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可児彩乃は求めている

 互いの吐息が聞こえているのではないか、そう感じるほどに、空気は静まり返っている。


 交わされているのは視線だけ。何かを考えているように、あるいは何かを訴えるように、意味ありげな視線が先生の方から送られてくる。


 どうしようもなく二人の会話のその先は見つからない。若干、自分の発言に不安を覚えてしまう。それでも確かな思いがあったことを胸に、俺は懸命に彼女と対峙する。




 固唾を飲んで先生からの返事を待つ。




 息をすることさえ憚られる謎の緊張感。張り詰めた空気感はいつだって好きになれない。ここで「なぁんちゃって! 嘘ぴょんでしたっ!」とか言えば緊張からは解放されるんだろうが、先生からの説教が待っていそうなので自重した。


 どこからか、華やかさを感じさせる音色が聞こえる。吹奏楽部だろうか。こんな夏休み真っ最中に練習とはご苦労様である。……まぁ大会近いんだろうな。音楽室はここから結構離れているはずだが、しっかりと音が響くようだ。


 俺たち二人の森閑を許さないと言わんばかりに、今度はドラムの音が力強く響いた。——うるせ。うるせえよ。ドラムうるせえよ。なんでそんなにバカでかい音鳴るんだよ。……でも俺たちの静寂に横槍を入れてくれて、本当にありがとう。ぶっちゃけそろそろ酸素が足りない。


 なんて思っていたときである。




「……どういうことかしら」




 疑問。まぁそう返すのがセオリーか。


 俺の言葉はあまりにも突拍子で、曖昧で、そして無粋だからだ。




「言葉通りの意味です。先生は自分で決めた恋愛をしているのかと思って」


「…………」




 先生からの返事はない。だがその視線は俺に続きを促しているようにも思えた。


 説明する余地を与える、ということだろうか。むしろそうしなければ殺すと目が言っている気がした。……毎度毎度、視線が怖いんだよなぁ。思わずたじろいでしまう。


 てかなんで俺の周りの女子ってこんなに怖い人ばっかりなんだろう? 今更だけど本当になんでなの? ラブコメとして終わってんぞマジで。どいつもこいつも俺に攻略される気あんのかよ……。


 いらぬ心配はさておき、次の言葉を探る。


 先生は険しい表情で俺を見ていた。言葉の選び方を間違えるわけにはいかない。




 俺は言った。




「最初に違和感を覚えたのは、先生が俺たちに相談をしてきたときです」


「違和感?」


「はい」




 言葉のやりとりをしながら、俺はあの日のことを思い出す。先生の家へ赴き、俺たち恋愛相談部が先生の相談に乗った日のことだ。




「先生の相談は『彼氏が欲しい』という話でした。よくある話です。その手の相談はこれまでにうんざりするほど聞いてきましたから」




 恋愛相談の代名詞と言ってもいい、恋人の作り方。


 部活の中で幾度となく聞いてきた相談内容であり、最もありふれた恋愛相談であろう。


 誰しも悩むことだ。恋愛をするということは、誰かを好きになり、誰かと一緒になりたいということ。それはとても尊いことで、素晴らしいことで、難しいことでもある。


 障害が。問題が。トラブルや困難が。


 一人の努力ではどうしようもない要因が、運命の悪戯のふりをして妨害してくることもあるから。


 だから、パートナーが欲しいのだと恋愛相談はひっきりなしにやってくる。


 先生もそのうちの一人だったのだろう。何かに悩み、何かを憂い、何かを抱えてあんな相談をしたのかもしれない。どこにでもある、ありふれた相談。そう思って俺たちは先生の相談に臨んでいた。


 ただそれだけだった。それだけのはずだったのに——




「でも最初、先生はその彼氏に求めることは『無い』と言いましたよね?」


「…………そうね」




 あの相談の中で、俺たちは戸惑ったのだ。


 ——先生は彼氏に、『何も求めない』と言ったのだから。


 理解し難いことだった。誰しも自分の中には、譲れないものがあると思っていた。そうでなくても、タイプとか理想とか求めるものとか、そういう「意志」は何かしら付随してくるものだと思っていた。


 先生のその発言を聞いて、真っ先に思ったことがある。


 それがもし、自分の意志とは乖離したものだったとしたら。誰かから言われるようにして、恋愛をするような立場だったとしたら。


 ——恋愛をしているのが、先生本人でないとしたら……?




「その発言の意味がようやく分かったんです」




 できれば信じたくはない。


 俺が今から言うこと全てが、馬鹿らしい妄言に帰すのであれば、どんなに良いだろうか。


 何度だって言おう。恋をするのは自分であるべきだ。他ならない自分が恋をしているのだから。


 故に自分の思想にも態度にも行動にも、その全てに責任を持つことができる。自分の中で、喜びも後悔も受け入れることができる。


 そうであるべきだと、俺は確信している——




「先生はあの日、自分の求める人物像を何も言ってくれませんでした。それを俺たちは、恋愛相談部に対する試験だと勝手に思い込んでいた」




 俺はそこで小さく息をつく。此度の一件、ことの成り行きに考えを引きずられて、解釈しやすい方向に意識を持っていかれたのだろう。そこが今回のミスリードだった。


 そうなのだ。




 ——あの日。先生が俺たちに恋愛相談をしてくれた、あの日。




 先生は別に「恋愛相談部に試験をする」なんていうことを言っていないのだ。




 俺たちが先生の恋愛相談に乗り、それにどう向き合うのかを評価する——元はそういう話だったはずで。




「先生が曖昧に濁した空白を、俺たちが勝手に埋め合わせてしまったんです」




 だとすれば、先生の本音は言葉通り、本当に『何も求めない』ということになる。


 そこには先生の意志も、動機も、活力も存在し得ず。


 ただ純粋に、彼氏が欲しかっただけだとしたら……。




「先生は、自分に寄り添ってくれる彼氏が欲しかったんじゃない。そうですよね?」




 核心に迫った。


 瞬間、視線が合う。鼓動が早まる。息を呑む。




 その先にあるのは。






 その台詞の先にあるのは、もの悲しい答えだけだ。








「——先生は、ただ『彼氏』という立場の人が、欲しかっただけじゃないですか?」


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