特別になる日
ハイキングから林間学校へ戻る頃には、陽も大分傾いていた。
しおりを見れば次の行事はキャンプファイヤーと書かれている。なんでも食堂棟脇の広場でキャンプファイヤーをするらしい。例年、その周りで踊ったりなんかしたりすると聞いた。アレだ。最後まで踊っていたペアは未来永劫結ばれるとか、そういう下らない噂がいよいよ炸裂するわけだ。こういうのはお約束だからね。俺には縁がないだけで。
というワケだから……、いやどういうワケかは分からないが、キャンプファイヤー直前の男子生徒は皆、親でも殺されたのかってくらい血走った眼をしていた。
今はキャンプファイヤーの準備の時間。どの女子に声をかけようだとか、あの子はもう踊る相手決めてるのかなだとか、そういうふわふわした会話が周囲で巻き起こっている。本番まであと一時間。もう時間がなかった。ここで誰とも踊れなかった奴は、晴れて童貞継続の烙印を押されることになる。
このクソ大事なイベントにおいて女子と約束を取り付けることもできない男子は、生存競争において負けているということなんだろう。なるほど、恐ろしい。弱肉強食の世界というわけだ。本当に怖い。何が怖いかって、こんなしょうもないイベントに全力で臨んでいる彼らが本当に怖い。
「んで、陽斗は誰と踊るんだよ?」
キャンプファイヤー用の薪を抱えた智也が、にやにやとした表情で俺に尋ねてきた。
彼女もちの余裕といったところか。妙にむかつく顔をしている。くっそ……、死なねえかなこいつ。
「踊らねぇよ……。アレだよ。俺そういう都市伝説みたいなの信じないタイプだし」
「そうかー? ホントは柳津も興味ありそうだけどなー」
犬山が智也の話に乗っかった。そして意味ありげに俺の肩に手を置く。
「なんだよこの手は……」
実際、俺は誰とも踊る気なんて無い。むしろ踊る奴が哀れだとしか思えないのだ。
だって考えてみてほしい。最後まで踊り切ったら未来永劫結ばれる……? いやいや。漫画やアニメじゃねえんだからさ。もうちょっとマシなジンクス用意できなかったのかなぁ、とか思っちゃうわけだ。そういうの作るんならちゃんと作ってもらわないとねマジで。例えば最初に広場を後にした奴は死ぬとか、な。それジンクスじゃなくて呪いの域だけど。ただのホラーあるあるだけど。
冗談はさておき、こういう都市伝説みたいなのはいまいち好かんのである。
『気になるあの人と結ばれるデートスポット!』だとか『これをやったら別れちゃうかも……長続きする人はやらない不幸のジンクス!』だとか、そういう根拠のない話に踊らされているうちは、どうしたってうまくいくはずがないのだ。
本当にその人と付き合いたいと思っていたり、長続きさせたいと思っているのなら、自分の実力だけで掴み取らなければ意味がないと思えてならない。
つまりだ。キャンプファイヤーの周りで踊る奴らは、全員しっかり別れるのだ。絶対そうに決まっている。ていうかそうなってくださいお願いします。
「なに黙ってんだ陽斗?」
「あ、いや別に……」
智也に声をかけられ、下らない思考は中断される。
「琴葉ちゃんと踊れるといいな?」
「いやだから踊らねぇし……。あいつ関係ねぇし」
加納と踊るだなんて冗談じゃない。死の舞踏じゃねえかそれ。芸術様式かよ。
「お前は良いよな。春日井がいるからさ」
「まぁな」
そう言って、智也は子供みたいにかかっと笑う。
何が楽しくてキャンプファイヤーなんかで盛り上がれるのか……。正直俺には分からないが、この場にいる多くの人にとって、この夜は特別なものになるんだろう。
高校一年の林間学校は一度しか訪れない。このキャンプファイヤーも人生に一度だけ。
たった一度だけだから。
あとになって振り返れば、記憶の中で際立って、キラキラ輝いて見える。
今この瞬間は何も特別なことだと感じないかもしれない。
でもいつかは、この日のことを思い出す。俺だって例に漏れないだろう。あの日は良かっただとか楽しかっただとか、きっとそんなことを宣う。
キャンプファイヤーの周りで踊る彼ら彼女らも。それを見ている彼ら彼女らも。この日を思い出に刻んで忘れることは無い。
思い出は色褪せないのだから。
俺も。恋愛相談部のみんなも。
きっと、誰にとっても。
***
キャンプファイヤーの準備が大方終わり、開始時刻までは自由時間となった。
自由時間……つまりはマッチングの時間である。
広場の方を見れば、なんかチャラそうな男子生徒たちが女子生徒に声をかけてはがっくり肩を落としている様子が散見される。キャンプファイヤーで女子と踊れなければプライドと実績に傷がつく。もう手当たり次第なんだろう。……そこまでして女子と踊りたいかねぇ。
そして智也はというと、準備で疲れたから部屋で仮眠をとるとか言っていた。まあ朝から山登りもあったし、林間学校も二日目だ。疲れはピークに差し掛かっている。
俺もまた、全身の倦怠感に抗うことができず涼しい室内にいる。冷房の効いた食堂棟の二階から広場を俯瞰していた。
手元にはお菓子とコーラ。これがなきゃやってられない。労働の後に食うポテチが一番旨いのだ。この事実は古代エジプトの頃から知られている。
ちなみに用意したポテチの味はカニ味である。……カニ味ってなんだよ。まぁ地域限定のポテチってやつだ。このあたりの地域ではわりかし有名なんだが。薄味ながらも後を引くカニの旨味が癖になる。
そんなことを思いつつ、ポテチを頬張り視線を窓の外へ。猫も杓子もわちゃわちゃしている。アレだな。ここが涼しいってのもあるんだろうけど、高いところからみんなを見下ろせるってのもポイント高いよな。普段は俺見下されてるからね。うん。いい景色だ。そうそう、たまには俺もみんなを見下し返してやらないと。よし、定番のあれやっとくか。――ふははっ、人がゴミのよ
「なに黄昏てんの?」
……ってあれ。何か聞こえたんだけど。今の声だれ?
「こんなところで一人ぼっちなんて……。かわいそうね」
「げっ、加納……」
目の前に現れた人物。よりによって加納だった。
まあよりによらずとも、俺なんかに声をかける女子は加納か鳴海くらいしかいないわけですけどね。