解氷と疑心
さすがは俺。恋愛相談部のエースと言われているだけのことはある。
こうも簡単に先生の恋愛相談を見抜いてしまうとは。我ながら自分の才能が恐ろしい。
限られた情報からここまでの高度な推測を立てられる人間はそういないだろう。末は博士か大臣か恋愛マスターか……。まぁどれもブラックそうな職業だからなりたくはないけどな。
と、加納が何か言いたげに俺のことを見ていた。
「陽斗くん」
「……なんだ?」
「その……、今さら言うのもなんだけどさ……?」
わずかに頬を赤らめ、こちらを上目遣いで見る少女。その視線に思わず息を呑んでしまう。心臓が少しだけ早まるのを感じた。
鳴海も弥富もこちらを真っすぐに見据えている。先生の相談内容を言い当てた俺への敬慕の眼差しか、あるいは——
「人のクローゼットを勝手に開けるのは、どうかと思うよ……?」
「それは私も思った……」
「ハルたそ、普通に最低です!」
あぁ……。まぁ確かに……。
言われて気付いた。普通にやってることが最低だった。——おいおい、めっちゃデリカシーの無いことしてんじゃん俺! どうすんだよこれでエロ本とか出てきたら! 俺明日から先生の顔見れないよ!?
そんなバカなことを考えていると、加納が困ったような顔で俺のことを見ていた。
「でも……一つ、疑問があるんだけど」
そう言うと、加納は先生の方を恐る恐る窺うように見た。
気後れしているのか、どこか煮え切らない態度である。
「なんで……その……。先生は最初からそう言わなかったの……? 最初からコスプレの話とか彼氏に求める条件とか、全部説明してくれればよかったのに……」
「あ? ……それは先生に聞けよ。俺にする質問じゃない」
怖がって聞けないのか、なぜかそんな質問を加納は俺にする。だが確かに加納の言うとおり、この数分間先生は押し黙ったままなのだ。ずっと俺たちのことを見て沈黙を貫いている。表情の変化もほとんどなかった。その様子を怖いと感じるのは普通のことだろう。
ここまでやってもなお、先生は口を開かないのだ。明らかにおかしいと感じる。
「まぁ。先生は敢えて喋らなかったんだろうな」
「……えっ? どういうこと?」
加納がきょとんとしたような顔になる。
「……思い出せ。これは恋愛相談部の存続を賭けた試験だ」
そう。この恋愛相談はそもそも、先生との一悶着の末に起こったイベントだったはずだ。そのことを踏まえれば、先生の態度は実に合点がいくものなのだ。
「予想だが、先生は敢えてヒントだけ俺たちに教えて、どれくらい相談を解決できるのか見たってところじゃないか? だからずっと黙ったままなんだろ」
恋愛相談部が部活動足り得る存在なのか、それを先生は確認したかった。曖昧で分かりづらい質問をしたのも、今こうして閉口しているのも、俺たちがどの程度相談を解決する能力があるのか、すべてはそれを見極めるためだったとすれば納得がいく。
「そうですよね? 先生」
つまり、全ては茶番だったという訳だ。もしかしたらこの恋愛相談自体が作り物だったという可能性すらあるだろう。
先生はややうつむき気味に、これまでの話を聞いていた。今この瞬間も同じ姿勢のまま、俺たちのやり取りを聞いているのだった。
やがて顔を上げた先生と俺の視線とがぶつかる。妙な沈黙だ。
そして——
「……そう、ね」
何かを諦めたかのように。
どこか自嘲気味に、先生は小さく笑ったのだった。
「…………」
それから僅かな間の後、二の句を継ぐ。
「……そうよ。その通り。柳津君の言う通りだわ」
そう先生が言ったのをまるで号砲としたかのように、部屋の中に漂っていた緊張感が解れていくのを感じた。先生はため息と同時に肩を落としている。その表情はこれまでとは違い少しだけ柔らかい。
それが具体的に何を示しているのかは分からずとも、確信できる。
——どうやら、正解を引き当てたらしい。
「そう……。彼が全部説明してくれたように、ちょっと相談を分かりづらくしてみたの。ちょっと意地悪だとは思ったけれど……。でも、見破られてしまったわね」
「えぇっ!? 先生ずるいですよぉー」
弥富の気が抜けた声。それと同時に加納と鳴海がホッとしたような表情になった。
先生の声音は今までのそれより大分明るい。ようやく変な緊張感から解放されて一安心といったところか。思わず俺も長いため息が出る。加納に至っては極度の疲労からか、FXで有り金全部溶かした人みたいな顔になっていた。はははっ。そのまま溶けてしまえ。
しばらく安心感を味わっていると、鳴海が先生の方に視線を向けていた。
「……どうして、こんなことを?」
「さっき柳津君が言った通りよ。あなたたちを試したのよ」
飄々と、しかしこれまでの冷淡さは感じ取れない声で、先生は続ける。
「……恋愛相談部。正直、部活にするほどでもない、お遊びのような集まりだと思っていましたが……。こうも真剣に、私の恋愛相談に取り掛かってくれるとは思いませんでした」
「……っ。お遊びなんかじゃ、ないです」
鳴海が少し芯のある声で、そう言った。
先生は驚いたような表情で鳴海を見るが、すぐに笑って謝罪した。
「……そうね。今ので少し分かった気がするわ。あなたたちの恋愛相談に取り組む姿勢は、きっと本物だったのでしょう」
これまでの表情と打って変わり、穏やかな表情を見せる先生。
その言葉は、恋愛相談部を認められた瞬間に他ならない。
——本物、か。
先生はそう言った後、俺たち四人のことを一人ずつ吟味するかのように見始める。
束の間、先生と目が合った。
そのきらきらと輝く瞳の中に吸い込まれてしまいそうになる。
忘れていたわけではないが、可児先生は本当に美人だと思う。長い黒髪をかき上げるその所作一つでさえ、映画のワンシーンの如く画になるようだ。
だからだろうか。意識がぼんやり煙のように曖昧となって、さながら先生に意識を吸われているみたいだった。……先生ディ〇ンターかよ。
いやぁ、これだから美人というのは本当に困る。高々目を合わせただけでもう俺は陥落してしまいそうなのだ。早く守護霊を呼びたいところだが、このまま精気を吸われても悪くない気がしたので抵抗するのはやめた。ていうか守護霊なんて本当にいるのだろうか。今んとこ俺の人生大失敗なんだけど。早く守護霊とやらに守ってほしい。養ってほしい。お金が欲しい。
と、弥富が間延びした声を上げた。
「……ていうか、この話はどこまで本当だったんですかー」
弥富の疑問はごもっともだ。確かにこの恋愛相談は可児先生による自演が含まれていたので、その真偽を疑うのは当然だろう。もしかしたらこの恋愛相談自体が作り話という可能性もある。
質問を投げかけられた先生。
その表情が少し陰ったような気がした。
「……まぁ、そうね」
——僅かに見せた暗澹。
たぶん……、いやほとんど間違いなく、先生は戸惑ったような表情を見せたのだが。
しかしその一瞬だけでは、違和感という引っかかりでしかなくて。
気のせいだろうか。そう言った後、すぐに先生は小さな笑みを浮かべて言った。
「……そこは安心して。『彼氏が欲しい』っていうのは、本当だから」
「そうなんですねっ。てっきり全部嘘なのかと思いましたよー」
弥富のおどけた笑いに消えた感情。さすがに考え過ぎだろうか。先生の表情はぎこちなくも明るかった。とはいえ……いや……。
——あぁ、やっぱり考え過ぎだ考えすぎ。最近の恋愛相談がハードなものばかりだったから、疑ってかかる癖でもついてしまったのだろう。
ぶんぶんと頭を振っていたら、加納が気色の悪い、甲高い声を出していた。
「それにしても、先生ってコスプレするんですねー。意外ですっ」
ああ。そういえば先生がコスプレイヤーって話になったんだよな。俺がした話だってのにすっかり頭から抜けていた。
「……バレちゃったわね。まさか見破られるなんて……」
先生はそう言うと、俺の元に視線を預けてきた。悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「そういえば、柳津君の洞察力は素晴らしかったわね。絶対分からないと思ったんだけど……。はっきり言って異常ね。怖かったわ。思わず身震いしたし」
「……それって、俺のこと褒めてるんですよね?」
「もちろん褒めているわ。絶賛したわよ。……それより私のことをあまりじろじろ見ないでくれるかしら? 身震いが止まらないから」
「ひでぇ!」
褒めてるどころか普通に貶されていた。ねぇなんで先生こんなに刺々しいん? もしかして俺のこと嫌いなの? それとも一周回って好きなの? ツンデレなの? もしそうだとしたら俺じゃなきゃ見逃しちゃうよ……。
まあんなわけないんですけどね。もちろん知ってましたよ、ええ。普通に嫌味言われてるだけだよこれ。確かに先生の秘密を次々と言い当てたり、クローゼットを勝手に開けたりしたから、嫌われるのも当然なんだけどさ……。
それにしても先生、冗談とか言うんだな。これまでのイメージ的にそういうジョークみたいなのは言わないキャラかと思っていた。案外お茶目なところもあるらしい。……で、さっきの身震いするってのはもちろん冗談ですよね……? ね?
「いやぁ、あのハルたそですからねぇ。しょうがないですねっ」
「どういう意味だよ……」
「だってハルたそって全然デリカシーないじゃないですか? だから嫌われてもしょうがないかなって? ……ぶっちゃけ女の敵?」
「言いたい放題だなお前……」
ていうかなんでお前、俺の中学時代のあだ名知ってんだよ……。
悲しい気持ちになっていると、先生がくくくっと笑いを抑えきれない様子でいた。すげえ笑顔だった。……お、おう。楽しんで頂けたようで何よりです。うん。でも人の不幸を笑うのは良くありませんよ……? 道徳的な意味でも、俺のメンタル的な意味でも。ああ、でも……。よく見たら加納も鳴海も笑ってる……。おい、笑うな笑うな。俺は笑えねえんだよ。
「……でも、どうして分かったのかしら?」
心の中のツッコミは無論誰にも届かず、先生がそんな質問をしてきた。
なぜ分かったのか——というのはこの一連の茶番のことだろう。
どうだろうか。パッと理由は出てこない。思うにそれはただの気づきでしかなく、偶発的な思考の結果であろう。理由が特に思いつかないので、もう天才だからですとか言おうかと思ったが、ボケとしてはあまりにも面白くないので寸前で口を噤む。
答えをどうしたものか考えあぐねていたときだ。加納が俺の方を見て不敵な笑みを浮かべているのに気付く。
いやな予感がした。
「それはもちろん——彼が『恋愛マスター』だからですよ!」