デートの予定は
「……えっ?」
先生の言葉を聞いて、一同声を詰まらせる。
——デートが決まった、と先生は言った。
思わず耳を疑う。先生にマッチングアプリの使い方を説明したのは三日前である。あれから一週間も経っていないのだ。……えっ、ちょっと待って。うそでしょ。——もうそこまで話が進んだの!?
「デートが決まったということは、つまり……、もう会う予定まで決めたってことですか……?」
「ええ、まぁ」
「早すぎるだろ……」
マッチングアプリ恐るべし。いや恐ろしいのは先生の方か。いくら出会いを求めているからと言って、こうも簡単にデートの予定が決まるのか。
いやでも先生は恋愛経験無いんだったな。それに先生がそんなトークスキルを持っているとは思えない。相手に流されるままにデートの予定が決まっちゃっただけかもしれない。
——だとすると、些かの不安があるな……。
「大丈夫ですか。ちゃんと相手のプロフィールとか読みましたか。ボットじゃないですかそれ」
「……ボット?」
まぁ流石にそれは無いとして、相手の素性が気になるのは確かだ。
先生はかなりの美人だから、目をつけられることが多いのは納得できる。マッチングの機会だって多いだろう。しかし僅か一週間足らずでデートの約束まで取り付けてしまうとなると、さすがに不安感が拭えない。
「コスプレが好きっていう人から連絡が来て、それでちょっと話をしてて……そうしたらいつの間にか、その、おっ、お誘いが来てっ……」
いつもより先生の声が上ずっている。緊張しているのだろうか。
「それで、今度会うことになった、という感じで……」
「マジかよ」
先生の話を聞き終えて、自分が唖然としていることに気付く。ぶっちゃけ開いた口が塞がらなかった。……とんでもない大物だよ。よっぽど俺らなんかより恋愛の素質あるぞ、この人。
「えっと……。ちなみに会うのはいつを予定しているんですか?」
加納が尋ねる。確かにそれは重要な質問だ。
先生は小さな声で呟くように言った。
「………………明日なの」
「……はい?」
「明日。お昼にランチでもどうかって誘われて……」
言い淀んだ調子で伝えられた日程。ははぁ、明日ですか。……ってことは、今日一日しか用意できる時間がないよな。なるほど、それは時間がない——って明日!?
いやいやいやいやいやいやいやいや。
えっ? マジで言ってんの? 明日デートすんの!?
「そうか……。だから焦ってたんですね」
鳴海が冷静に状況の分析をしていたが、そんな悠長な話ではない。
だってそうだろう。マッチングアプリを使ってわずか三日で会おうとしてくる輩だ。絶対ヤバいやつに決まっている。危険レーダーがビシバシ言ってる。
先生でさえ、聞いた感じ相手の素性をよく分かっていないみたいだし……。どう考えても危険な匂いしかしないんだが……。
「それで、その人と会うんですか……?」
「…………ええ。そのつもり、だけど」
「いやまぁ、こう言っちゃなんですが……。その人本当に大丈夫ですか……? そんなすぐに会う約束を取り付けてくる人ですよ……? もしかしたら危険な人かもしれません」
今回、案を出したのは俺だ。見て見ぬ振りはできない。
先生が危ない目に遭う可能性があれば、全力で止めるべきだ。
——だが、先生はわずかに震えながらも芯の強い声で言う。
「——私は、行きます」
「ど、どうして……?」
「……。それは、なんというか……」
また、声が詰まった。
曖昧で霧の中に消えてしまいそうな先生の声。
それでも先生は、その人と会うことだけは、はっきりと決断していた。
……なんでだ。
どうも分からない。
その声は意志を持っていても、怯えるかのように小さく震えているのだ。……先生だって気づいているはずなのに。今から会う人が、もしかしたら先生にとって危害を及ぼすような人かもしれないということを。
相手の素性さえよく分からないのだから。もう少し会話を掘り下げてからでも遅くはないはずなのに。
それでも先生は——
「…………」
……だが。
確かに先生は言っていた。
最初から決めつけたくないのだと。
実際に会って、話をして、それから決めて行きたいのだと。
それが先生のポリシーだというのなら、俺たちに先生を止める理由も動機もない。
大事なことだ。そういう風に誰かを評価することはきっと間違っていないから。
…………。
間違ってはいないのだが……。
けれど、今回の件に関して言えば、あまりにもリスクが大きい。
正しい信念の下に行動したとしても、それらすべてが正しいかどうかは別の話だ。勇気と蛮勇は違う、みたいな話に近いかもしれない。
さて、どうしたものか——
「恋愛相談部に任せてください!」
聞こえてきたのは、調子外れな甲高い声。
緊張感も緊迫感もありやしない、それでいてどこか頼りになるような力強い声。
弥富だ。弥富がそんなことを言っていた。
「そのための恋愛相談部ですっ。私たちが先生のことを絶対に守ります。だから先生は安心してデートをしてくださいっ」
暗闇に差した一筋の光のように、弥富は自信たっぷりにそう言う。
「……守る? 守るってどういう」
「そうだぞ弥富。お前何テキトーなこと言ってんだよ」
「ちっちっち。ハルたそはわかってないですね……。先生がデートに不安を抱えているんですよ? だったら、わたしたちの出番じゃないですか?」
「いやまぁ、それはそうだけど……。具体的に何をするつもりで————おいまさか」
そこまで言って気づいた。弥富が言わんとしていることに。
先生が安心してデートを続行する方法。いざというときに俺たちが駆けつけられる方法。それでいて先生の邪魔は極力避けることのできる方法……。そんなの一つしかないではないか。
それは、いつかの相談で俺たちがとった行動でもある。
「先生のデートを陰から『覗き見』すればいいんですよっ?」
弥富の笑い声が聞こえた。何当たり前のことを言わせてくれるんだ、と言った調子で。
確かにその通りだろう。先生がデートを決行すると言った以上、俺たちにできることは陰から先生の様子を窺い知ることだけ。
ちなみに弥富よ。
覚えておけ。お前の考えるそれは『覗き見』とは言わないんだ。正しくは『尾行』あるいは『ストーキング』と言うのである。