加納琴葉は脅されている
不思議な事だが、いざ自分達が脅迫されていると知っても、あんまりピンとこないものである。
目の前にあるのはおかしなことが書かれた便箋であって、それ以上でもそれ以下でもないからだろうか。今のところ恋愛相談部が実害を受けているわけではないし、そもそも手紙の内容が抽象的すぎる。『問』の字が略字になってるなぁ……とかどうでもいいことしか思わなかった。
——不都合な問題。
さて、不都合な問題とは何か。それも恋愛相談部にとってのものだ。
たとえば俺にとって不都合なことであればいくらでも思いつく。大事にしているフィギュアを壊されるとか、ストーリーを進めているエロゲーのデータファイルを壊されるとか、秘蔵エロ動画ファイルを消去されるとか……。はははっ、全部しょうもないなぁ。
まぁ要するに、この差出人が恋愛相談部に何をしようとしているのか、そこが分からないという話だ。脅されたところで相手がこちらの弱みを握っていなければ、端から従う必要さえ無いだろう。
「恋愛感謝祭の中止、ねぇ」
まぁこの点にだけ関して言えば、犯人と同意見である。俺もできれば中止に追い込みたいと思っていたところだ。……いやマジで。中止になんねえかなぁ。こんな意味のわからないフェスティバル。
と、会長がここで口を開いた。
「もう一枚、奥に入り込んでないか?」
「……えっ?」
「その封筒には便箋の他に一枚、写真が入っていたんだよ」
「写真?」
はて。そんなものが入っていたのか。封筒に手を突っ込むと、確かに奥の方にもう一枚紙のようなものが入っている。
それを拾い上げて内容を確認する。
——瞬間、
「いぃっ!?」
驚きのあまり声を上げてしまった。
写真の内容が、あまりにも衝撃的だったからだ。
そして写真をすぐに封筒の中に突っ込む。反射的だった。そうすることに何の意味もないというのに、体が勝手にそうしていた。
「……どうしたの、陽斗くん?」
「あ、あぁ、いや何でもねぇよ。はははっ……。驚かせて悪かったな。……それより加納知ってるか? ラクダってまぶたが三重になってるらしいぞ。びっくりだよなぁ。……まぁ俺ラクダ見たことないんだけど」
「……いきなり何の話?」
いかん。混乱と焦燥のあまり、どうでもよすぎる雑学を披露してしまった。本当にどうでもいい。
加納が明らかに怪訝な様子で俺のことを見ていた。誤魔化そうかと思ったが逆効果だったか……。
「ねえねえ。何の写真が入ってたのっ?」
「……いやぁ、大したもんじゃねえよ。ウィンド○ズの背景みたいな環境画像だったな」
「へぇ……?」
加納の顔が近い。そして満面の笑みなのが怖い。可愛い顔が近くにあるとはいえ、何のドキドキもワクワクも感じないのが最早すごい。
せめて封筒は死守しようと体の後ろに回そうかと思ったが、時既に遅かった。
俺が腕を動かすが早いか、加納は窓の外の方を見て叫んだ。
「——あっ、あそこに声優がいるわ……! 誰かしら!」
「なにっ!? 声優っ!? どっ、どこだ! ちょっと待ってろ! 声優マスターの俺が誰なのかすぐに言い当てて…………。……。おいどこだ。声優なんてどこにもいないぞ。野球部の坊主しか見えないぞ」
「……ごめんっ、陽斗くん。『声優』と『制球』を勘違いしちゃったみたい……。それにしても、いまのはいいストレートだったわ……」
「いやふざけんな! そんな勘違いあるわけねぇだろ! いったい何をからかって…………ってあれ、封筒は?」
手元に持っていたはずのブツがない。
見れば加納が悪戯っぽい笑みを浮かべて、封筒をひらひらさせているではないか。……ちくしょう。なんてトラップだ。声優ネタで気を引くとか卑怯だぞ……!
「騙しやがったな……」
「あははっ、そもそも声優かどうかなんて分かる訳ないじゃんっ。声を聞いたワケじゃあるまいし」
「あぁ、確かに……」
納得してどうする俺。
「それで、結局何が入ってたのこれ……?」
加納が封筒の中をゴソゴソやっている。俺は小さくため息を漏らして、それから最初で最後の忠告をすることにした。
「まぁ見るのはいいんだけどさ。オススメはしないぞ。それを見て一番ショックを受けるのは加納——お前だからな?」
「はぁ」
抑揚のない返事を漏らす加納。俺の発言の意味を斟酌する様子も見せず、再び視線を手元の封筒に向けている。まぁ俺が何を言っているのかよく分からないんだろうが、忠告はしたからな。マジで。
お目当てのブツを掴めたのか、加納が「これだっ」とか言って封筒から引き抜いた。
そしてそれを、じっと見つめる。
その時間、おそらく一秒もない。
——瞬時に加納は、それを封筒の中に押し戻した。
「っ!?」
声にもなっていない小さな悲鳴。その表情は驚きに満ちていた。俺と全く同じ行動である。見れば加納の目は回遊魚並みに泳ぎまくっていた。
写真を押し戻した勢いでくしゃくしゃになった封筒。加納の手にはもはや力が入っていないのか、ポトリと軽い音を立てて、それは床へと落ちた。
「……な、なな、なにこれ」
「見ての通りだ……。加納さん、君はどうやら脅されているみたいだね」
会長はそう言うと、加納が落とした封筒を拾い上げる。そして中身の写真を再び取り出して、それを机の上へと置いた。
改めて、その写真を凝視する。……あぁ。やはり見間違いではないようだ。
そこに写っているのは恋愛相談部の部室。加納本人。そして俺。
——あるいは、加納の「本性」といったところか。
「こんな写真がよく撮れたものだ……」
会長はなぜか感心しているが、俺たち二人にとってはそんな悠長な話ではなく。
特に加納にとっては、およそ死活問題級の大問題のはずで。
——結論から言おう。
そこに写っていたのは、『加納が俺にボディブローしている瞬間の写真』だったのだ。
都合により、来週連載お休みします。すみません。
再来週、次話投稿予定です。