賽の河原
皆の視線が俺に集まっている。こんな大勢の前で『マッチングアプリ』という単語をドヤって言う日が来るとは思わなかった。
マッチングアプリ——その存在を知っている人がほとんどだろうが、まあ簡単に言ってしまえばインターネット上の恋愛サービスのことだ。
この回答には自信がある。もはや先生の相談にはこれ一択だろう。
今や出会いの場は、スマホの中に秘められているのだ。
「……マッチングア、プリ?」
鳴海が徐に口を開いていた。イントネーションも言葉の区切りもすごいことになっている。なんだかパッとしない表情だし、さすがに知らないってことは無いよな……?
「そう。マッチングアプリ。知ってるだろ?」
「えっと……。うん、まぁ知ってるんだけど……」
「マッチングアプリってあれですよね? いわゆる出会い系……? みたいな。大丈夫なんですか?」
「あぁ、まあ。そうだな……」
正直、そのあたりの両者の明確な違いは俺にもよく分からない。本人確認制度とか料金プランとかが、色々異なるんだと思う。知らんけど。
しかしなるほど。鳴海も弥富も良い顔しないのは、そういう負のイメージが少なからずあるからか。
確かにアプリの内容だけ聞けば、そういった良くないイメージを持ってしまうのは分からなくもない。
しかしマッチングアプリはそのほとんどが透明性を重視し、サクラだったり違法業者の排除に努めているという。二人の考えるような危険性は恐らく少ないだろう。
とりあえず俺は、そんなようなことをみんなに説明した。
つまるところマッチングアプリとは何か。どういったサービスなのか。どのようにしてデートまで進むのか。聞いたことのある実例も踏まえて、分かりやすく。
一通り説明を終えたときである。
——先生が俺をすげえ目で見ているのに気付いた。
「……柳津くん?」
「えっ。あ、はい? ……なんでしょう?」
「……なんでそんなにマッチングアプリに詳しいのかしら?」
うふふ……と微笑を浮かべている先生。その表情だけ見れば優しく微笑んでいるだけのように見えるが、その背後には般若みたいな顔がぼんやりと浮かんでいた。……げ、幻覚か?
「な、なんで先生怒ってんの……?」
「陽斗くん……。マッチングアプリみたいな出会い系のツールは、基本的に十八歳以上の人しか使えないんじゃ……?」
「……えっ。あ、そうなの?」
加納がそう教えてくれた。……へぇ、そうなんだ。まぁそりゃそうだよな。高校生が使うアプリではないしな……って——ああそういうことかっ!
「——ちっ、違うんです! 違うんですよ先生! 俺がマッチングアプリに詳しいのは、ユー〇ューブで動画を見てるからで! 今後の人生の予習のためで! 『マッチング成功のための秘訣十選!』とか、『イケメンじゃなくても盛れる自撮りのコツ!』とか、そういうのを見てたからで!」
「なんでそんな必死になってるの、柳津くん……」
「ていうか、そんなの見てるんですか……」
二人がすげえドン引きしていた。なんだよ。見ちゃ悪いかよ……。
いやだってしょうがねえじゃん。もう高校生の間は厳しいかなって思っちゃったんだから。現在に期待できないのなら、未来に向けて努力するまで。そうそう。俺は未来に生きるんだ! ……ってなんだこのすげえ前向きなようで、後ろ向きな台詞は。
「陽斗くん、『賽の河原』って知ってる?」
「……あ? いや、知らねえけど」
加納が笑顔の裏で俺を小ばかにしているのが手に取るように分かった。ははぁ、今のは少なくとも良い意味の言葉じゃねえな……。どうせ悪口である。あとで意味は調べよう。無駄な努力とか愚劣とかバカとかニートとか、きっとそんな意味に違いない。
加納のことを睨んでいると、弥富が軽く咳払いをした。
「……それで、マッチングアプリ、っていうのは?」
「ああ。まぁ別に説明するほどのことじゃないが……」
そうである。今は恋愛相談の最中だ。
少し考えてから、俺は説明を始めた。
「今回の先生の相談には、最も適したツールかと思ってな」
先生が彼氏に求める条件は『自分のコスプレ趣味を許容できるような人』であった。それは見た目だけでは当然分からないし、こちらから見抜けるようなものでないことは明白だ。
ならばその条件を提示する必要がある。それも不特定多数に、だ。
鳴海の言った掲示板というアイデアに近い形だが、マッチングアプリのシステムは非常に理に適っている。互いにプロフィールを打ち明け、条件をクリアした人と高確率で結ばれる。先生の求める人もきっと見つかるはずだ。
「とりあえず先生、アプリをインストールしてみてください」
「えっ? あ、ああ……。分かったわ」
百聞は一見に如かず。とりあえず使ってもらうのが早い。
先生がスマホをポチポチとやる。そして見慣れた画面を俺に見せてきた。……何度も言うけど俺は使ってないからね? 本当だからね?
「ここに先生のプロフィール、それから自撮りの写真……。あと条件を入れてください」
「……条件」
「そうです。ここに先生が彼氏に対して譲れない条件を書けばいいんです。そうすれば、ミスマッチを防げます」
「……なるほど」
一つ一つ丁寧に、マッチングアプリの使い方を教えていく。
恋愛相談部の三人が俺のことを苦い顔して見ていたが、気にしては負けだと思った。
「それにしてもマッチングアプリですかー。言われて見ればその手がありましたねー」
「なんで気付かなかったんだろう……」
「そう落ち込むことじゃないよ、莉緒ちゃん。高校生の私たちには無縁なものなんだし。むしろ知ってる方がおかしいくらいだと思うよ」
「ですねー。コスプレの件と言い、マッチングアプリの件と言い、ハルたその知識量はおかしいです」
「そうだね……。ホント、すごいと思うな」
「……いやいや、知識が偏ってるだけでしょ」
「あー確かにっ。そうですね。ハルたそって、なんていうかこう、オタクって感じですもんっ」
「あー、それ分かるかも」
「オタク通り越して陽斗くんは変態だと思うわ」
「——おい、そこ。全部聞こえてるからな」
ひどい。ひどすぎる。ガールズトーク怖すぎる。……つーかなんでオタクを通り越すと変態になるんだよ。通り越し過ぎだろ。せめて変人とかにしとけよ。変人もどうかと思うけど。
俺が懇切丁寧にアプリの使い方を教えている間、やることが無いのか三人は俺の悪口で盛り上がっていた。本人を前にボロクソ言えるのが逆にすごい。お前ら後で覚えとけよ……。
——ていうか、今さらなんだが……。
「加納、お前大丈夫か」
「……え? 何が?」
「いや、なんつーか……。その、アレだよ。いつもの仮面はどうしたよ」
「そういえば、ことはっち、普通に素で喋ってますよね」
「先生、いるよ……」
「…………——あっ」
短い悲鳴が聞こえた。ここにきてようやくお気づきになったみたいだ。
説明しよう。加納には表と裏の顔があるのだ。
誰もが知る笑顔満点な表側と、一部の人しか知らない性格残念な裏側。そして可児先生は加納の裏の顔を知らない人物のはず。
これまでのやり取りは、普段の加納琴葉にそぐわない言動が多かったように思えたんだが……。つまりはそういうことだ。
こいつポンコツ過ぎるだろ……。普通にバレてるぞきっと。
「……あはは。いやぁ、今日は天気がいいですねー」
ついでに誤魔化し方も下手だった。いつもの演技スキルはどこへ行った。
そういえば俺の家にやって来たときも、人格の切り替えがうまくいっていなかった。夏休みに入って腕がなまったんじゃないだろうか。
加納の本性を知っているのは恋愛相談部の面子と智也、あとは西春先輩くらいか……。他に知る者はいない。加納のこれまでの努力が無駄になりかねない事態だ。
それこそアレだろう。さっき加納が言ってたやつ。賽の河原ってやつだ。……使い方合ってるか知らねえけど。
先生の方を見る。スマホをポチポチしていたが、俺たちの視線に気づいて顔を上げた。
「……えっと」
加納が何か言おうとしているが、その先の言葉は出ない。これはアレだ。完全に詰んでるってやつだ。いまさら言い訳をしたところで通用しない。
そんなことを思っていたときである。先生は小さく笑って言うのだった。
「——加納さん、普段より楽しそうね」