では、恋愛相談部を賭けて――
加納がほとんど悲鳴みたいな声を上げていた。
先生も口を開けたままだ。呆然自失として俺のことを見ている。
うわぁ、なんだこの空気……。吸ったら死にそうな空気だなぁ。ほとんど息ができないレベル。まあ俺がやったんですけどね。
静寂の中で小さくため息をこぼした。これくらいけしかけてみなければ、先生は動かない気がしたのだ。
昔から高飛車キャラというのは「もしかして俺と戦うのが怖いのか?」とかなんとか言えば大抵勝負に乗ってくると相場が決まっている。今回はそれを狙っての発言だったのだが。
「な、なな、何を言ってるの陽斗くんっ……? 先生に失礼でしょう? あははっ、まったくもう、この戯け者が……」
その前に加納の口調がおかしなことになっている。表モードと裏モードが混在しちゃうくらい困惑しているみたいだった。混乱してる加納ウケるなぁ。
「とりあえず謝りましょう? ……ねっ?」
「いや、俺は別に謝るようなことは——痛ててててててっ!?」
——その瞬間、脇腹に激痛。
見れば俺の横っ腹に加納の親指が食いこんでいる。おい。ちょっと待ってくれ……。タイムタイム。——なんでこいつ、こんなに力強いの? 前世やっぱりゴリラなの?
「痛ぇよ、放せよ!」
「アンタ何考えてんの! バカなの?」
「違う! これはこれで俺にも考えがあってだな……!」
もう耳打ちなんて誤魔化すような真似などできない。暴力が始まったらその時点で俺たちの諍いは始まるのである。
普通に二人で言い争っていると、先生のほうから「ちょっといいかしら?」と声がかかった。
「……まず、喧嘩はやめなさい」
諭されてしまった。まあ喧嘩は良くないよね。うん。みっともないし。……でも先に手を出したのはあっちだと思います!
とりあえず取り乱したことを詫びると、先生は呆れたようにため息をこぼした。
「それから、恋愛相談のことですけど」
恋愛相談。そうだ。その返事をまだ受け取っていない。
しばらく間が開く。先生は俺たち二人の表情を窺うように見てから、はっきりとこう言った。
「——引き受けてもいいわ。柳津君の意見に乗ってあげましょう」
「「えっ」」
加納と俺の声が重なった。
「え、マジすか……」
「ええ。もちろんよ。何か問題が?」
「あ、いやっ。まさか、本当にいけるとは思わなくて……」
もう少し渋られると思っていたのだが……。まさかOKとは。この短期間にベ〇ータばりの改心でもしたのだろうか。
自分で言うのもなんだが、まあまあヒドイことを言ったつもりだ。うっかり先生から殴られても文句は言えないレベルだったと思う。
そんなことを考えていると、先生の視線が俺に向いていることに気付いた。
「柳津君の言うとおり、あなたたちの部活動はこの目で見なければ正当な評価を下せないと判断したまでよ。ただ、それだけのこと」
相変わらずのすました顔で先生はそう言うと、徐に椅子から立ち上がった。
「部活動なんて所詮は娯楽。けれど、いくら真剣に取り組んでいるからと言って、ここまで物言いをできる人たちはそうそういないでしょう。……そうね。あなたたちには何か信念があるのかしら。……無価値だと言ったことは謝るわ。発言を撤回します」
そして、先生は深々と頭を下げた。
「ごめんなさいね」
「あっ、いや……俺は別にそんな……」
「かっ、顔を上げてください、先生!」
まさかの展開だ。本当に先生がこの話に乗ってくれるとは……。
正直なところ五分五分の賭けだったと思う。先生からしたら引き受けたところで何のメリットも無いお願いなわけだし。知らんと言えばそれで終わるだけのことだったはずだ。
先生を突き動かしたのは何か。——先生はそれを『信念』と言っていた。
俺たちの思いが通じたから。俺たちの思いが強かったから。部活動にかける熱い思いがあったから、一縷の望みが繋がったのだろうか。
「それに……」
なんだ、結構いい先生じゃんとか思っていたときである。思い出したように先生が口を開いた。
「——あそこまで私のことをコケにしてくれたのは柳津君が初めてだわ。上等よ。喜んであなたたちの部活動を吟味してあげる。覚悟なさい」
「…………うっす」
——全然違ったわ。これただの私怨じゃねえか。
やっぱり俺の『ご縁が無い』発言が糸を引いていたみたいだ。しっかり恨まれていた。ま、まあ……。もともとそういう狙いでの発言だったからね。結果オーライよ……。うん。
「じゃあ私たちは今から、先生の恋愛相談を……?」
「向こう一週間で都合の良い日を教えてちょうだい。次回はその日に集まることにしましょう?」
「あ、はい。……分かりました」
日取りは鳴海や弥富の都合が分からないので、あとでメールにてやり取りすることとなった。
加納と先生が互いに連絡先を交換する。先生はパソコンではなく、自分のスマートフォンを取り出して登録をしていた。さすがに個人の判断ということだろう。
一通りの事務作業を終え、先生は改まった表情で俺たちに告げた。
「では、加納さん、柳津君。恋愛相談部が部活動足り得るか、私が責任をもって評価します」
思わず背筋が伸びてしまうような、緊張感が走る。
「中途半端な結論を出すつもりはないわ。部活動として活動する意味を見出せなければ予定通り廃部扱いにしますから。それでいいわよね、柳津君?」
「……あ、はい」
分かってます。分かってますって……。だからなんで俺だけ名指しなんだよ。怖いよ。あとそんなに俺を睨まないでください。
「恋愛相談部を賭けているという思いで、最善を尽くすように」
——かくして、俺たちの『恋愛相談部奪還編』は始まった。
先生が公平な判断をしてくれるのか一部不安ではあるが、ここまでして俺たちに付き合ってくれているのだからその悩みは野暮ってもんだろう。
正々堂々、先生からの評価を黙って聞き入れるのみだ。
認めてもらえれば顧問獲得、そうでなければ廃部。
背水の陣この上ないが、やるしかないようである。
……ところで先生って、どんな恋愛相談をするつもりなんだろう?




