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気がかりなこと

 



 家に帰ってからしばらくして、雨が降り始めた。


 いわゆるゲリラ豪雨というやつらしい。ザーッと強烈に地を打つ音。思ったより雨脚は強いようだ。リビングの窓ガラスにも叩きつけるように雨が降っていた。


 春はあけぼの、夏は夜——なんて誰かさんが言ったらしいが、そんなことは全然ないと思う。夏は大雨である。来る日も来る日も雨、雨、雨。『洗濯物が乾かないんだけど!? ふざけないでよ!?』と母親がこの時期はいつもキレ散らかしているので、夏は大雨なんです異論は認めません。


 これが柳津家、夏の風物詩。イライラしながら家事を済ませ、終いには壁に八つ当たりを入れている母親である。衝撃音が家中に響いた。……あぁ、夏だなぁ。……いや、どんな風情だよ。


 ちなみに雷もたまに光ったり光らなかったりで、さっきはドカンと地響きと共に鳴り響いていた。これにはピカ○ュウもびっくり。もちろん俺もびっくり。思わず「ふぇぇ」と可愛い声が漏れてしまった。……おいおい。この話にヒロインが出てこないからって自らキャラを演じるのはどうかと思うぞ俺。まぁ単純にビビっただけなんですけど。


 さてそんな俺はというと。予報外れの雨に打たれて——いるわけではない。リビングで絶賛スマホをいじっているばかりだ。


 録画していた昨日の深夜アニメの消化も終わってしまった。いよいよやることがなくなって、数秒前に見たSNSをまた見ていた。暇なときってなんで同じSNS何度も見ちゃうんだろうね。この時間が世界一ムダだと、俺だけが知っている。


 はははっ。気付いてるんなら見るなよ、と一人ツッコミ。何処へ行くでもない、空を切ったツッコミは鮮やかにソファの角にぶち当たった。鈍い音が部屋に響く。




「——痛っ!?」




 途端に訪れる謎の虚無感。マジで何やってんだ俺……。


 こうして馬鹿みたいなことをやっているうちにも、世の高校生は夏休みを謳歌しているというのに。まったくもって自分が情けない。完全に出遅れているではないか。今ごろアレだぞ? リア充ないし陽キャどもはえっちらおっちらえっち…………うっ、なんだか泣けてきた。


 いやっ、これはアレですよ? さっき手をぶつけたからですよ? 決して心の痛みのせいじゃないよ? そう、だよ……?




「——なに、泣いてんの?」




 と、氷のように冷たい声が聞こえた。


 目をゴシゴシして振り返ると、そこには遥香の姿があった。




「キモいんだけど」


「……あれ? 俺まだ理由言ってないよね? 泣いてた理由まで言ってないよね?」




 記憶違いでなければそのはずだ。あまりにも間髪入れず遥香が言ったものだから、お兄ちゃん不安になっちゃった。まったくこいつは……。すぐに思ったことを口にする……。


 どうすんだよこれで俺が失恋とかして泣いてたら。そこの窓から飛び降りるぞマジで。ここ一階だけどさ。


 ていうかそもそも、理由を言ったらキモい判定されるだろうと考えちゃってるあたり、我ながら始末に追えない。


「そこどいてよ。今から勉強するから」


「……あぁ、そうですか。……はいはい。どきますよ」


 どうやら遥香はソファ目当てでリビングにきたようだ。しっしっとハエをはらうかのように安住の地を追い出された。されるがまま、居場所を失った俺。


 まぁもともとやることもなかったし、別に良いんだけどね……。せっかく立ち上がったので、乾いた喉を潤すためにキッチンへ向かった。コップに麦茶を注いで飲み干し、それから一息つく。


 壁にかかった時計を見上げる。寝るには早いが、いつもなら自室に引きこもっている頃合いか。




 廊下へ出ようとした、そのときだった。




「で、さっきの答えは?」


「……ぁ?」


「何とぼけてんの……? さっきの質問だって」


「質問」




 オウム返す。そんな動詞はない。


 はて。新手のとんちだろうか。はたまた新手の嫌がらせ?


 どういう意図か考えあぐねていると、呆れたような遥香がこっちを見据えて言った。


「だーかーら。さっきなんで泣いてたのって?」


「……? ああ。その質問? えっ、その質問広げるの……?」


 その話題は何も生産的となり得ないと思いますが……。


 しかし遥香の表情はいつになく真剣そうだ。……なるほど。どうやら遥香にとって、俺が涙を流していたことはイレギュラーなことだったらしい。……いや。そんなことないと思うけどなぁ。俺ってば、よく黒歴史を思い返しては号泣してるからなぁ。


 そもそも俺ってなんで泣いてたんだっけ。しょうもない理由だったことだけは覚えている。遥香にどう伝えたものか考えていると、




「——なんか、兄ちゃん落ち込んでない?」


「…………えっ?」


「いや。元気なさそうだったから、なんかあったのかなって」




 それは予想だにしない言葉だった。




「……マジ?」


「うん。マジだけど」




 神妙そうな顔でそう言う遥香。こちらも抑揚のないトーンで返事をしてしまう。はぁ。よく分からんが、俺が失恋でもしたのだと思っているらしい。……知らんけど。




「……別に、何もねぇよ」




 本当だ。これといって俺の精神状態に異常などない。なんならいつでもネガティブな俺なので、何を落ち込んでいるかなんて考えたこともなかった。そうそう。常に俺ってばネガティブ。


 だから遥香にはそう見えていたというだけであって。


 本当にどうしようもなく、くだらない話というオチなのだ。




「先、戻るわ」




 なぜだろうか。足早に俺は廊下の方へと出ていた。


 遥香の返事を聞くこともなく、リビングを出てそのまま階段を登っていく。


 一歩一歩が何かから逃れるように、急かされるように。


 何処へ向かうかも分からない足取りは、やがて自室の前で止まっていた。




 ——そうか。あいつには、分かるんだろうな。




 そんなことを考えている時点で、やはり今の自分が平常でないことを改めて自覚する。


 心の何処かで常に何かが引っ掛かっているみたいに、心の中はどうしようもなくモヤモヤしている。


 へばりついて取れない、まるで絡まった蔦のように、解くことはできそうもない。


 ずっと気になっていたのだ。今日の夕方のことが。








 ——なぜ、先生は……。








「——ん?」








 携帯が震えていた。


 着信だ。そこに映し出された名前を見て、俺は緊張から解かれたかのように大きく肩を落とす。




 ……気晴らしくらいにはなるだろうか。




 部屋に入り、それからもう一呼吸置いて、スマホを耳元に当てた。






「よう、智也。何の用だよ」


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