EX 勉強相談部へようこそ ! 3
目の前には諦めたような独り言を零す弥富がいる。
彼女の悩み。そして現状。
ここまでの会話を整理するに、弥富がアホであることは周知の事実だろう。そして彼女には成績を上げたいという向上心も成績改善の見込みも無いと言える。むしろ勉強から解放されたいという庶幾さえ感じられるわけで……。
これらを総合して導かれる答えは一つ。
そうだ。今すべてが分かった。端からアプローチが間違っていたのだ。そもそも弥富は成績を上げたいだなんて、本気で思っているのだろうか? 賢くなって将来は学者にでもなりたいとでも? ……はっ、笑わせてくれる。そんなはずはない。
——ただ弥富は不安なだけなのだ。
高校に入って勉強の難易度は確実に上がった。中学生の頃のように、一夜漬けでそれなりの点数を取ることも難しくなっただろう。その場しのぎの勉強法では太刀打ちできず、周囲との差に焦りを覚える時期かもしれない。そりゃ不安にもなるか。
しかし勉強ができることは一種のステータスだ。世間の目を気にすれば、アホであることは大きなプレッシャーを抱えているとも言える。つまるところ弥富は勉強ができないことに対する安心感が欲しいのだ。現に弥富は、成績を上げたいだなんて一言も言っていないはずだ。
ならば、俺が提案できることはこれしかない。
「弥富、学生の本分って何か知ってるか?」
「えっ、何ですか急に」
突然喋るんじゃねえよとでも言いたげに、弥富がこちらを怪訝な面持ちで見た。
「良いから答えろ。学生の本分は何だ?」
「えー? 何ですかね……。べ、勉強……?」
「はい、ぶっぶー。ハズレですー。残念でしたー」
「……。なんですか、その変なテンションは」
すごい低い声でそう言われた。おい引くな。引くなって。なんか俺の方も勢いで言っちゃって恥ずかしいんだから。
しかし弥富の回答は俺の期待したものと違っていた。見当違いなことを言っている。だから否定したまでだ。
「どういうこと、陽斗くん?」
「……ん? まぁなんつーか、勉強ができない弥富を擁護するわけじゃ無いんだが」
そう前置きして、俺は用意していた言葉を口にする。
「学生の本分っていうのは『そのときにしか経験できないことを全力でやること』だと思うんだよな。勉強とかもちろん大事だけど、必ずしも全員がそういうわけじゃないっつーか」
「はぁ……?」
加納がきょとんとした顔で俺のことを見ていた。思ったよりマジメな話だったから驚かせちゃいましたかね。
「だから俺の回答としては、『別に勉強なんかしなくても良いんじゃね?』ってことになるな。大事なのは今のうちにしかできない経験だ」
「でも、勉強できないとマズくないですか……? ハルたそみたいな考え方でも良いんですかね?」
弥富が少し自信なさげな声で、そんなことを言う。
「……良いだろ別に。逆になんで勉強を頑張るんだよ。いい大学に行きたいとか、将来大企業で働きたいとか、そういう夢があるのなら頑張る理由もあるだろうな。高校生っていう貴重な時間を使ってでも、自分の夢を叶えたいんだから」
「ま、まぁ……?」
「でも大抵の高校生は違う。この時間を遊びたいし楽しみたいし、エンジョイしたい。将来のことなんてみんなフワフワしてる。大人はみんな『勉強を頑張れ』って言うけど、目的も無しに勉強を頑張れるはずがないんだよ。純粋に勉強が好きな人ならまだしも、大抵の人にとっては勉強なんて苦痛な時間でしかないからな。そして大人になってから苦労することになって、『あぁ、あのときに勉強を頑張ればよかった……』なんて言うわけだ。その教訓は俺たちに受け継がれても、高校生を生きてる俺たちにはピンとこないってオチだ」
なぜかよく分からないがペラペラと口が回る。前世でこの話を琵琶法師ばりに語りまくっていたんじゃないかと思うレベルだ。まぁいずれにしても俺が言いたいことは……。
「じゃあ俺たちはどうするべきか? ——後悔しないことだろう。この時間をせめて精一杯楽しむのが最善策だと俺は思う。高校生のうちにしかできないことをやり尽くしでもしたら、いつかの後悔も多少はマシになるかもしれないだろ?」
勉強を頑張ることは、とても素晴らしいことだと思う。夢を叶えるために努力しているだなんて言われたら、頭が上がらないくらい尊敬するに違いない。
でも全員が全員、利口な人間ではないのだ。間違いだと分かっていても、正しくないと分かっていても、楽な方向へと流されてしまうことだってある。後悔すると分かっていても、その歩みを止められないことがある。なぜかって——人は愚かな生き物だから……とでも言っておこうか。
勉強に限ったことではない。努力する場面や、ここぞと言う場面を知りながらも、心の中の悪魔が囁いてサボっちゃう話なんてよくある話だ。弥富の一件も特段珍しいことじゃない。
もちろん勉強できるに越したことはないが、やりたくないことを無理してやるのも如何なものかと思う。それでは学力も上がらないだろうし、弥富のためにならないような気がした……ただそれだけのことだ。
であれば、弥富には『違うメニュー』を薦めるほかない。勉強だの進路だの言わずに遊んじゃえばいいのだ。だって高校生なんだから。JKブランドはわずか三年。この時間を高校生らしく過ごさずに終える方が、弥富みたいなタイプは後になってからめちゃくちゃ後悔しそうである。
つまるところ高校生は高校生らしいことをすること。これが高校生の本分だと結論づけた。
「だから、お前は勉強を頑張らなくてもいいんだ」
最後にそう言って、俺の言葉は締め括られる。
弥富がこちらのことを神妙な面持ちで見ているのに気付いた。人によっては無茶苦茶な詭弁に聞こえたかもしれないが、俺の回答が少しでも弥富の力になれたらと、本気で思う。
そう、だから弥富はこのままで——
「——えっ、何言ってるんですか? わたし、成績を上げたくてみんなに勉強法を聞いてるんですけど……」
「…………えっ。…………あっ、そう」
無意識に空っぽな声が漏れた。なんかすごい空気になっていた。
まるで時間が止まったかのように全てが静止する。張り付いた視線が動かそうにも離れてくれない。弥富からの視線が怖かった。
そして——
「——ぷっ、はははははっ、はははっ!」
「…………」
加納が視界の端で声をあげて大爆笑。鳴海は気まずそうに俯いている。
…………えっ、どういうこと?
弥富さん、成績上げたいの? マジで?
「言ったじゃないですかー。これは相談だって。ハルたそ真面目に考えてくださいよー」
「あ、あぁ悪ぃ……。そうだったの……。あっ、そういうこと……? いや、マジで、ごめんな……?」
「——『お前は勉強を頑張らなくてもいいんだ』って! ひぃっ、はははっ、ひひっ!」
「ことちゃん、笑いすぎだよ……」
「…………」
あまりにも似てない加納のモノマネ。そして加納の笑い声だけがこだまする部室の中で、俺は何とも居た堪れない気持ちで窓の外を見た。
……なんだよ。じゃあ最初からそう言えよ。なんか知らんけどめちゃくちゃ熱く語っちゃったじゃねえか。勉強不要論的な何かを。だいたい勉強不要論ってなんだよ。
弥富がぷくーっと膨れっ面を作りながら、加納たちとわちゃわちゃしている。しばらくその光景を眺めながら、俺は弥富の相談が至ってマジメなものだったのだと気づいた。少し申し訳なさを感じるとともに、心をグサリと刺す焦燥感にも似た感情を得る。何より堪えたのは、弥富の方が俺よりよっぽど勉強意欲があるということだった。
そういえば夏目漱石の小説でこんなセリフがあったな。向上心の無い者はバカだとかなんだとか……。いや、全くその通りだ。向上心マジ大事。いま俺はまさにK君と同じ境地にいる。うん。その流れだと俺死んじゃうんですけど。
——人間は、愚かな生き物である。
この部室で一番の愚か者は、俺なのかもしれないだなんて……。はい。そんなことを思いましたとさ。……もうこの話おしまい! 終わりにさせてくれ!
第5章の連載開始まで、今しばらくお待ち下さい!