最後のピース
「はぁ。なるほどねぇ……。はははっ、そりゃ面白いことになってるじゃねえか」
「何も面白くねぇよ。こっちは気苦労が絶えないっつーの」
一通り相談内容を話すと、智也は満足そうに笑い声を上げるばかりだった。よほど対岸の火事がお気に召したらしい。いやぁね、できることなら飛び火させてやりたいよお前にも。
まぁ確かに『先生』との恋愛相談は、部活が始まって以来初めての出来事だった。これまでの相談者は全て『生徒』だったからだ。新鮮味があるという意味では、智也にとっても興味深い話なのだろう。それに相手はあの可児先生だ。クールビューティ感マシマシのお淑やかな先生が恋愛相談……傍から聞けば面白いことこの上ない。
「で、最後はキスしてハッピーエンドか?」
はぁ。ニヤニヤしてるんだろうな……。言葉の節々から浮かれた智也の表情が容易に想像つく。
「さすが恋愛相談部だなー」
「適当なことばかり言いやがって。こっちの身にもなれよ……」
ため息をこぼす。こういう智也のテキトーなところは嫌いじゃないが、もう少し気の利いたことを言えんもんか。せめて労いの言葉は欲しいところだ。……まぁこいつにそんなの期待していないが。
「——いいや、そうはならなかったよ。デートは失敗だ」
「……えっ、そうなのか?」
驚いたような声を智也が漏らした。
「ああ。……なんつーかこう、タイミングが悪かったのかな。……二人がくっつくことはなかったんだ」
「……そうかー」
智也の残念そうな声を聞きながら、思い返す。今日の夕方のことだ。
——河原沿いの先生たち二人。それまでのデートは順調だったはずだ。
根拠なんてどこにもなくて、ただの押し付けがましい期待でしかなかったが。
心の何処かで、それは『実るもの』だと思っていた。
「どうしたら、二人はうまくいったんだろうな……」
考えて分かることかどうかは分からない。けれど考えてしまうのだ。
ふとしたときに思い出してしまう、と言う方が正しいかもしれない。遥香に気付かれるくらいだ。今日は家に帰ってからずっとこんな調子だったようだ。
誰かに気づきを与えてもらわなければ自覚できないほどに、どうしようもなく俺は——
「——でも、別にいいんじゃねえの?」
「えっ?」
思考をパタリと遮るように、智也の声がした。
飄々とした声音で、智也は言う。
「だってそうだろ? 恋愛相談部の目的は、あくまでも顧問を探すことだったんだから」
「…………」
「陽斗たちは、先生の恋愛相談には乗った。部活としても認められた。きっと顧問にもなってくれるんだろ? だったらもう、陽斗たちの目的は叶ってるじゃねえか」
何を悩んでいるんだと、智也は言う。
「聞いた感じ、先生は自分の意志で、その人と付き合うことを選ばなかっただけに思えるしな。……これ以上、陽斗が悩むことってあるのか?」
「まぁ、確かにそれはそうなんだが……」
言う通りだ。智也の言うことは正しい。……あぁ、確かにそうだ。何を俺はいつまでもぐだぐだと……。
恋愛相談部としての本分は果たしている。全力で先生の相談にも乗った。嘘じゃない。自信を持ってそう言える。
だからこそ、だろうか。智也の言ったことに俺の心は揺さぶられるように響いた。
これ以上何を悩むと言うのか。それはあまりにもお節介で、立場知らずで、余計なお世話以外の何物でもないと言うのに。
それに、だ。
——先生は『自らの意志』を持ってあの結末を選んだのだ。
俺たちが何かを言ったわけじゃない。どうしたわけでもない。全ては先生の行動の結果だ。先生が先生自身のために、考え、動き、導き出した結果なのだ。
分かっている。分かっているつもりなのだが……。
——何かがずっと引っかかっている。
気持ち悪くて仕方がない。朧げで、その真相は見えそうにない。答えが分からずにどうしようもなくモヤモヤしている。
何を俺は、こんなにも——
「まぁ、可児先生にも事情っていうのがあるんだろ。なんて言ったってあの『可児』先生だからなぁ」
「……。……どういう意味だよ」
やけに含みのある言い方だ。
問うと、電話口の向こうから失笑混じりの声が聞こえてきた。
「はぁ? どういう意味も何も……。可児先生くらいのお嬢様なら、選ぶ権利はあるだろうって思っただけだよ」
「……お嬢様?」
「そうそう。なんて言ったってあの可児製菓のお嬢様だぜ?」
智也が呆れたようにそう言う。同時に「お前もそう思うだろ?」と同意を求められたが、俺にはその言葉を咀嚼するための時間が必要だった。
——お嬢様……?
その言葉の意味が分からない。フリーズするかのように思考さえも固まってしまった。
唐突なフレーズがふわふわと思考の中を漂うだけで……。どういうことだ……? 選ぶ権利? 可児製菓……?
「いやぁ、でもすげえよなぁ。そんな人が教職として今は——」
「——ちょっ、いやっ、待ってくれ。ストップ。ストップだ智也」
「……なんだよ?」
いったん。いったん整理だ。
理解がまだ追いついていない。
俺は首を振って、それから質問の内容を頭の中で絞ってから、徐に口を開く。
「——先生って何者なんだ?」
「何者って……。もしかして陽斗、知らずに相談乗ってたのか?」
問われて智也はやれやれといった様子でそう言った。
「さすがは陽斗だなぁ。他人に興味なさすぎだろ」
「……やかましい」
若干苛立ってしまい、思わずツッコんでしまった。ああでも。俺が他人に興味ないのは本当なので、今の智也の発言はボケにならないのか……。だとしたら俺の発言はツッコミでもなんでもなく、ただ図星を言われてキレただけ——とかどうでもいいんだよ。今は可児先生の話だ。
「……御託はいいから早く教えろって。可児先生ってマジで誰なんだよ」
囃し立てるように言葉が漏れ出る。
智也は仕方ないなといった様子で説明を始めた。
「——可児彩乃先生は、可児製菓っていう会社社長の御令嬢だ」
「……可児製菓」
「本当に知らねえのか? お前も食ったことあるって言ってたじゃねえか。——アレだよアレ。あのポテチ」
「あ?」
「地域限定カニ味のポテチだよ。林間学校のとき持ち込んでたじゃねえか」
「……そういえば」
言われて思い出す。
カニ味のポテトチップス。おお、確かにそんなの食べた記憶があるぞ。
二日目の夕方。食堂棟の上でみんなのことを眺めながら食べたあの味……。薄味ながらも後を引くカニの旨味が——
「可児先生は、そのポテチを作ってる会社の社長令嬢だ」
「……そ、そうなのか。いや、ちょっと待ってくれ。……えっ? どういうこと?」
「だーかーら! 可児先生はすげえ金持ちってことだ!」
智也にそう言われ、ようやく俺は状況を飲み込む。ああいや違う。既に飲み込んではいたのだが……でも、タイムタイム。……えっ? 可児製菓って……まさか可児と蟹がかかってんの? だからカニ味ってこと? そういうこと? これが今回の伏線?
——いや、分かるわけねえだろ。ていうか伏線ですらねえよ。
どおりで先生の家があんなにも絢爛豪華だったわけだ。今ようやく合点がいった。タワマンだったもんな、先生の家。そりゃ社長ともなれば、あれくらいのすごい家に住めるのだろう。
一人で納得していると、智也はため息をこぼしてから言った。
「だから先生は、自分のステータスにあった男を選んでるって思ったんだよ」
「……そういうことか。ようやくお前の言いたいことが分かったわ……」
ははぁ、そういうことですか。なるほど納得。
可児先生は社長令嬢だったわけだ。となるとあのコワモテお父さんが社長だったわけで……はぇぇ、すげえ人だったんだなあの人。はははっ、いやぁ、ヤのつく人とか言ってすみませんでした。
「選ぶ権利、ねぇ」
自分の中で溜飲が下がっていくのを感じる。辻褄が合っているからだろう。いわゆるステータスに見合った相手を選んだ結果というわけか……。なんと言ってもお金持ちの社長令嬢。先生は選ぶ側で、他の有象無象は選ばれる側。だからこそ、先生は——
先生は——
『でも私は外見や内面で他人を評価するつもりは無いわ』
『最初から決めつけるんじゃなくて、むしろ実際に会って、話して、それから決めていきたいのよ』
——先生は、そう言っていた。
他でもない先生が、真剣な表情でそう言ったのだった。
自分で選びたいのだと。自分で決めていきたいのだと。
ただ先生が望んでいることは、その一つだけで、他には何も望まないのだと。
そう、言っていたのだから——
だから、彼女は——
「……ん? どうした陽斗」
「悪い、智也。……電話ありがとな。ごめんけど切るわ」
「はぁ? いや、そんな急にどう——」
智也の声は、俺が通話終了のボタンを押したのと同時に途切れた。
スマホを操作する。
可児製菓のホームページ。——確かにあった。
会社の概要、遍歴、規模……智也の言っていることに間違いはないようだった。社長の顔もしっかりと載っている。……なるほど、そういうことか。
ベッドに横になる。それから大きくため息をこぼして、思った。……智也との電話。流石にさっきのはマズかったか。感じの悪い切り方をしたかもしれない。……まぁ、そうだな。あとでちゃんと謝ることにしよう。ジュースでも奢って。
智也には悪いと思っている。それでも俺は、考えをまとめたかったのだ。
これまでの先生との会話の中に、ヒントは散りばめられているのだと。
たとえそれが、部活のためでも。俺のためでも。何のためでも無いのだとしても。
気付かなければいけない。手を伸ばさなければいけない。……なぜかそう思えて。
それが相談に向き合うことだから。
思い返し、反芻し、その先に違和感の正体があるというなら——
俺は真相に辿り着きたい。
何よりもそれは。
先生のためになるはずだと、信じているから。