――恋愛相談部って、なんだよ。
久方ぶりに、呪いの言葉が登場した。
思わず一歩、後ずさる。おいマジか。こいつも俺の二つ名知ってんのか。ちょっと待て、どんだけ俺の汚名拡散されてんだよ。
何度も言っているが俺は恋愛マスターなどではない。それは中学時代の不名誉なる皮肉の効いたあだ名なのだ。
「なんでその名前知ってんだよ……」
「いやだって……? 私、恋愛相談部の活動風景をよく盗撮してましたから」
「あぁ、そうか」
そういえばそうだったな。なるほど納得……じゃねえよ。ああそうかってなんだよ。納得すんな俺。
いやでも確かにこいつ……。部室の日常をカメラに収めてたんだよな……。それが原因で加納の裏の顔もばれて、こんな相談を引き受けたんだし。
「そんな理由で俺を信用したのか……」
「にししっ。半分はそれですけど、もう半分は直感です」
「直感」
またもオウム返す。弥富は俺の間抜けな態度に小さく笑うと、それからやけにすました顔を作って言った。
「だって、あの『ことはっち』ですよ? ――あの『加納琴葉』が。誰もが羨んで、慕って、憧れを抱いてしまう、あの『加納琴葉』が。みんなの前で明るい笑顔を絶やさない、あの『加納琴葉』が。部室の中だけでは、違う顔を見せていた――」
表情こそほとんど変化はないが、弥富の目の奥には輝いている何かがあるように思われた。
「みんなのアイドルとも言える加納琴葉が、信じられないような顔を持っている……。それだけでも驚きなのに、彼女は同じ部活の冴えない男子の前でしか、裏の顔を見せないって分かって、それで――」
「おい」
話の途中で申し訳ないがストップストップ。え? 冴えない男子? それって俺のこと? 俺のことなの? ねえ?
「それで、この人なら私の相談を解決へと導いてくれると思ったんです!」
「いやなんでだよ。結局分かんなかったよ。……てかおかしくね? 俺が言うのもなんだけど、今の話のどこに俺のプラス評価がありました? 聞いた限りお前の中で俺の存在、ただの冴えない陰キャってことになっちゃうんだけど」
悲しすぎる。なんか悪口言われたし。
泣いてやろうかなぁと思っていると弥富はやはり笑って俺に言う。
「違いますよっ。ことはっちってみんなのアイドルみたいな存在ですけど、だからこそ近づきにくい雰囲気っていうか、別世界の人だなぁって感じるときがあるんですよね……。でもハルたそは、そんなことはっちと対等以上に話をすることができる、とても貴重な存在なんです」
「はぁ」
よく分からんが一応褒められているらしかった。……貴重な存在、ねぇ。
「だから、ことはっちとあんな風に話ができる彼なら、きっと何かを変えてくれるんじゃないかって……。そう思って、私はハルたそを選んだんです」
「……なんかよく分かんねえけど、買いかぶられてるようだな」
「そんなことありません。ハルたそを選んでよかったんです。実際、ハルたそは私の相談を解決に導いてくれたじゃないですか」
そう言って弥富は笑った。
屈託のない、晴れやかな笑顔。面識の無い弥富から相談者として指名されたのはそういう理由だったらしい。
あの加納琴葉と対等に話し合える存在か……。そんな風に考えたことすら無かった。
確かに加納は学内アイドルのような存在で、誰にとっても憧れの存在なんだろう。あのルックスとカリスマ性だ。
加えて本人が学内アイドルになることを望んでいるのだから、別世界の住人と思われるのも当然と言える。
そんな煌びやかで華やかな青春を送る加納と、ちっぽけでどうしようもない俺が巡り合ったのは、本当に些細でつまらない成り行きだったと記憶しているが。
それでも、弥富にとっては。
俺の存在が、期待に値する存在だったということらしい。
「まぁ、お前が解決したって言うなら、それでいいんだけどよ……」
「はいっ。本当に、ありがとうございました!」
気持ちの良いくらい透き通った声。
弥富は深々と頭を下げて、それから俺に手を振る。
「……話はこれで終わりです。お礼を言いたかっただけなので。また学校で会ったら、声をかけてくださいねっ」
そう言って、俺に背を向けて、彼女は向こうの方へと歩き出す。
この相談の終止符が、いま、打たれたと言わんばかりに。
彼女は俺をたたえ、感謝し、そして別れの言葉を告げる。
終始、彼女は笑顔だった。何の陰りもない、屈託を感じさせない眩しい笑顔。
弥富のキャラを知っていれば、あんな調子の彼女は珍しくもないのだろう。
だからこそ、彼女は笑っていたのだろうか。
――俺は知っている。
本当は弥富は、そこまで強くなんかないということを。
これまでの彼女が見せた数々の表情を見て、あいつは本当は、笑顔を仮面にして本心を隠しているのではないかと気付いた。
もし、この結末を予期していたというのなら。
すべて弥富が望んでいたことだというのなら。
では弥富はなぜ――悲しい顔をいくつも見せたのだろうか。
「――弥富」
名前を呼ぶ。弥富が振り返った。
この相談にはもうピリオドが打たれている。いまさら蒸し返す必要など、どこにもない。
けれど、聞かずにはいられなかった。
弥富の本当の、心の奥底で眠っているその気持ちが何だったのか。
分かってやりたいという傲慢が、どうしても抑えられなかった。
「――本当は、付き合いたかったのか?」
「……えっ?」
驚くように俺を見る弥富。
草木のにおいを乗せた風が吹いて、彼女の髪を無造作に靡かせる。
「お前は恋愛相談部に曖昧な相談を持ちかけた。そして俺の解釈に委ねて、智也のことを諦められるよう告白を失敗に終わらせた」
弥富は智也を諦めたかった。体のいい決断材料が欲しかった。
――だが、それは本当に弥富の願いだったのだろうか。
弥富は智也のことが好きだった。だが智也から告白を承諾してもらえる道理は無かった。だから諦めるためにも、もう一度告白して区切りを付けたかった。――そう弥富は言う。
でも、本当にそうなのだろうか。
本当にこいつは、智也に振られたかっただけで、あんな相談をしたのだろうか。
「…………」
――考えなくてもわかる。そんなはずはない。
でなければ、オリエンテーションのときにあんな悲しい顔を見せたりするはずがない。ハイキングのときに、智也に付いていこうと必死になったりはしない。
こいつが智也のことを好きでないはずはないのだ。
好きだったのだ。智也のことが。
――どうしようもなく、好きだった。
「本当は智也と付き合いたかったんじゃないのか? 智也のことを諦めず、春日井のことを敵に回してでも、告白を成功させたいと――そう思ってたんじゃないのか」
もし、相談の内容が『智也のことをきっぱり諦めたい』というものだったら、俺たちは勘違いをすることなくスムーズに相談を受け入れられたはずだ。
そうした方が俺たちにとっても、弥富にとっても、都合がいいはずだった。
弥富が本当にその結末を望んでいるのだとしたら、そうするべきだったはずなのに。
そうしなかったのは、きっと――
「俺たちに曖昧な依頼をしたのは、智也に対する恋心を、どこかで諦めきれなかったからなんじゃないのか? だとしたら、お前は――」
「――それ以上は、やめませんか」
震えた声だった。
突き放すような、弱くて、冷たくて、脆い声だった。
彼女の顔は、見えない。
「それ以上言ったら、私たぶん……、泣いちゃいますよっ……?」
風に乗って消えてしまいそうな声だけが残され、弥富はうつむいたままその場から駆けていく。
彼女の背を見ながら、俺は小さくため息を漏らした。
そして、自分の発言に後悔を覚える。
――今のは。
――今のは別に、聞かなくてもいいことだった。
弥富がそれでいいと言ったのだから、それ以上を求める必要などなかった。
こんな質問に意味などなく、彼女の真意を暴くことにもまた意味などない。
ただどうしても、弥富のあの苦しそうな顔がちらついてしまって。
聞かずにはいられなかったのだ。
弥富の姿はもう見えない。誰もいないこの場所で俺は一人佇んで、そしてその場に腰を下ろす。
地面がわずかに湿っていて、ひんやり不快な感触を覚えた。
すべては弥富のために行動していたつもりだった。
けれど、俺は何も分かっていなかったのだ。
弥富の気持ちも、弥富の英断も、弥富の優しさも。
何一つ、俺は分かっていなかった。
恋愛相談部は弥富のために何かができていたと、間違ったことをしていないと、そう思い込んでいた。
今となっては本当に分からない。俺たちは彼女のために何ができたのだろうか。
――きっと何もできなかったのだろう。
すべてを都合よく解決してくれる解答なんてありはしない。どこかで綻んでしまうし、誰かが苦しい思いをする。
それが恋愛だったはずだ。最初から分かっていたはずなのに。
誰のためにもなる、そんな夢みたいな恋は存在しないのだから。
――では、恋愛相談部は。
恋の悩みを解決するべく、恋愛相談部には。
いったい、何ができるというのだろうか。
答えなんてどこにもないのに。正しさなんて分かるはずもないのに。
何を目指して、何へ導いて、何になりたくて。
何のために俺たちは、恋愛相談なんてしているのか。
分からない。分からないままだ。
じゃあ、恋愛相談部って――
――恋愛相談部って、なんだよ。
お久しぶりです。にっとです。
第三章「林間学校編」、無事に完結させることができました。
いつも読んで頂いている読者の皆様をはじめ、この作品に興味を持ってくれたすべての方々に、まずは感謝を申し上げたいと思います。ありがとうございます。
本編は一応ラブコメという体で書かせてもらっているのですが、「ざまぁ」や「じれじれ」「いちゃいちゃ」展開はおろか、ヒロインとの「ラブコメ」成分すら足りていない物語に仕上がっています。
読者の皆様のなかには「これ……いつラブコメするんだ?」と思っている方も多いのではないのでしょうか。はい、答えます。なにより作者の私自身、同じ事を思っています。「あれ、今書いてるのラブコメだよな……?」なんて、たまに何を書いているのか分からなくなるときがあるレベルです。しっかりしろよ自分。
そのせいか分からないのですが、よく誤字ります。いつも報告してくださっている方、本当にありがとうございます。ちなみに誤字の原因は単に私の知識とチェック不足です。本当に申し訳ないです……。そして、ラブコメ成分の件についてですが、そろそろそういう話も取り入れたいなと思っているところです。
それから、感想やレビューについても、本当にありがとうございます。素直に頂けて嬉しかったですし、励みになりました。読者の皆様のおかげで、ここまで書くことができたといっても過言ではありません。本当にありがとうございます。
さて、現在第四章の連載に向けて準備を進めている段階です。なかなか執筆の時間が取れず、連載開始までしばらく時間をいただくことになるかと思いますが、どうか気長に待っていただければと思います。(早くても来年二月頃だと思います。ごめんなさい……)
次章は「部活動奪還編」です。タイトルだけ一丁前に決まっています。頑張って書いていきますので、これからもどうぞよろしくお願いします。