いた。
——いつもとは違う雰囲気だった。
わずかに張り詰めた空気感。そして会長からどことなく感じる焦燥感にも似た何か。その不自然な態度には疑問符がつく。よく見れば、加納も田神も何やら神妙な面持ちだった。何か差し迫った事態でも起きたのだろうか。
「何かあったんですか」
そう問うと、俺の質問に答えたのは会長ではなく加納の方だった。
「陽斗くん、ねぇどうしようっ! どうしようっ!」
「あぁ? なっ、なんだよ急に」
加納が慌てた様子で俺に駆け寄る。同情を誘う甘い声が部屋にこだました。……しかし残念がら俺には分かる。これがいつもの嘘くさい演技であることに。
演技だということは分かるのだが、田神も知立会長も晴れない顔をしているのは事実だった。どっちにしろ何かが起きたことだけは確かだろう。
隣で喚くうるさい奴は置いておいて、俺は改めて会長と対峙する。
「何か問題が……?」
「あぁ。ここにきて、な」
そう切り出した会長は、小さくため息を漏らした後に、机の引き出しから何かを取り出した。
——封筒だ。無地の白い封筒。
見覚えがある。確かあれは、加納の脅迫材料たる写真やら便箋やらが入っていた封筒と同じものだ。
同じもの……ということは——
いや、まさか——
「それって……」
俺が何も言えずに驚いていると、場を静観していた田神が重々しく口を開いた。
「そうです。加納さんを脅している犯人から、新たな連絡が来たんです」
「……マジかよ」
思わず独りごつ。誰に向けたわけでもない言葉だったが、田神がバツが悪そうに頷いてみせた。
そしてそのやり取りを聞いていた会長。何も言わずに俺の元によると、その便箋を俺に差し出す。
受け取り、手に取ってみて、それはやはり件の封筒と一緒であることに確信を持った。
犯人から、新たな連絡……。
もうこの時点で嫌な予感しかしないのだが、中身を確認しないことにはどうにもできないか。
「中身は、確認したんですか……?」
「あぁ、とても悍ましいモノが入っていたよ」
会長は物々しい口調でそう言った。おいおい。なんだよその表現。いったいどんなものが入ってたんだ……。
「陽斗くん、どうしよう……。このままじゃ私……」
「……加納」
一方の加納はというと、俺に縋るようにして震えた声を漏らしていた。この様子だと加納も中身を知っているみたいだが……。てことは何だ……。前回の写真がアレだったからな。今回は人を殺してる写真でも入っていたのだろうか。
少なくとも前回を上回るブツが登場したに違いない。三人の表情がそれを証明している。前回の雰囲気と比べて明らかに今回の方がヤバそうなのである。俺は意を決して、封筒の中に手を入れた。
——中から出てきたのは便箋。
前回と同じく、罫線だけ印刷されたシンプルな便箋にはこう書かれていた。
『企画をすぐに中止せよ。こちらにはこの写真をばら撒く用意がある』
……。
…………あらまぁ。
マズいな……。悪い展開だ。
いや、この展開を予想しなかったとは言わない。しかし犯人は明確にこの写真をばら撒くと脅迫してきたのだ。その行為が事実となった今、俺たちの行動は十分に慎重になるべきだと言えるだろう。
さて、便箋に『この写真』と書いてあるということは、写真も同封されているということになるが。
再び便箋に手を突っ込み、もう一つの感触を得る。
一呼吸置いてから、俺はそれを引き抜いた。
眼前に飛び込んできたのは——
——飛び込んで、きたのは……。
……。
…………ん?
………………え、なにこれ?
……………………ちょっと、待って。えっ?
…………………………これって——
「…………ふふっ」
ふと視線を上に向けた。加納がなぜかクスクス笑っているようにも見えた。頭の中が空っぽで判断がつかないのだが、少なくともこの状況は俺の予想を遥かに超えている気がした。
会長も田神も、俺のことを心配そうに見つめている。他でもない俺に向けられた眼差しだ。その静かな視線を浴びることで、俺は初めて自分の愚かさに気付くのだった。
「……陽斗くん」
加納がいつの間にか、俺の耳元で囁くようにして耳打ちをしていた。その甘い声——可愛らしく、艶のある声は、どこまでも澄んだような綺麗な響きを持っていて、聞く者に心地よささえ感じさせるものだった。
「一体いつからその写真が『私のもの』だと錯覚していた?」
「…………」
——もちろん、それがブ○ーチの名言でなければの話だが……。
でもなるほど。ああ、状況がようやく分かってきた。
俺はため息をこぼして、もう一度その写真を見つめる。
詰まるところ今回の件、加納は被害者なんかではないのだ。写真に映っていたのは加納ではないし、そもそもこの場にいる誰もが、加納のことなんて心配していないのだ。会長や田神が心配していたのは、加納ではなく——この俺。
なぜかって? 言うまでもないだろう。
手元から視線を上げて三人の表情を伺った。誰もが俺に注目しているのが分かった。
心の中の推しはかれぬ感情に従って、せせら笑う。
何が起こったのか、言おう。
——同封されていた写真は、『俺が加納のおっぱいを揉もうとしている写真』だったのである。
次回から、文化祭突入です。