ドロボウハギのエンドロール
長いようで短かった林間学校ともいよいよお別れである。
たぶんこの場所へ来ることはもうないのだと思うと、少しばかり寂しい気持ちになる。
正直なところ、この三日間クソ暑かったし虫もいっぱいいたし建物はボロくてなんか変な風切り音もしたし、悪いところを挙げればキリがない林間学校だったが、それでも、ここへ来て良かったとは思える。
部屋に忘れ物がないかチェックし、二二五室の扉を閉めた。
これで良し。しっかりと鍵を閉めたところで、横から煩い声がした。
「林間学校終わっちゃったよぉー。早いぜぇー。終わるのー」
「わっ、大里のそれマジ分かるわぁ。あと一週間は満喫したかったよなぁ」
「ホントなぁ? ……陽斗もそう思うだろー?」
「思いません」
即答した。こいつらの言ってることがマジで理解できないんだが。……あと一週間はここにいたいだと? んなわけねえだろ。帰る帰る。速攻で帰る。マジで帰る。光の速さで帰るわこんなん。
確かに名残惜しい気持ちは分からんでもないが、ぶっちゃけこんなところ、二度と来ない。
ぶつぶつと文句を垂れ流すアホ二人を尻目に駐車場の方へと向かった。そこには行きと同じハイデッカー式のバスがずらりと並んでいる。生徒たちが荷物を次々に入れていた。
「ほらお前ら、さっさと荷物入れろ」
バカ二人に指示を出し、俺はカギを返しに担当の先生の方へ赴く。
鍵の返却を終え、バスの方に戻ろうとしたそのときだった。俺の袖が何かによって引かれた。
誰だと思い振り返ると、そこには見知った顔が。
「おはようございますっ、ハルたそ」
「……弥富」
正面にいたのは、ニコニコと笑う弥富梓。
ハイキング以来こいつとは顔を合わせていない。昨日のことだというのに弥富と会うのが久しぶりな気がした。
「なんだよ……」
「ちょっとお時間ありますか?」
「……ないですけど」
「まぁまぁ、そう言わずに」
そう言われ、弥富に腕を引っ張られて宿舎棟の方へ。俺の意思は今日も今日とて尊重されない。完全に無視されていた。だったら最初から時間があるかなんて聞くなよ……。
だが、弥富が俺の心中を察するわけもない。建物をぐるっと回り、誰も寄り付かないであろう宿舎棟の裏までやって来た。
誰かに会話を聞かれたくないのだろうか。周囲に人影がいないことを確認してから、ようやく弥富は掴んでいた手を放してくれた。
「ここにしましょう」
「……っ。なんか虫がいっぱいいるんですけど」
「我慢してくださいっ」
朗らかなアニメ声でそう言われる。なんかちょっと響きがエロかった。……あ、別に深い意味はないですよ。むしろ浅いことこの上ない。とりあえず我慢しろと言われたので我慢することにします。
「んで、何の用だ。お前とはもう協力関係を解消したはずだが」
「そうですね。もう私たちを繋ぐものは何もありません」
そう言って弥富は俺に一歩詰め寄った。彼女の大きな瞳に、思わず視線が吸い寄せられる。
こうして見ると、意外とかわいらしい顔立ちをしているな。言動こそアレだが、加納や鳴海といい勝負できるんじゃないだろうか。
目鼻立ちは整っていて、顔のパーツはどれも悪くないし。まあ言動はアレだけど……。いやでもそんなこと言ったら加納だって言動は残念である。なんなら暴力振るってくるし、弥富の方がヒロイン的な意味でまだ可能性はありそうだった。
「あの……。どうかしましたか?」
「え、あぁ……いやなんでもない」
下らないことを考えていたら弥富に心配されてしまった。
「すまん。……それで、何だっけ」
「はい。まぁ、ここに呼んだのは、お礼をしようかと思いまして」
「お礼」
オウム返す。そんな動詞は無い。
しかし反射的に言葉を繰り返してしまうくらいにはきょとんとしてしまった。俺は弥富に何か感謝されるようなことをしただろうか。
「私の相談を受けてくれて、ありがとうございました」
「はぁ。結局何もしてないけどな」
「そんなことはありません。恋愛相談部の皆さん……、いえ、特にハルたそには、いろいろと助けてもらいました」
そう言い終え、弥富が深く腰を折る。
「別に俺が何かしたとは思えないんだが……」
「そうですか? ハルたそは私のために頑張ってくれたと思います!」
「そんなことはない」
「私の相談にしっかり向き合ってくれましたし」
「そんなの分かんねえだろ」
「私が智也くんをちゃんと諦められるように、図らってくれたじゃないですかー」
「それはそうだが、それはでも――いや……、あれ、ちょっと待て。……いまなんて言った?」
聞き間違いかと思った。
「お前が智也を諦められるようにって……いま……」
「はい、そう言いましたけど……?」
何を当たり前のことを、と言わんばかりに弥富は目を丸くしている。
俺はまだ弥富に、一連の相談が抱えていたもう一つの意味について話をしていない。つまり弥富の中で俺たちはまだ、弥富の告白の成功を願う存在であるはずなんだが……。
「……ちょっと待て。じゃあやっぱりアレか。お前は智也のことを諦めたくて、無茶な告白をするために恋愛相談部に近づいた、ってことだな?」
「はいっ。さすがハルたそです。にししっ。よくお気づきで」
悪戯っぽく笑う弥富。その笑い声を久方ぶりに聞いた気がした。
なんか今のやり取りで、どっと疲れた気がする……。
「……ひとつ、いいか?」
まぁ、せっかくの機会だ。聞けることはこの際聞いておこう。
「どうぞ?」
「……どうしてこんな誤解されかねない相談をしたんだ。もし俺たちが本当にお前のバックアップに回っていたら、お前はどうするつもりだったんだ」
最大の疑問。弥富の相談内容について。
弥富の相談は確かに『告白をしたい』というものだった。けれど加納や鳴海、もちろん俺もそうだったが、途中まで弥富の真意には気付けなかったのだ。
弥富が智也から絶対的なノーという、諦めるための材料が欲しかったということであれば、相談の内容を端からそうすればよかったと思わざるを得ない。何よりも今回の相談は誤認識をするところだった。気付いていなければ、事態はより悪化していたかもしれない。
俺の問いに、弥富は飄々とした様子で答える。
「ハルたそなら、気付いてくれると信じていましたから」
「気付くって……、俺がお前の本当の願いを汲み取れるってか」
「はい。ハルたそがいるから、私は自信をもってこんな相談ができたんです」
言っている意味が分からなかった。
俺が相談相手だったから、あんな誤解を招く相談ができた……と?
「そもそも私は、ハルたそを指名してこの相談を持ちかけたはずですよ」
「それは……そうだったな」
思い返す。確か加納曰く、俺が指名されているだとかなんとか。そんなことを言っていた気がする。
しかし、俺とこいつはあの日に出会うまで面識なんて無かったし、名前すら初めて聞いたような仲だったはずだ。
「あれは……。俺が智也と近い存在だから、俺を相談者に選んだってことなんじゃ……」
「えぇー? 違いますよ? 私はハルたそが、この相談の意味に気付いてくれると信じて、相談者に選んだんです」
……はて。どういうことだ。さっぱり分からん。
新手のとんちだろうか。マジで分からない。
降参して首をかしげると、弥富が笑って言った。
「だってハルたそは……『恋愛マスター』なんですよね?」
「…………えっ」