動き出す結末
さて。
「えっと……なんで柳津くんは蹲ってるの?」
加納の鉄拳をもらって一分くらいだろうか。近づいてくる足音があった。
痛みに耐えながら聞き耳を立てていると、鳴海の声が耳に入る。俺たちの様子を怪訝そうに見ていた。
「あっ、莉緒ちゃん。安心して。こういう持病らしいから」
「……ホントだよ。お前と一緒にいるとマジで病みそうになるわ」
身体を起こし、俺は加納の方を睨む。つい先ほど、ご無沙汰だった加納のストマックブローが鮮やかに決まり、俺は呻吟していたのだった。
「あっ、そうなんだ。よかった。ちょっと心配しちゃった……」
「……おい鳴海。自分の発言がおかしいことに気付くんだ。何も良かったなんて思うことは無いし、この状況を見たら引き続き心配するもんだぞ」
鳴海も恋愛相談部に入ってしばらく経つ。その影響か、俺たちの諍いに大分見慣れてしまったようだ。誠に悲しいことである。慣れって本当に怖い。
鳴海はきょとんとした顔で俺のことを見ていた。うんまあ可愛いけど今その顔になるのは間違ってるからね。もっと心配そうな顔しようね。……ね?
「それよりどうした。鳴海はキャンプファイヤーの方に行ったんじゃないのか」
腕時計を見れば、あと十分ほどでイベントが始まる。次第に窓の外は暗くなり始めていて、食堂棟には蛍光灯の明かりが灯っていた。
「うん。行くつもりだったんだけど……。ことちゃんと柳津くんを探してたから」
「私たちを?」
加納の問いに頷く鳴海。
少し俯き、何か逡巡するみたいに少しだけ目を泳がせていた。
……はて。何かあったのだろうか。
「弥富さんのことなんだけど」
そう切り出した鳴海。
俺と加納、二人の顔色を窺うように、それぞれともう一度視線を合わせた。
そして、二の句を継ぐには十分すぎる時間の後。
意を決するかのように、口を開く。
「――弥富さん、今から大里君に、告白するみたい」
「……えっ」
隣の加納が声を漏らした。
鳴海の言葉を聞いて、思わず息を呑む。
弥富が、智也に告白……。
「……そう、なのか」
俺もまた、そんな声を無意識に漏らした。
いや、分かっていたことだ。こうなることは最初から分かっていた。
だが改めて言われると、当事者でもないのに妙な緊張感を覚えてしまう。
「さっき、宿舎棟でたまたま会って……。大里君に告白する話を聞いたの」
「そうか……」
乾いた相槌に続く言葉は無い。彼女はいよいよ行動に移すみたいだった。まさかキャンプファイヤーのタイミングで告白するとは思わなかったが……。
いや、むしろ機会としては良い折か。明日はバス移動のみでこれといったイベントは無いのだ。つまり智也と遭遇できる機会がない可能性がある。このキャンプファイヤーを逃せば他に告白できる時間なんて無いかもしれない。
告白するとしたら、もうこのタイミングしかない……。
「それで弥富さん、今は大里君を探してるみたい」
「あいつなら、今は部屋にいると思うぞ」
「そう、なんだ……?」
「……今の話を、伝えに来たのか?」
「……うん」
弱々しい鳴海の声。ぶつかる視線。
鳴海のその姿は、言葉にならずとも、俺に何かを訴えているかのように思えた。
無論、俺の自意識過剰かもしれないが。
「梓ちゃんが、智也くんに、ねぇ……」
加納はどこか呆然とするみたいに、小さくため息をついている。
「ねぇ、アンタは止めなくていいの? 梓ちゃんの告白を」
「はぁ? ……止める理由は無いだろ。弥富が智也を好きになるのは弥富の自由だ。俺たちがどうこう言う立場じゃない」
「まぁ……。そうね」
「それに俺たちは弥富との協力関係を解消してる。部活の立場を使って何か出来るわけでも無い」
「でも……。このままじゃ弥富さんはふら」
そう言いかけ、鳴海は言葉を飲み込んだ。
まるでこの場にいない弥富の気持ちでも察したかのように、ほとんど出かかっていたその言葉をしまう。
そんな鳴海の様子を、加納は黙って見ていた。
このまま……。このまま弥富が智也に告白したら、どうなるだろうか。
これまでの思いをぶつけて、もう一度智也に告白をしたら……。
――考えるまでもない。
それはあまりにも明白で、あまりにもつまらない結末だ。
「まぁ間違いなく、弥富はフラれるだろうな」
鳴海が言えなかった言葉の続きを、俺は口にした。
「智也と春日井、二人の関係は今のところ良好だ。昨日のレクリエーションでも、その様子は十分すぎるほど見せつけられたしな」
「そうね。私たちはもちろん、きっと弥富さんも……」
「ああ。弥富だって自分の置かれてる状況は把握してるはずだ。どれだけアウェーな状況かってことも、あいつは分かったうえで告白をするつもりなんだろう」
それはきっと、相当な覚悟に違いない。加えて弥富は一度智也に振られているのだ。
自分を振った相手に、まだ諦めきれないからと、もう一度自分の思いをぶつける……。到底俺なんかでは想像もできない不安と緊張があるに違いない。
それでも弥富は、智也に告白をしようと動いている。
その根源たる感情の正体は、何だというのか。
弥富の行動原理は、いったい何だというのか。
それは、純然たる智也への愛情か。
それは、恋々とした智也への執着心か。
あるいは――
そう考えたとき、どうしようもなく心の中に蠢く感情があった。
どこまでもどこまでも、胸を締め付けるような不快感。
何と言い表すべきか。どうにも形容しがたいけれど。
けれど。この感情を抱えたまま、彼らの顛末を見過ごすことだけは。
それだけは、違う気がした。
「――加納、弥富と電話を繋げるか」
「……え? 電話? まぁ連絡先は分かるけど……」
きょとんとした様子で俺を見る加納。
「もしかして、梓ちゃんの告白を止める気なの?」
「……いや、告白はあいつの好きなようにやらせる。ただ時間を稼ぎたいだけだ」
俺はそう言って、もう一度腕時計を見た。あまり余裕はないが、まだ時間はある。
「智也は今部屋にいる。でもいつ広場に出るか分からねえからな……。適当な会話で繋ぐだけでいいから、弥富の告白を十分くらい遅らせられないか?」
もうすぐキャンプファイヤーが始まる。弥富と智也が出くわせば、弥富の恋物語は儚く散ることになるのだろう。
弥富は智也にフラれ、智也は春日井を選ぶことになる。
その結果は揺るがないし、絶対に変わることはない。
だからこそ、俺たちにできることは何か。
弥富の真意を汲み、弥富が望むように、彼女の恋物語に終止符を打たなければならないのだとしたら。
だとしたら、今すべきことは……。
「どういうこと? 時間を稼ぐって……?」
俺の問いに、加納は合点がいっていないと言わんばかりに眉をひそめている。
「何かするつもり?」
「いや、まあなんというか。その時間で智也と話を付けに行こうかと思ってな。……この話を丸く収める方法を、あいつに教えるんだよ」
俺は立ち上がって宿舎棟の方へと足を向ける。
……智也と話をしなければならない。今頃あいつは部屋で呑気に準備でもしているだろうか。
加納が時間を稼いでくれれば、何とか間に合うはずだ。
「丸く収めるって……? ――え、それって、アンタまさか!?」
何を思ったのか、加納は驚いたように大声を上げた。
階段を下りる途中で、俺はなぜ加納がそんな大声を出したのかに気付く。
――本当に、まさかである。
振り返ると視線の先には鳴海がいた。彼女もまた、目を丸くして俺のことを見ていた。
「安心しろ。お前らが想像してるような解決法にはならねぇよ」
二人の心配も分かるが、そこについては大丈夫だ。ちゃんと弁えている。その解決法だけは無い。
智也の気持ちも、弥富の気持ちも、そのすべてを尊重することだけは絶対に侵してはならない。
だから、安心してほしい。
…………。
まあ、これから俺がやろうとしていることも、別に褒められたことではないのだけれど。
それでも、弥富梓の気持ちに向き合うためには。
「弥富の足止め、頼んだからな」
「……分かったわよ。アンタに任せた」
――きっと、こうするしかないのだろう。