恋愛相談部とプロローグ
稲妻のように走る鋭い痛み。声にならぬ悲鳴が口から漏れる。
机の上に上体を預けて俺は倒れた。
「ど、どうしたんですかっ!」
相談相手の彼女が頓狂な声を上げる。
だが、その質問に答える余裕が俺には無かった。
「なんだよこれ……超痛いんですけどっ……」
患部を手で摩る。痛みは一向に引かない。骨の髄まで痛い。普通に痛い。ていうか痛みで息ができない。くっ……。痛いの痛いの、飛んでけぇー……。おい、全然痛いの飛んでいかねぇぞ。なんだよこの使えねえ呪文。
今まで平穏そのものだった俺の人生である。喧嘩なんてしたことはないし、親父にも当然ぶたれたことはない。まるで暴力とは縁のない人生だった。誰だよこんなガンジーみたいな生き方してる俺を殴ったやつ。
その答えはすぐに分かった。
「あはは、ごめんなさいっ」
明るく綺麗に響く声。
澄み通っていくような、透明色のある声。
俺は瞬時に、その声が『彼女』のものだと悟った。
「お前、なにすんだっ……」
視線を、隣の女に向ける。
そう。この部屋には俺と、相談者と、そして『彼女』がいるのだ。
――いけ好かない女が、俺の隣で笑っていた。
「ごめんねー、手が滑っちゃって。ついメガトンパンチしちゃった♡」
……うーん、なんでだろうなぁ。そんなこと普通あるかなぁ?
つい手が滑ったのは見逃してやってもいい。俺も手が滑ることはよくあるし。人間誰しもミスはつきものだ。仕方ない仕方ない。
ついメガトンパンチしちゃったってんだよ、お前カイリキーかよ。
「なんかごめんねー。この人が変なこと言っちゃって」
「あ、いえ……。それよりこの人、大丈夫ですか」
「大丈夫だよ! ただの持病だから!」
どんな持病だよ。
「それよりプレゼントの相談だよねー。私も考えてたんだけど、メンズコスメって人によって肌に合う合わないってあるじゃない? もうちょっと無難なやつでもいいかなーって」
まるで夏に響く風鈴の音のような心地良い声。彼女の声は、聴く側まで元気になるというか、活気をもらえるというか、そういう感じの声である。……俺にとっては鳥肌モノだが。
「例えばさ、アクセとかどう? このサイトなんか結構男の子向けのも多くてー」
相談者の女子が、隣の女のスマホを覗き込む。
「こんなにいっぱいあるんだ、知らなかった……」
「でしょ? 他にもこういうのとかあって……。マジおすすめだよっ!」
「へぇー、すごいね! あっリンク送って! 参考にするね!」
「うん!」
なんだかすごい話が進んでいるみたいだが、正直そんなことはどうでもいい。
わき腹が、痛ぇ。
なんなの、この体の奥にまで響いてる鈍痛……。お前プロなの? 人を殴るプロなの? ていうかお前ら俺のことは無視なの……?
「でさー、このネックレスとか超かわいくて」
「ホントだー、すごい良い感じだね! こっちは?」
「あーこれはね――」
「…………」
……ひどくね、こいつら?
隣で俺がひんし状態なのに淡々と話を進める彼女たち。アクセだのシューズだのコロンだのローションだの和気藹々である。
そんな調子でかれこれ十分ほど経過した。その間、俺はずっと痛みで蹲っていた。
二人はようやく話をまとめにかかる。
「助かったよー。来てよかった!」
相談者はニコニコと笑って満足げな表情をしている。どうやらプレゼントに目星がついたようだ。やっぱりプレゼントはローションだろうか。
「こちらこそ、いろいろありがとう!」
……なにがありがとうだよ、別にお前何もされてねぇじゃねえか。
俺が鼻で笑うと横から悪魔のような視線を感じたので、いやぁホントにね、俺もマジ感謝申し上げたいっていうかね。
「また来るね! ばいばい!」
扉がぴしゃんと閉まる。
その音を合図に、懐かしい沈黙がやってきた。
チクタクと、壁時計の秒針だけが、正確に音を刻んでいく。
窓の外から吹く春風。
カーテンをふわりと舞い上げて、優しく俺の頬を撫でて通り抜けていく。
瑞々しい新緑の匂いを乗せて、
「いつまで突っ伏してんの……? きっしょ」
――暴言が俺の鼓膜を突き破った。
この部屋には俺たち二人しかいない。相談者はもう帰ってしまった。時計を見ると、最終下校時刻が間近に迫っている事に気付く。
恐らく今日の来客はもう無いだろう。
故に、口火も火蓋も切られるのは必然だった。
「はぁ? きしょくねえし! お前の方がきしょいし!」
「……ていうかアンタ、さっきとんでもないこと言おうとしてたよね? マジありえないんだけど!」
「何のことだよ!」
「ホント最低! 私殴ろうかと思ったもん!」
「いや殴ってたよなお前? 思い切りボディーブロー入れてたよなぁ?」
まだひりひりと痛むわき腹を優しく撫でる。……くっそ、まだ痛むのかよ。後でちゃんと病院行こう。折れてるかもしれないし。骨とか心とか。
「とにかく、これ以上面倒なこと起こさないでよ!」
だが、加害者たる当の彼女から反省の色が全く垣間見えない。それどころか俺が悪いと言わんばかりの口撃だ。どうしてくれようかこの女。こいつが女じゃなかったら俺はこいつを殴っているに違いない。
「このっ……」
苛立ちを込めた視線を彼女に向けると、彼女もまた嫌悪感丸出しの表情を見せつける。
「アンタはどうして程度がそんなに低いの……」
大げさに頭を抱える彼女に、さすがの俺も堪忍袋の緒が切れた。日頃の鬱憤を贅沢に込めた言葉で言い返す。
「うっせーなこのビッチ! だったらこんな部活辞めてやるっつーの!」
「何をいまさらっ……アンタは一年間辞められないのよ! この前説明したでしょ!」
「くっ……、いや、だったら自主的に部活に来なけりゃいいだけの話だっ!」
「それじゃ私が困るのよ! だからそれもダメ! それに……」
それに……、それになんだよ。
もうこうやって言い合いをするのは何度目だろうか。いつもいつも同じ話ばかりネチネチネチネチとローションみてぇにしつけぇっつーの。
今の俺は苛立ちが最高潮に達している。どんな言葉が飛んで来ようと言い返すだけだ。今日という今日はこのクソビッチに一泡吹かせてやる……!
胸に秘めるは熱き反撃の決意。こんなクソ女に服従してたまるか。
俺は威勢よく次の罵倒を浴びせんと口を開く……!
「このビッ――」
「『アレ』がバラまかれてもいいの?」
「いえ今後ともよろしくお願いします」
俺は深々と頭を下げ最敬礼。大仰かもしれないが彼女に失礼があってはならない。……あの、それだけはやめてくださいそれだけは。
アレがバラまかれたら俺は終わりである。
「くっ、覚えてろよ……。この厚化粧がっ……」
「あら、私はこれですっぴんよ? 可愛いっていうのも罪ね、本当に」
「そういう意味で言ったんじゃねぇよ……。いつか絶対ぶち殺す」
およそ同年代の女の子に言ってはならない台詞を吐いた気もするが知ったことではない。こいつは絶対に許さない。何が何でも泣かせてやる、と俺は叫んだ。心の中で。心が叫びたがっているんだ。
「そこの椅子揃えておいて」
「……イェス、マム!」
指示を頂き、俺は俊敏な動きで椅子を整頓していく。
なんだか自分が不憫すぎて泣けてくる。映画化したら全米泣くだろうな。
ため息を漏らしつつ、そして椅子を運びつつ、窓の外を眺めた。
群青と茜とが入り混じる夕暮れの空。最終下校時刻の予鈴が鳴った。
ここは恋愛相談部。文字通り生徒の恋愛相談を受け入れる部活だ。
その目的はもちろん、生徒の恋愛問題を聞いて一緒に悩み、解決案を探って、みんなの恋愛がうまくいくようサポートすることにある。
まあつまり、俺たちは学校に蔓延るラブコメを応援するべく、日々活動をしている。
ていうか、そんなことどうでもいいのだ。
まず初めに言わせてくれ。
――恋愛相談部って、なんだよ。