先生の部屋へ
改めて自分のコミュ力のなさに絶望していると、俺たちを先導していた先生が足を止めた。目の前には扉がある。
「ここが私の部屋よ。どうぞ中へ」
先生がその扉を開けると、そこには六畳ほどの部屋が広がっていた。
ソファと机、スタンドライトにテレビ、そしてベッド。おしゃれなハンガーラックに大きめの本棚。全体的にモノトーンな印象を受ける部屋だ。
ほぉ……。これが生まれて初めて女子の部屋か……。
ぶっちゃけ期待とか妄想とか膨らんでいたのだが、急速にそれらは萎んでしまった。二十代女性の部屋というより、イケオジが住んでいそうな部屋だったからである。
「お邪魔します……」
ガラス張りの机の周りにはクッションが五つきれいに並べられていた。そこに座ると先生は「お茶を持ってくる」と言って部屋を出ていく。
残された俺たち四人。扉が閉まる音と同時に全員がため息を漏らした。
「なんだか……張り詰めた感じね……」
「そうだね……」
加納の言うとおり、この家はどうも緊張感で漂っている感じだ。格式高いってだけならまだしも、なんというかこう、雰囲気が……、ね。雰囲気が、ヤバい。うん。俺の語彙力もヤバい。
だからだろうか。変な緊張感に当てられて、俺たちの会話はぴたりとやんでしまう。会話の糸口を掴もうとしているのか、銘々が部屋全体を舐めまわすように見ていた。
でもこういうとき、他人の部屋ってとにかく矯めつ眇めつ確認していろいろ観察しちゃうよね。すげえ細かいところまで見たりして……。あっ。クローゼットの扉の下から延長コードが引っ張られているのとかめちゃくちゃ気になる。あれどこにつながってるんだ……とか。見過ぎだろ。
他にも部屋の隅にあるマネキンとかも超気になる。なんであんなのあるんだよ。いや別に先生が何持ってようが良いんだけどさ……? 胴体部分しかないタイプみたいだけど、ああいうの何て言うんだっけ。もしかして先生、美術系の副業でもしているんだろうか。
そして次に視界に入ったのは正面にあった本棚だ。それはこの部屋の佇まいから逸脱しているかのように、どこかそぐわない雰囲気を感じさせた。少年誌やら青年誌やら、いろいろなレーベルの漫画が揃っている。
そういえば前に会った時も、週刊ステップのキャラキーホルダー付けてたっけ……。もしかして先生ってオタク? オタクなんか?
先生って全然そういうイメージないからなぁ……。もしかして隠れオタクなのかもしれない。まぁオタク趣味ってあんまりバレたくないもんね。気持ちはわかる。周囲のオープンなオタクが堂々とアニメの話をしてるとき、「俺もその話知ってる!」って混ざりたくなるけど、でもやっぱり言い出せないあのもどかしさよ……。涙出るわ。……えっ? あぁ、もちろん全部俺の話ですよ。そして言い出せないのは俺がただのコミュ障だから。
そんなクソどうでもいいことを思いつつ、今度はハンガーラックに目をやった。スーツやら私服やらがわちゃわちゃしている。
と、鳴海が少し不安そうな声を漏らした。
「先生って……。腰、悪いのかな……?」
「え? どうして?」
加納の問いに、鳴海がハンガーラックの方を指さす。
「いや……あそこに、コルセットみたいなのが掛けられてるから」
見れば確かにある。無地でベージュ色のコルセット。どこにでもありそうな普通のコルセットだ。
カッコよさとかおしゃれさとか、そういうのをすべて排除したかのような、病院で巻いてもらえそうな、そんなコルセット。つまりただのコルセットである。そして反対から読んだらトッセルコ。なんで反対から読んだ。
ちなみにコルセットは元々ウエストを細く見せるためのファッションアイテムだったということはご存じだろうか。今日では医療や運動補助の目的で使用されることが多いが、今でもファッションアイテムとしてコルセットをコーデに取り入れる人は多いという。派生としてコルセットベルトやコルセットスカートなんかもあるし、一概にコルセットと言ってもその種類は様々で——って、なんで俺はこんなにコルセットに詳しいんだ。怖いよ。
「ハルたそ、緊張してます? なんか震えてますけど……」
自分のコルセット知識の碩学さに身震いしていると、弥富が心配そうに俺のことを見ていた。
「トイレ行くなら今のうちですよ?」
「行かねえよ……」
ああ違う。違うんだよ弥富。いまぶるってなったのはそういうことじゃなくて……。
「あら? でも漏らすのは止めてね? さすがに私だってそこまで面倒見切れないから」
「一緒にトイレまで付いていこうか? 柳津くん?」
「お前らな……」
加納に続き鳴海まで……。いやだから行かねえっつってんだろ。なんでそんなに俺をトイレに行かせようとしてんだ。
「なんだか、柳津くんとこうやって話すと落ち着くね?」
「……はぁ。そうですか。でも俺はバカにされた気しかしないんですが……」
「気じゃなくて実際バカにしてるのよ。本当に大丈夫なの? トイレ」
「だからなんで俺の膀胱をそんなに心配してんの? お前ら俺の母ちゃんなの?」
皆の視線はまるで、ピアノの演奏会直前にめちゃくちゃトイレの心配してくる母親のそれだった。ピアノなんて習ったことないから物の例えだ。
そうこうしているうちに、先生がお盆を持って部屋に戻ってきた。
グラスに入った麦茶を出され、俺たちがそれぞれ『恐縮です』とポーズを取ったところで、最後に先生が座る。
「ごめんなさいね……、お待たせして」
「あっ、いいえ。とんでもないですっ」
加納の営業スマイルが炸裂した。いつものことだが、変わり身が早すぎる。
さて、いよいよ本題だ。
——可児先生の恋愛相談。
恋愛相談部の命運を賭けた先生の相談。部の存続のためには、失敗は許されない。
妙な緊張感が続いている。沈黙も、だ。誰かがその場を取り仕切るわけでも無く、先生が自発的に何かを言うのをじっと待っている。
「……始めましょうか」
開始の合図が為される。どんな恋愛相談が来ようとも、俺たちは真正面からぶつかるだけだ。
先生は俺たちの表情をそれぞれ窺うように、一人ずつ見据える。
そして口を開くが、一瞬、何かをためらうように喉まで出かけていた言葉をしまった。
……緊張でもしているのだろうか。
まぁ無理もないだろう。いくら俺たちの部活を見極めるためとはいえ、自分の恋愛相談を打ち明けるのだ。多少の躊躇はあって当然である。乗りかかった船だし、今さらやめるわけにもいかないわけだ。先生の意固地な性格が裏目に出た結果だ。
しかし先生が緊張しているのと同じように、こちらだって相当な覚悟を持ってこの場にいる。状況はお互い様だ。何が何でも相談を解決して、先生をぎゃふんと言わせたいところ。
部員各々が先生に真剣な眼差しを送る中、十分すぎる間の後に。
ようやく先生は、諦めたかのような声音で、口を開いたのだった。
「……彼氏が欲しいのよ」