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恋愛相談部顧問

 加納と二人、職員室へとやって来た。職員室は夏休みだというのに明かりが灯っている。


 こんな暑い中、出勤ご苦労様である。この時期は外へ出るだけでも自殺行為だというのに。まあ授業が無いだけで先生たちは普通に仕事があるだろうし、俺たちみたく夏休み中に用事がある生徒もいるわけだ。学校を空けるわけにはいかない。当然か。


 加納が扉の前で小さく深呼吸をした。はぁ、緊張でもしてるのかしら……。珍しいこともあるもんだ。


「失礼しますっ。文化祭の書類を提出しに来ましたっ」


 いやそんなわけがなかった。表モード切替えのための予備動作だっただけだ。なんじゃそりゃ。モ〇ハンだったらさっきのが絶好の攻撃チャンスだったに違いない。


 職員室の中には、先生が十名程度。全員がいるわけではなさそうだ。近くにいた一人の先生が応対する。


「はい、受け取りますよ」


「あのー……。申し訳ないんですけど、実はこの欄で質問があって……」


 加納と先生がやり取りしているのを後ろで見ながら、俺はなぜここに連れてこられたのかをボーっと考えていた。……この感じ、たぶん俺は必要ないでしょう。全部あいつがやってくれてるし。マジで俺の存在理由が分からん。傍から見たら加納の付き人にしか見えないと思う。


 もういっそ加納の付き人も悪くないなぁとか思っていると、先生が一言。


「そういうことなら、部活担当の先生に聞いてみようか」


 そう言って、先生は職員室の奥の方を指さした。どうやら、そういうのに詳しい専門家がいるらしい。……はぁ。専門家、ねぇ。どうでもいいけどテレビとかに出てくるアナリストとか専門家ってどうやって生計立ててんだろうな。マジで疑問だ。俺もギャルゲー専門家を名乗って金もらえるんなら今すぐ専門家になるんだけどね。あとアナリストってめちゃくちゃエロく聞こえどうでもいいですねはい。


 指示された席まで加納と共に移動する。




 職員室の一角、そこに一人の先生がいた。




 長い黒髪、凛とした表情。




 一目見た瞬間、自分の思考が支配されていることに気付く。






 ——美人だ、と思った。






 まるで誰も寄せ付けない威圧感さえ感じる。近寄りがたき高嶺の花とでも言うべきか。絶世独立とはよく言ったもので、ちょうどそこが特異点にでもなっているかのように、周りには誰もいない。ただ一人、その先生がそこに佇んでいた。


 声をかけることさえ憚られるほどだ。本当に綺麗な人だ。よく見たらアホ毛が生えている……。何だこのギャップは。ちくしょう、可愛い。これで俺に美人のお姉さんの知り合いがいればまだ会話もできたんだが、案の定そういった設定が無いので無理だった。そもそも女性免疫が無い時点でノックアウト。き、緊張するぅ……。


「——あら? 誰かと思えば、加納さんじゃない?」


「お久しぶりです、可児先生」


 なんて思っていたら加納が普通に挨拶をしていた。どうやらこの先生と面識があるみたいだ。さすが加納。顔の広さと胸のでかさにおいては他の追随を許さない。


 それにしてもこの人、可児先生と言うらしい。普通に知らんな。上級生の担任だろうか。


「ちゃんと勉強には励んでるのかしら?」


「もちろんです。……あ、でも、物理の宿題はまだ終わってないんですけどね……」


「それは期日までにこなせばいいだけのことよ。勉学で大事なのは知識が身に着いたという実感、そして成功体験よ。それを忘れないように」


「はいっ」


 なんかよく分からんが高尚な会話が始まっている……。うわぁ、イヤな話だなぁ。夏休みの宿題なんてこれっぽっちもやってないからなぁ。でも最終日に答えを写して間に合わせるから、先生基準では俺も優等生ですよね? そうですよね?


「……物理」


 物理か。そういえばこの前の試験は散々な結果だった。自由落下だの斜方投射だの、エネルギーだの仕事だの、マジで意味が分からん。特に仕事とかいう概念がマジで理解できなかった。早くも社会人に向いていないことが判明してしまった瞬間である。


 完全に独り言のつもりだったのだが、加納が俺の方を見たかと思うと、「あっ」と気が付いたような声を漏らす。


「そっか、陽斗くんは可児先生と面識ないんだっけ?」


「ん? まぁ、そうだな」


 そう言うと、加納はニコっと笑って口を開いた。


「この人は可児彩乃(かにあやの)先生。私のクラスの物理の授業を担当してくれてるの!」


 加納の紹介を受け、俺は改めて可児先生の方に注目する。ふむ……。俺のクラスの物理の先生はこの人じゃなかったはずだ。ははぁ、どうりで知らないわけだ。良かった、俺が無知なわけじゃなくて……。まあ授業寝すぎて、今の物理の先生もあんまり覚えてないんだけど。


「先生の物理の授業、超分かりやすいんだよっ」


「へぇ……、そうなのか」


「専用の手作りプリントで授業してくれるんだけど、これがもう本当に分かり易いの!」


「はぁ……。そりゃすごいな」


 加納が手放しで先生のことを褒めている。きらきらとした笑顔だった。表モードとはいえ、加納がこういう笑みを浮かべているときは本心なのだと最近気付いた。もはや熟年夫婦並みの意思疎通具合である。


「しかも、わざわざ家で作ってくれてるんだって!」


 なるほど、独自のプリントで授業する先生か。なるほどねぇ。ああいうのってプリント一枚作るのにも相当な時間がかかるだろうに。生徒のことを考え、自ら社畜の道を選ぶとはなかなかストイックな先生だ。仕事を持ち帰るとか俺にとったら罪と罰でしかない。


 でもそんなに分かりやすいって言うんなら今度見せてもらおうかね。加納もこう言ってるわけだし。うん。……でも加納って確かこの学校に首席で入学してるんだよな? めちゃめちゃ頭良いんだよな……? それってどうなんだ。頭が良い奴の『分かりやすい』は信用ならんぞ。マジで。男子の言う『最近まったく性欲無いわー』くらい信用ならない。


「それで、そっちの君は?」


 アホなことを考えていたら先生に睨まれていた。不審者を見る目だった。


 思わず身震いしてしまう。ただでさえ大きな目をしてるもんだから目力もすごいわけで……。ていうかそんな目で俺を見ないでください。ぼくは不審者じゃありませんよ……。つーか俺制服着てるから生徒だって一目瞭然なんだけど。なんで不審者を見る目で睨まれてんだ。


 とりあえずちゃんと名乗っておいた方が良さそうだ。もしかしたら制服コスプレした人だと思われているのかもしれない。


「あ、どうも……。忠節高校一年の柳津陽斗って言います」


 簡潔な自己紹介が決まった。さすがは俺。無駄がなく洗練された最高の自己紹介。あまりにも洗練され過ぎててクラス最初の自己紹介では「もうちょっとなんかないのかー」と野次を食らったほどである。今気付いたけど、忠節高校って言う必要無いだろ。


「柳津さんね、初めまして。私は生徒指導担当、可児彩乃です」


 ゆっくりとした口調でそう言うと、先生は椅子から立ち上がって軽く俺に会釈した。お、おう……。どうも初めまして。なんつーかこう、めちゃくちゃ品があるな、この人……。


 改めて、先生の姿をじーっと見てみる。かなり若い先生だ。二十代前半くらいだろうか。思わず年齢を聞きそうになったが、女性に年齢の話をする際は死を覚悟しろとおじいちゃんに教わっていたので自重した。


「それで、何の用かしら」


「はい。実は一つお聞きしたいことがありまして」


 問われ、加納が前に出る。例の書類を先生に渡した。


「ここの顧問の欄なんですけど、誰が担当なのか分からなくて……」


 可児先生が書類に目を通していく。妙な緊張感があった。


「はぁ。どこの部活?」


「恋愛相談部です」


 加納が朗らかな声でそう言った。こうして口に出してみると本当にお恥ずかしい部活名である。もうちょっとなんか工夫できただろうに。まあ他に表現のしようが無いけれど。


「恋愛、相談……」


「先生?」


「……ああ、いえ。何でもないわ。顧問の先生を調べればいいのよね」


 抑揚のない返事、しかし少し驚いたかのような口ぶり。


 先生はそう言うと、パソコンに向き合いキーボートをカタカタし始めた。


 その様子を遠目に見ながら、俺たちは待つことに。


 静かな時間だ。こういうとき、加納と気軽に話せるような関係であれば良いのだが生憎そういった事実は無い。たぶん話しかけても無視されるだろう。いい加減こいつとの距離感も分かって来たので自ら墓穴を掘ることもあるまい。


 あまりに暇すぎてあくびが漏れてしまった。――と、先生の鞄に変なキャラのキーホルダーがついているのを見た。どっかで見覚えあるな、これ……。何だっけ……。


 普段ならそこで思考は中断されるものだが、調べ物を待っている間が手持無沙汰なのでちょっと考えてみる。デフォルメされたかわいらしい男の子ふたり。肩を組んで並んでいる構図のキーホルダー。……んん、待てよ。喉まで出かかっている。




 ——ああ、思い出した! 思い出したぞ! これアレだ。週刊ステップに出てくる超有名漫画のキャラだわ。――くぅぅ! さっすが俺! 深夜アニメに留まらず、一般アニメもしっかり網羅できてるぜぇ! はははっ、気持ちわりぃな俺!


 オタクの帝王たる俺に死角など無し。……ふぅ。いい仕事したな。賢者タイム突入。にしても先生って少年漫画とか読むんだね。結構意外かも。まぁ面白いからな。


 一人で勝手に盛り上がっていたときである。隣から鋭い視線が飛んできた。


「……何ニヤニヤしてんの?」


「え、あ、顔に出てた……?」


「……キモっ」


 表情筋を全部殺したかのような無表情っぷりだった。ツンとかそんなレベル通り越したツンざくような鋭利な視線。そんなに気持ち悪かったですか……。傷つくなぁ……。


 こういうのを巷ではオタクスマイルと言うらしい。みんなは周りに人がいないか気を付けような。マジで。デュフフwとか論外だから。コポォwも論外だから。あとフォカヌポウwwwってなんだよ。どうやったらそんな笑い声になるんだよ。


 咳ばらいを一つ挟み、話題転換。


「……まぁ何にしても、これで顧問が分かれば今日は解散だな」


 思えば長かった。訳の分からん出し物決めをさせられて、こうして職員室にまで連行されているのだ。せっかくの夏休みが台無しである。早く帰りたい。――んで残業代は出るんだよなぁ部長?


「何言ってんのよ。企画は決まったけど、内容まで全然話し合えてないじゃない。戻ったらそのミーティングよ」


「うそん」


 マジかよ。残業代はおろかサービス残業しろって言うんですか。ふざけんじゃねえ、辞表を叩きつけてやる! とか思って加納を睨んだら死ねと言わんばかりのガンを付けられた。怖くなったので辞表を出すのはまた今度にしたいと思います。


 しかし恋愛相談部の顧問はいったい誰なんだろうな。普通に気になる。そしてその瞬間、脳内に閃光が走った。——あっ! これはもしや! その顧問って可児先生だったり!? このまま先生とお近づきになっちゃったり!? ラブコメお決まり展開その百八『部活の顧問が美人の先生』ってやつだ! 間違いない! うん、ていうか、お決まり展開多すぎだろ。




「分かったわ」




 下らない思考にグッドタイミングで、先生が口を開いた。


 固唾を飲む。果たして、恋愛相談部の顧問や如何に——






「——恋愛相談部に顧問の配属は無いみたいね。残念だわ」


「「……え?」」






 可児先生は、情の無い声でそう言ったのだった。


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