こうして俺は――
『どうしてそういうこと言うの?』
『だいたい、こんな冴えない俺なんか勧誘して何を企んでたんだ』
『……ひどいよ。柳津くん』
『な、泣けばいいってもんじゃ……! す、すべてお見通し、な、なんだからなっ!』
これって。まさか……。
部屋の方に振り向き、椅子に座る加納の方に視線をやる。
笑みを浮かべる加納。その手にはスマートフォンが握られている。
確かあれ、机の上にずっと置いてあったな。
おい、これって……。
「この音声を聞いたら、みんなどう思うかなぁ?」
加納がせせら笑いながら言った。ていうか、おい。今の録音してたのかよ!
「お、お前、卑怯だぞ!」
「柳津くん。私の本当の顔を知ってるのはこの学校であなただけなの。この音声を聞いて私の方が騙しているだなんて、誰が信じてくれるかな?」
「悪人過ぎるだろお前!」
スマホに録音された俺たちの会話は、確かに聞いただけではどう考えても俺が加納を虐めているようにしか聞こえない。加納の艶やかで震えた声は、誰が聞いても可哀そうで仕方がないと思うだろう。なんなら俺も少し思った。
でもこれダメだろ。なんかの条例に引っかかってそうなレベルの脅迫だよ?
だが、俺には反論の余地がなかった。
「この録音を聞いて、アナタはだんだん入部したくなーる。入部したくなーる。うふふっ、恋愛相談部に入りたくなってきたでしょ?」
「催眠術みたいに言うんじゃねえ。これはただの脅迫だ!」
「どっちでもいいわ。入部するかしないかを聞きたいの」
そう言って加納はにこりと笑う。こいつ……。完全に勝ち誇った顔をしてやがる。ちくしょう、可愛いだけに質が悪い。殴りてぇ、あの笑顔。
「うっかりこの音声をクラスのみんなに流しちゃうかもなぁ」
「そんなうっかりはうっかりじゃねえ。ただの故意だ!」
俺の悲痛な叫びを尻目に、加納は満足げな表情をしていた。俺にスマートフォンをひらひらと見せびらかせている。
俺との視線が合うと、加納はにこりと笑った。
……くっそ、可愛いのは反則だろ。こんなん勝てるかよ。可愛いは正義って嘘なんだな。
「ちなみに部活は毎日放課後にあるからね。絶対に遅れないように」
「まだ入部するとは言ってねぇ……!」
怒りで血走った目を加納に向けるが、加納はやはりバカにした目で俺を一瞥する。
そして彼女はスマートフォンに手をかざす。
『……ひどいよ。柳津くん』
流れるのは加納の悲しみで震え上がった声。この音声が他の生徒に漏れでもしたら、俺は本当に社会的抹殺を受けることになる。なんなら肉体的に抹殺されるまである。
俺は命が惜しい。今の自分の状況を把握するのに、時間はそうかからなかった。
「…………くっ、分かった、入部してやるよ」
恨みと怒りと憎しみと、それから汚い感情諸々を込めて言った。
「うん? 入部させてください、でしょ? ほら、言ってみ、言ってみ?」
「――入部させてくださいっ……!」
込み上げる怒りをなんとか抑えながら、俺は加納に頭を下げた。常人なら間違いなく怒りのあまり憤死するレベルの屈辱。世界史に名前を刻むレベルである。
加納はぺちぺちと、俺の頭を叩いた。ぺちぺちというよりバシバシ叩かれている。地味に痛い。力加減どうなってんだよ。ぶち殺すぞ。
加納に返却された入部届に俺がしぶしぶ『恋愛相談部』と書いていると、彼女は俺の肩に手を置いて言った。
「一緒に頑張ろうね。童貞の柳津くん♡」
「……くっ!」
今日というこの日ほど、童貞であることを恥じた日はない。
ホントにこいつ何なんだよ。裏表激しすぎだろ。ジキルとハイドかよ。
でも言い返す言葉は見つからないので、俺は沈黙するだけだった。ペンを走らせる俺をニヤニヤと見てくる加納に殺意を覚えつつ、俺は入部届を書き直した。
加納は俺から入部届をぶんどると、「よしよし」と上機嫌な様子を見せる。
そして俺に向かって言った。
「これからよろしくねっ!」
――その笑顔も、態度も、声音も、すべて俺が仄聞で聞いた加納琴葉そのものだった。
誰しもが彼女に心を奪われ、慕い、愛し、そして憧れる。
そんな彼女が目の前で無防備な笑顔を見せて、俺に言うのだ。
これからもよろしく、と。
……ふざけんな、と。
マジでふざけんなと。
なぁにがこれからもよろしくなんだと。
こんな裏表激しすぎて、どっちが表なのかもよく分かんねえ奴と部活できるかと。
そう思ってはいるのだが。
怒りを堪え、衝動を抑え、屈辱に耐えて。
どう考えてもこれから碌なことにはならない、と分かりつつも。
俺は面従腹背するしかなく。
ただ一言。
「……よろしく、な」
こうして俺、柳津陽斗は恋愛相談部に入部するのだった。