英断
「どうしたんですか、ハルたそ?」
「……いや、なんでもない。それより出展どうする? 諦めるか? それとも中止?」
「それどっちも同じだよ……?」
鳴海の安定したツッコミはさておき、いい加減決を採ってもいい頃合いだ。これ以上の話し合いは泥沼化しそうだし。
ここで恋愛相談部としての総意を示したいところではあるが、結局のところ、加納が脅されている状況を鑑みると、こいつの意見が最優先されるべきであるとも思う。だから最終的には、加納の一存に依ることになるだろう。
と、そんな加納がため息を露骨について見せた。そして俺に手を差し出してくる。
意図が分からず、少し黙ってしまった。
「……金ならないぞ」
「違うわよ。その手紙をもう一回見せて」
なんだ。てっきり新手の恐喝かと。
手紙を加納に渡す。
彼女が手紙に齧り付いている間、俺たちは最終確認を行った。
「つーわけで、俺たち三人の意見としては中止の方向でいいよな?」
「……そうだね」
「えぇー! 私は反対ですよ!」
「うるせ。うるせえよ。あんまりでかい声を出すんじゃねえ」
ここは民主主義を採用している日本だ。多数派こそ正義なのである。少数派は容赦なく弾圧させてもらおう。スクラップ、アンド、スクラップ! ……あぁいや、これは逆か。
弥富がこちらを睨んでくるので、俺も睨み返そうとしたときだった。
——大きな音がした。机を叩く音だった。
見れば、加納が立ち上がって俺たちを俯瞰するように見ている。
「……ど、どうしたんですか、ことはっち?」
弥富がちょっとビビりながらそう聞いた。加納からの返事はない。
えっ。もしかしなくても、キレちゃった……? ついに堪忍袋の緒が切れちゃった?
まぁこの緊急事態だ。ストレス上がりまくりからの怒髪衝天、激昂したカノウコトハが誕生するのも頷ける。うーん。討伐するのが大変そうな名前だ。
と、加納がついに口を開く。
「——やるわ」
「……はい?」
よく聞こえなかった。声が小さい。
一体全体何をやるというのか。テンで分からない。……もう俺たちにやれることなんて無いゾ。あとは帰る準備くらいだゾ。
「——恋愛感謝祭、やるわよ」
「……はぁ?」
「えっ」
「ことはっち!」
加納の堂々とした宣言。それは出展を強行するというものだった。俺の耳が腐っていなければ、聞き間違いなんかでは無いだろう。
その瞳には覚悟の灯火が宿っていた。真剣な眼差しだった。
「おい、いいのか。出展するっていうことは、あの同封されてた写真がどうなるか分からないっていうことで……」
「そうよ。あの写真がどうなるかは分からない。だって写真をどうするかなんて、この手紙には書かれていないもんね。——だから、拡散されるっていう根拠もない」
「……ん? ……あぁ。まぁそうだけど……。でもわざわざ写真を同封してきてるんだぞ? 不都合なことが起こるとも書いてあるし……。何かするというメッセージであることに変わりは……」
「だったらそう書けばいいじゃない? じゃなきゃ脅迫にもなりはしないわ。書かれてもいないことに不安を覚えているだなんて、あまりにも無意味だと思ったのよ」
「いやお前、めっちゃビビってたじゃん。脅迫めっちゃ効いてたじゃん。……心変わりしすぎだろ」
「ぐずぐず考えても仕方がないと思っただけよ」
なんか急に元気になってるし……。この僅かな時間に何があったというのか……。
加納の声音は本来の調子を取り戻していた。いつもの加納と言うべきか。どこまでも明るく、それでいて透き通るような声。憎たらしいと思う反面、どこか安心感を感じさせる声でもあった。……いや、やっぱりイラッとくるな。この声。
「恋愛感謝祭をやるわ。なんだか悩んでいた私がバカみたい。これだけ準備したんだもの。絶対に成功させるわ……!」
「よっ! それでこそことはっちです! 我らが部長です!」
「…………」
弥富が変な合いの手を入れている。そしてそれに乗せられるかのように、加納が「ふふん」と胸を張った。……いいから。そういうのいいから。あとナチュラルに俺のこと精神攻撃してくんのやめてくんない? 胸を強調すんじゃねえよ。またお前のおっぱい見ちゃったじゃねえか、ちくしょう。
まぁ弥富はもともとこの企画をやりたかったようだから、とても喜んでいるみたいだが……。さて、鳴海の方はというと、
「——本当にやるの、ことちゃん?」
「うん、やるわよ。せっかくの機会だもの。私の勝手な理由でみんなの文化祭を邪魔するわけにもいかないし」
「…………うん。そうだよね」
ワンテンポ遅れて、加納の考えに同意を示していた。
心なしか、なんか戸惑っているような様子ではある。……まぁ急にこんなこと言われたら、そりゃ戸惑うに決まっている。
無論、俺も戸惑っているわけだ。さっきまで中止の流れだったのになぁ……とか思った。
……となると、これはアレか。反対しているのは俺だけですか。
ついさっきまで中止濃厚だったはずなんですけど……。おかしいな。もしかして文化祭やっちゃう感じですか?
「いや加納。それは間違いだ」
「……はぁ?」
抗議だ。抗議の声を上げてやる。
「さっきお前言ったよな? 文化祭を邪魔したくないって。……逆だ逆。むしろ恋愛感謝祭とかいうお前のオ○ニーイベントに付き合わされる方がよっぽど邪魔なんだっつーの」
言ってやった。もちろん魂の奥底からの本音である。なぜか分からないが、こいつの前でなら下ネタも余裕で言えちゃうのが本当に怖い。
鳴海と弥富の顔がひきつる中、加納は鼻で笑うかのように俺の発言をあしらった。
「へぇ? よく言うわこの童貞。言っておくけど、アンタだって私の一存でいつでも社会的に殺せるんだからね? もしも私に何かあったら、アンタの音声データも一緒に拡散してやるんだから」
「おいなんだその無理心中みたいな考え方は! つーか俺は関係ないだろ! ……あと音声データは早く消せよ!」
「ふっ、ばら撒かれたくなかったら、このイベントを成功させることね」
なんという理不尽……。
こいつ、ついに俺と心中する構えだ……。アンタを殺して私も死ぬってか。やめてくれよマジで……。もうこれ一周回って俺のこと好きだろ絶対。
「なんだか、急にいつも通りだね……」
「ですねー。やっぱりこの二人はこうでなきゃ」
端の方で鳴海と弥富がそんなことを言っていた。んなわけあるかアホ。
「いい? とにかく、恋愛感謝祭はやる! これは決定事項なんだから!」
まるで十年以上前のラノベヒロインの如く、加納は俺を指差してそう宣言するのであった。