ある恋物語の真相
誰からも、返事は無かった。
それは言葉だけではなく、表情の変化という意味でも、いわばリアクションという意味でも、俺の言葉に反応する者はいなかった。
真夏にしては涼しい風が吹き抜け、草木を揺らしている。互いの吐息が聞こえるんじゃないかと思えるほどの静寂。思い出したように、どこかで虫が鳴いていた。
しばらくして、春日井が大きなため息をこぼす。
「……柳津ってすごいね。なんか見透かされてるみたいだわ」
「はぁ? そりゃどうも」
「こんなに色々分かるのに、どうして柳津ってモテないんだろうね。……ウケる」
「ウケねえよ。てかほっとけや」
なぜか分からないが春日井にディスられた。めちゃくちゃ大きなお世話だった。うるせえよこの野郎。
春日井は小さく笑って、それから再度大きなため息を吐き出す。こいつの反応を見た限り正解を引き当てたらしい。
が、視線を移すと未だ納得できていなさそうな顔が二つ。加納と鳴海。俺と春日井の方を交互に見ては首をかしげている。
「えっと……、どういうことか分からないんだけど……」
鳴海の言葉に続けて、加納も口を開いた。
「私も分からないかな……。説明してくれる、陽斗くん?」
二人の視線を受けて、俺はどこから話したものかと思考をめぐらす。
気付けば簡単な話なのだ。
「まずそうだな……。初めに弥富が俺と加納のもとへ相談しに来た時のことだ」
――林間学校が始まる前。弥富とのファーストコンタクト。
今になって思えば、あのときからヒントのようなものはあったのだと気付く。
「加納、あいつの相談はどういうものだったか、覚えてるか?」
「へ? どういうのって……。それはもちろん、智也くんと付き合いたいっていう相談だったよね?」
「まあ普通はそうなるよな」
「……え?」
確かに加納の言うとおり、弥富の相談を聞けばそう解釈するのが自然だ。
実際、微妙なニュアンスの違いでしかない気もする。俺も今日になるまでほとんど気付けていなかった。
だが今回の相談においては、もっと単純に、純粋にあいつの言葉に耳を傾けるべきだったのだろう。
「正確に言えば、あいつの相談は……『智也に告白をしたい』だ」
そう言って見せるが、やはり加納の反応は鈍い。鳴海もきょとんとした顔で俺の話を聞いている。
「……つまり、弥富の相談は智也と付き合うことを目的としていなかったんだ。あいつの目的はあくまでも智也に告白することにあった」
そして、林間学校に入ってからの彼女の行動である。
「それだけじゃない。昨日のオリエンテーションで、弥富が智也に告白寸前まで差し掛かっていたのは覚えてるだろ」
鳴海が止めに入ったあの告白。まるで急いでいるかのように、焦っているかのように壇上に立った弥富の表情は記憶に新しい。
「あいつは智也に告白したい一心だった。あの場で告白をしたところで、成功率が低いことなんてバカでも分かる。……でもあいつは告白を決行しようとした。それこそが、この相談の本当の意味に繋がっている」
弥富の行動は突拍子もなく、言うなれば奇怪だった。
本当に智也と付き合いたいと願っているのであれば、状況や時間を鑑みて、適切なタイミングで告白しようとするはずだ。付き合える確率が最も高くなる手段を選び、実行する。……だが彼女はそうしなかったのだ。
そればかりか、自分を追い詰めるような行動に囚われていたように思える。春日井に対する宣戦布告も、その自縄自縛行為の一部だったとしたならば……。
すべて、弥富の計画のうちだったとしたら……。
「なんでそんなことを弥富さんは……」
鳴海が呟くように言う。当然の疑問だ。
ではなぜ、弥富は自滅行為に走ったのか。
「――弥富は一度智也に振られている」
二か月前の夜遊び事件。弥富は智也に思いを告げたが、結果は惨敗だった。
本来ならば、ここで弥富の恋物語は終わる。
だが弥富が振られた後……。智也はきっと言うに違いない。優しい言葉を。弥富にとって救いとしか思えないような、そんな暖かな言葉を、あいつなら臆面もなく言うだろう。
春日井が誤解する要因ともなった智也の対応。その対応があったからこそ、弥富は智也の優しさに触れてしまった。
きっと、味わうべきではない優しさだったに違いない。
そんな智也を見てしまえば、諦めきれない自分がいたのかもしれない。
「智也の振り方が中途半端だったんだ。智也の見せる優しさにあてられて、弥富は自分の気持ちに踏ん切りがつかなかった。既に振られている身として、告白が成功することは無いと気付いていても、あいつはもう一度告白をして、自分の気持ちに区切りを付けたかったんだろう。だからあいつは告白にこだわった。……まぁすべては推測だけどな」
そして、智也のことである。
この相談をどう終わらせるべきか、俺が取った行動の意味を、言葉にする。
「だから俺は智也に依頼をした。弥富から告白を受けた際は、きちんと躊躇うことなく振ってやってほしいと。でなければ、あいつの行動の意味そのものがなくなってしまうから」
――結果、弥富は智也に告白して、そして振られた。
智也への思いを断ち切るために、叶うはずのない告白をして、振られたのだ。
「じゃあ……美咲が梓ちゃんの話を聞いた後も落ち着いていたのは……」
「……そう。弥富から、言われたんだよ。告白はするけど絶対に振られるだろうから安心してほしいって。自分の気持ちに区切りを付けたいだけだからって……。そう、言われたからさ……」
「そういう、話だったんだ……」
鳴海がそう言った後に、続く言葉は無い。
誰もが目を伏せて、息苦しくなりそうなこの空気の中で佇んでいる。
長い沈黙だった。
俺は顔を上げ、また星空を見上げる。
煌々と輝き続ける星空を見ても、心に何かが響くわけじゃない。
何かを教えてくれることも、何かを示してくれることもないのだ。
では何を探し求めて、何を見ようとしたのだろうか。それさえ分からない自分に嫌気がさした。ため息と一緒に肩を落としたそのとき、ようやく誰かが口を開く。
「――私たちは、正しいことをしたのかな……?」
声の主は鳴海だった。そして彼女の視線は、俺の方を射抜くように向けられていた。
それは昨日のオリエンテーションで見た、あの眼差しと同じものだ。
――正しいこと、なのかは分からない。
結果的に弥富にとってこの結末は苦しいものだったはずだ。そして俺たちが弥富に何かしてやれたのかといえば……どうだろう。ほとんど何もできていないと思う。
正しくは、無いのかもしれない。
他にやり方はあったかもしれない。最善策があったかもしれない。別の道があったかもしれない。
けれど、弥富が何を願い、何を俺たちに求め、何を期待していたのか。
その真意を汲み取り、行動し、彼女のために動いて。その結果、彼女が振られたのだとしたら……。
たぶん、こう結論付けられると思う。
「きっと間違ったことは、してねぇよ」
そうだ。きっと間違っていない。
俺たちは間違っていないと、そう思うことができる。
だから大丈夫なんだと、平気なんだと。
そう、思えて……。
…………。
――けれど。
――けれど、本当のところはどうだろうか。
俺たちは正解でなくとも間違いのない及第点を得るような行動をとった、としてもだ。
この結末は、本当に弥富のためになったのか。
この結末は、誰もが救われる結果と成り得たのか。
何よりも。
弥富は本当に、この結末を望んでいたのか。
それだけは。
その自信だけは、どうしても絶望的に欠けていた。
第3章、残り2話です。