空欄の処理方法
それからしばらく。
あの後も色々と話し合ったのだが、加納の案を越えるアイデアは結局現れなかった。
話し合いは終わりを迎え、結論は出たのである。そして俺は今何をしているのかというと、特に何もしていない。加納がつらつらと書類を書いているのを、遠目にボーっと見ているだけだ。
彼女が書いているのは、部活動が文化祭に出展するために必要な書類。
出展内容やらその動機やら色々と書く欄が多いらしく、さっきから加納のため息が止まらない。そんなにイヤなら企画自体やらなければいい話なのだが、そういうわけにもいかないようで。……ともかく、あの書類の完成にはまだまだ時間がかかるみたいだった。
暇だなぁと思いつつあくびを漏らしていると、弥富が俺の前の席に座った。
「……なんだ」
「いやあ、楽しみですねっ。文化祭」
「そりゃ良かったな」
我ながら素っ気ない返事が出た。でも実際、それ以上の感想が出てこなかったのだから仕方がない。俺は話がつまらない男なのだ。ごめんね。
ちなみに文化祭なんてちっとも楽しみではない。いつもの退屈な授業が無い分ちょっとマシだなと思う程度だ。俺は隅の方でじっとしていると思う。
そんなことを思っていると、今度は横から鳴海の声が。
「それにしても、ちょっと意外だったかも」
「ん、何がだ?」
「柳津くんがことちゃんの意見に賛成してたことだよ。いつもなら喧嘩しちゃうくらい対立するのにっ」
鳴海はおどけたように笑っていた。
「もしかして、ことちゃんと仲良くなれた?」
「んなわけねえだろ……」
「そうなんだ?」
「ああ。それに加納の意見に賛成ってわけじゃない。他に良い案が思いつかなかっただけだ」
「あははっ、そっか」
確かに鳴海が言うように、以前の俺ならもう少し加納に反発していたかもしれない。こんなにあっさり受け入れることはなかった。意味不明な立案をした時点で殴りかかっていたことだろう。
入部当初に比べれば、俺の加納に対する反抗精神は抑えられているように思われる。
だがそうなっているのは、別に加納と仲良くなったわけでも、俺が優しくなったわけでも無い。——そこにあるのは諦め。加納と争ったところで不毛でしかないという諦めだ。悲しいことだが、これが事実。そうそう。もう俺ってばすぐに諦めちゃうからこの勢いで恋愛相談部も諦めたいところです。
「ていうかお前らこそ、あんな意見に乗っかって大丈夫か? 文化祭が黒歴史になりかねんぞ」
さて、ここまでの流れを見てもらえばわかると思うが、恋愛相談部の出し物は『恋愛感謝祭』に決まったのである。いや、なんでだよ。
別に加納の案に賛成したわけではないのだが、これといった案がその後も出なかったばかりに、加納の案が採用されてしまったという感じだ。実に不服である。
というわけで、二人に聞いてみた。恋愛感謝祭。普通にこの企画はヤバいと思うんだが、こいつらはどう思っているんだろうか。
「そうですねー? 良い出し物だと思いますよ?」
「……マジで言ってんのか」
「はいっ。オリジナリティもあって面白そうかと」
「そりゃ目新しさはあるかもしれんけどさ……」
「わたしもことちゃんの意見には賛成だよ。恋愛相談部らしい企画だと思うし」
「んん、まぁそうか……?」
二人の意見はどちらも肯定的。結構ノリノリである。
「文化祭らしくていいじゃないですかー? たまには目立つようなことしてもっ」
「いや俺は別に目立ちたくないんだが……。無難に文化祭をやり過ごしたいんだが」
「もう、そんなこと言ってー? だからハルたそは陰気臭いんですよ?」
「やかましいわ」
心にグサリ。思わず弥富を睨みつけてしまった。……うぅ、陰気臭いのかぁ俺って。きっとイヤな臭いなんだろうなぁ。加齢臭みたいな臭いがしそう。
普通に悪口を言われたので凹んでいたら、加納のため息交じりの声が聞こえた。
「あぁーやっと書き終わったぁー……」
「あははっ。おつかれさま、ことちゃん」
どうやら書類が完成したようだ。結構な時間かかったな。当の加納は疲れ切った様子で右腕をぶんぶんと回して、ついでに首もぶんぶん回していた。……おっさんかお前は。
鳴海が加納の方に歩み寄って、完成した書類を手に取った。アレが受理されたら終わりだなぁとか思っていると、鳴海がきょとんと首を傾げた。
「ことちゃん、ここ何も書かれてないけど……?」
「ああ、そこね。そこは今書けなくて……」
困ったような表情で加納が返した。
書類で何か書けないことでもあったのだろうか?
「どうかしたのか?」
「ええ。この書類には『部活の顧問』を書く欄があるんだけど、それが分からなくってね」
「顧問……」
独り言つ。……確かに。言われてみればそうだ。
これまでの部活動で、顧問の存在を意識したことはなかった。恋愛相談部の顧問が誰か聞いたことすらない。一応部活動として成立しているのだから、誰か担当がいるのだろうが……。
「私も今年から入ったから詳しいことは聞いてないのよね……。入部届を出しただけだし」
「職員室に行けば分かるんじゃねえの? ちょうど出しに行くつもりだったんだろ」
「まぁそれはそうね」
こんなクソみたいな部活の顧問をさせられている先生は誰か。その人が実に不憫でならないが、部室に一度も顔を出していないあたり、もはや自分が顧問だということを忘れている説がある。なんなら恋愛相談部の存在すら忘れられている説もある。
「とりあえず提出しにいきましょうか」
「おう、頼むわ」
「……陽斗くんにも来てほしいんだけど」
「……えっ。なんで?」
驚いて顔を上げると、加納と視線がぶつかった。束の間の沈黙。つぶらな瞳と僅かに紅潮するその表情はどこか意味ありげで——はっ! もしかして! もしかして俺と一緒に行きたいとか!? 二人きりになれるからこのタイミングで告白しようとか!? 今までは冷たい対応だったけど本当は——
「当たり前でしょ? 『文化祭担当責任者』をアンタにしたんだから」
「おい待て。なんだその肩書は」
聞いたことのない役職だった。なんかすげえ責任を負わされそうな名前だった。
はぁ? 担当? 責任者? えっ、俺が?
「部長とは別に責任者が必要って書類に書いてあったのよ。もうボールペンでアンタの名前書いちゃったし、書き直すのもめんどくさいし。……ていうか早く行くわよ」
そう言って、加納は踵を返して廊下の方へと行ってしまう。ははぁ、今ので納得いく説明になったと思っているのだろうか……。なってねえ。なってねえよ。普通にドン引きなんですけど。
だいたいなんで勝手に俺を責任者にしちゃうんですかねぇ、あの子は。
まず俺に確認取れよ。それからだろ。名前書くのは。まあ頼まれたところで断るんだけどさ……。あぁ、そっか。だから何も言わずに責任者にしたのか。なるほど賢いなアイツ。
「分かったよ……。行きゃ良いんだろ……」
どうしようもないので付いていくほかなかった。これがいわゆる「やれやれ系主人公」っていうやつかもしれない。……おいマジか。知らぬ間に念願の脱力系主人公になってるじゃん。
でもヒロインのデレが無いので全然ラブコメしてない件。心の底からやれやれって言ってるだけじゃね、俺? それもう疲れ切ったサラリーマンと変わらないじゃねえか。……マジでどうなってんだ俺のラブコメは。