始業式の朝
忠節高校文化祭。
開催まで一週間に迫った、我らが忠節高校の大イベントだ。
既に夏休み前から、文化祭への期待を抱いている生徒は多かったように思える。ことあるごとに文化祭の企画だったり特別展示だったり、そういう話題が至る所で繰り広げられていた。
しかし言ってしまえばまぁ、どこにでもある普通の文化祭なのだ。特別に珍奇な企画があるわけでも、全国的に有名と言うわけでも無い。
強いて言うなら多彩な部活動を活かした大規模な企画群が見所といったところか。教員や生徒だけでなく、生徒の保護者、学校の関係者、そのほか地域の人も巻き込んで、忠節高校文化祭は盛大に執り行われる。
例年の盛り上がり具合は凄まじいと言う。先輩たちがウザいほど教えてくれるのだ。曰く、『マジヤベェよ忠高祭! クッソ盛り上がるぞ! なんつーかパーティみたいだし、面白すぎるし、こう……フェスティバルって感じするわ!』とのこと。……お、おう。なるほど、何も分からない。大盛り上がりする、ということだけは分かるのだが。
いずれにしても、多様な部活から繰り出される企画の数々が入り乱れるのだ。そりゃあ盛り上がりもするだろう。
特に文化系部活動は力を入れた催しをするらしい。ただでさえ存続が危うい部活動も多数あることから、その熾烈さといったら想像に難く無い。兼部でもいいから部員が欲しいのだろう。文化祭は一種の勧誘イベントと化しているのだそうだ。
さてさて、そんな忠節高校文化祭。
実は、我らが恋愛相談部も出展をするんですよね。——実は。
意外かと思われるかもしれないが、今年は恋愛相談部もかましちゃうんですよ。ええ。
——その名も『恋愛感謝祭』。
『恋愛』に『感謝』をする『祭』と書いて、恋愛感謝祭。
ははぁ、そうなのかー。それは楽しみだなぁ。
…………。
——恋愛感謝祭ってなんだよ。
その字面を何度見ても、未だに何する企画かイメージが湧いてこない。
もはや出展するのが恥ずかしいまである。こんな恥ずかしい企画名を掲げて学校を歩くとか罰ゲームでしかない。加えて部活動の一環というのだから、俺にとっては二重苦だ。
そもそも、そんな企画をやる意味も動機も使命も、俺には無いのだから。やる気がないのは当然というだけの話であって。
しかし。しかしだ。
——加納琴葉。
またの名を爆乳ゴリラ。あるいは歩く怪人二十面相。
表と裏の顔を巧みに利用し、卑怯な手段で俺を脅した上に誑かしてくる彼女。そんな彼女の存在のせいで、俺は奴隷のように働くほかないのである。来る日も来る日も訳のわからん恋愛相談を聞かされて……嗚呼、何という悲劇か。これにはロミオとジュリエットも青ざめるレベル。うん。歩く怪人二十面相ってなんだよ。そりゃ歩くだろ。
「——よう、陽斗。久しぶりだなぁ」
りんごも木から落ちる的なことを考えていたときである。鼻につく声が聞こえた。
後ろを振り返ると、そこには今しがた教室へと入ってきた大里智也の姿があった。
「……おう。久しぶり」
「なんだ、元気ないな? 今日から学校が始まるって言うのに。ちゃんと朝飯食ったか?」
「あぁ、食べたよ。むしろおかげで絶好調だ。……今日は良い日になりそうだな」
「ははっ、見たところ絶好調には見えないけどな? どうせ学校に来るのが億劫だったんだろ?」
「……ああ。そうだよ」
他愛も情報量も何もない会話が起こる。
智也は悪戯っぽく笑うと、いつものように俺の席の前に陣取った。
「今日から新学期かー。いよいよだなぁ。一週間後には待ちに待った文化祭だ」
「そうですか。……ちなみに俺はそんなもの待ってないけどな。文化祭なんてめんどくせぇだけだろ。向こうから勝手に来やがって」
「まぁそう言うなよ。それに陽斗だって、結局は楽しんじゃうタイプだと俺は思うぜ?」
「……どうだかな」
そうあってくれればいいが。……いや、そんなことは無いだろうな。
忘れもしない中学校の文化祭。忠節高校の文化祭ほど大きなものではないと思うが、それなりの催し物とお客さんで溢れかえっていた。みんな楽しそうに企画をやって、盛り上がって、楽しんで……。そんな雑踏の中、クラスで浮いていた俺。居場所を失い、行き着いた空き教室で一人ギャルゲーを——
「陽斗、目が死んでるぞ」
「——ぁあ、悪いっ。大丈夫。ちょっと死にたくなってたわ」
「……それ、本当に大丈夫か?」
智也がすごい心配そうな目で俺を見ている。こいつは本当にいい奴だ。仲間思いの素敵な奴である。……でも心配すんな、智也。お前が思っている百倍以上、どうでもいいことを考えていただけだ。
「ところで聞いたよ。陽斗たち恋愛相談部も、文化祭で何かやるんだってな?」
話題転換。智也が興味津々な様子で俺を見ていた。
ほぉ。さすがは友達いっぱいの智也である。どこから聞いたのだろうか。もう知っているとは耳が早い。恋愛感謝祭のことを事前に聞いている人はそういないだろうに。
「……まぁな」
忠節高校文化祭は、当日のプログラム発表まで詳細なスケジュールがわからない仕組みになっている。代々受け継がれた例年の決まりになっているそうで、今年も詳細なスケジュールは未だ明かされていない。これが生徒たちの関心を引き、文化祭への期待をさらに高める要因になっているわけだが、逆に言えば誰が何をするのか、何も分からないということだ。
それはもちろん部活動の企画内容も同じことである。恋愛相談部の企画も、現段階ではコンフィデンシャルということになる。
企画内容を知っているのは、当事者や教職員および文化祭を運営する『生徒会』。
智也は恋愛感謝祭のことを知っていた——となると、この辺りの人物から知り得たと考えるのが普通だろう。
「もしかして『生徒会』の誰かから聞いたのか?」
「ご名答。よく分かったな」
智也が感嘆の声を上げるも、大した推理ではない。こんなの名探偵コ○ンなら朝飯前である。三十分の放送枠が余るレベルだ。ネクストコ○ンズヒントすら不要。……ところで生徒会にも知り合いがいるとは。いやはや、智也の人脈の多さには驚かされる。
「つっても、詳しいことまでは教えてくれなかったけどなぁ……。でも陽斗たちの部活が何か企んでるっていうことだけは聞いたよ」
「はぁ。別に『企んでる』っていうほどのことはしてないんですけど……」
なんか悪いことでもするかのようなニュアンスだ。心外である。
「またまた謙遜しちゃって。ぜひ当日は参加させてもらおうかな」
智也はそんなようなことを言うが、大層な企画を心待ちにされては困る。なんて言ったって当事者である俺が、企画の趣旨をいまだに理解できていないのだ。過度な期待は禁物だ。
ここはハードルは下げるに越したことはない。俺は口を開いた。
「ちょっとした余興程度の企画だよ。あんま期待とかすんな」
「まぁまぁ、そう言わずに……。いやぁ、それにしても楽しみだなぁ。忠高祭っ」
「……そうかよ。確かに楽しみにするのは分からんでもないけど……。みんな浮き足立ちすぎだろ。浮いちゃってる足元とか掬われるぞ」
「そう思ってるのは陽斗だけだろ。——楽しいことは楽しむ! それが結局一番なんだよ」
「……そんなもんかね」
小さく息を吐く。智也の言った言葉を、心の中で咀嚼する。……そんなポリシーのもと動けたら、少しは色々なモノの見方が変わったのかもしれないな。
と、大人ぶったことを考えていたとき、予鈴が鳴った。クラスメイトたちが慌ただしく自分たちの席へと戻っていく。そして予鈴を待っていたかのように、タイミングよく先生が教室へと入ってきた。
「——やべっ。先生が来た。じゃあまた後でなっ」
「おう」
智也もそそっかしく自分の席へと戻っていく。自分の席の前には、智也と交代するように別の生徒が座った。この人とはあんまり喋ったことがないなぁ……。
何はともあれ、いまから始業式。そして文化祭。
何事もなく終わるはずがない……そんな予感だけビシバシと感じながら、俺は我慢できずに大きなあくびを漏らした。