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同じ景色を見るために

山頂へ。

 頂上へ至る道。何人かの挑戦者が登攀を試みていた。


 近くまで来て見るとその傾斜のすごさがよく分かる。まるで本当に崖だ。岩壁が来るものを拒んでいるかのように佇んでいた。こんなところ、なんで登ろうと思うのだろうか。


 かの有名な登山家は言った。なぜ山に登るのか? そこに山があるからだ、と。……ふぇぇ、意味分かんねえよ。どういうことだよ。


 一部のエリアは手を使って登ることにもなるらしい。もうほとんどクライミングである。落ちたら普通にケガするよな……。


「自信のある人以外は絶対に登らないように!」


 なんて先生が再三注意をしているくらいだ。注意して登らなければ痛い目を見そうだ。


 斜面を見上げる。陽の光が岩肌に反射して眩しい。


 だが登れないほどではないだろう。三日後にやってくる筋肉痛を恐れなければ、十分攻略は可能のはずだ。


 息を整え、一歩を踏み出した時だった。


「よーう、陽斗」


 間延びした声。こっちまで気が抜けてしまいそうな頓狂声。


 誰だよと思って振り返れば、そこには今しがた到着した様子の智也がいた。


「今から登るのか?」


「……まぁな」


 そう答えると、智也は俺をからかうみたいに軽い笑いをこぼす。


「大丈夫か? 陽斗には厳しそうだけど」


「余計なお世話だっつーの」


「ていうか陽斗はこんなところ登るようなキャラじゃないだろ?」


「……いや、まあ。頂上の景色が見たくてだな……」


「はははっ。相変わらず陽斗は嘘が下手だなぁ」


「……っ。なんでどいつもこいつも俺の嘘を見抜けるんだ……」


 俺ってそんなに分かりやすいのだろうか。そんなことないと思うんだけど……。小学生のころ、隣の席の香澄ちゃんにプレゼントのつもりでセミの抜け殻を渡したら、「何考えてるかマジで分かんない! 死ね!」って言われたことがあるくらいにはつかみどころのない人柄だと思っていた。


「今着いたばっかだろ? 小屋の向こうに展望台があるから、そこで休憩して来いよ」


「そうなのか? じゃあ、ここ登り終わったらそっちも行ってみるか」


「……お前も、登るのか?」


「当たり前だろ? ここまで来て登らない理由がねぇよ」


 何を当たり前のことを? とでも言うような顔で智也は俺を見ていた。まぁそうだよな。こいつが登らないはずがない。むしろこいつが登らなくて誰が登るんだって話だ。


「一緒に登ろうぜ?」


「お前のペースについていけるわけねぇだろ。行くならさっさと行け」


 校内マラソンで絶対に信用してはいけない言葉第一位をひらりと躱す。まぁ今からやんのマラソンじゃないけどさ。


 てかそもそもサッカー部のエースと恋愛相談部の平部員が同じスピードで登れるはずがないし。既に俺はここに来るまでの体力消費が激しくて、ちゃんと登り切れるかどうかも怪しいのだ。


 なんて会話をしていたときである。近づいてくる人影に気付いた。


 そちらの方を振り返る。……弥富だ。


「……んぁ? 弥富?」


「あっ、き、奇遇ですね、ハルたそ! それに智也くんも!」


「お、おう……。梓ちゃんもここまで来てたんだな」


 引きつった笑みを浮かべている弥富が現れた。全然奇遇じゃねえ。


 え、何しに来たんだこいつ……。


 ああ分かった。どうせこいつのことだ。智也を見つけたから近寄って来ただけか。


「梓ちゃんも、ここ登るの?」


 おどけた調子で智也が笑う。


 そんな智也の様子を、弥富は呆然とした様子で見つめていた。


 まるで考え事の最中かのように、上の空のようで。


 弥富の視線の先は智也だけでなくて、その向こうにある山頂も捉えているかのように思われた。


 その思考が為されるのと、弥富が言葉を発したのはほぼ同時だった。


「はい、私も登るつもりですっ」


「はぁ? お前さっきは登らな――」




「――ハルたそは黙っててくださいね? 今は智也くんと話してるんですから?」




「お、おう……」


 すげえ睨まれた……。怖っ……。えっ、ご、ごめんなさい……。


 気負けしてシュンとなっていると、その傍らで智也が心配そうに弥富のことを見ていた。


「大丈夫かな? 結構体力勝負になりそうだけど……」


「にししっ、大丈夫です! 私体力には自信ありますから!」


 うわぁ。ここにも嘘つきがいるぞぉ。


「一緒に頑張りましょうね!」


「おう……。じゃあ、気を付けていこうな。もちろん陽斗も」


「……へいへい」


 まぁなんだっていい。弥富も登るってんなら一緒に登ればいいだけだ。


 かくして、弥富を入れた俺たち三人は山頂を目指すことに。


 先陣を切ったのは智也。続いて俺、弥富の順。


 断崖ゾーンに足を踏み入れる。


 一歩一歩、確実に登ることを意識して、足を動かしていく。


 登りやすい足場を探りつつ、姿勢を崩さないように前へ。

 途中岩場をよじ登るようなところも。そこは手を使って進んでいくしかない。




 これは……なるほど、相当きついな。




 ほとんど断崖をよじ登るような格好だ。登り始めてまだ一分くらいだが、あっという間に息が上がってしまう。今までの登山道とは訳が違う。山に「遊びは終わりだ」と言われている気分である。


 普段運動していないせいもあるだろうが、この道のりはかなり険しいものになりそうだ。


 しかし断崖とは言っても足掛かりは豊富にあるらしい。故に見た目ほどの難しさは無いかもしれない。要は体力勝負だ。


「大丈夫かー? 二人ともー」


 気付いたころには智也は遥か上の方まで登っていた。声をかけられるも、息が上がって返事をすることもままならない。体力なさすぎだろ俺。


 岩場に足をかけるたび、みるみる持っていかれる俺のHP。可視化できるのなら既にレッドゾーンといったところだろう。あと五分も登れば息絶えるかもしれない。


 さすがにこんなところで死ぬわけにもいかないので、座れそうな岩場を見つけて少し休憩することにした。


 汗を拭って水分補給していると、下の方から弥富の姿が見えてきた。


「……はぁ。ハルたそ、じゃないですか」


 苦しそうな声だ。額にはびっしょりと汗をかいている。こちらに近寄ってくると、その場で膝に手をつき盛大に息を切らしていた。


「よう……。お互い運動不足みたいだな」


 二、三分前に切った啖呵はどこに行ったんだろうな。お互い。


「はぁ……、はぁ……」


「大丈夫かよ……」


「はぁ……、ハルたそっ……、お水を、くれませんか……」


「あ、ああ……」


 見れば弥富は俺よりも重症のようだった。息は絶え絶え、言葉も途切れ途切れだ。


 言われるがまま水を差しだす。でもこれさっき俺が飲んでた水なんだよな。いいのかな。間接キスになっちゃうけど、いいのかな。あとで訴えられたりしないよな?


「ありがとう、ございます……」


「別にいいけど……。それよりお前、なんで急に来ることにしたんだ」


 展望台で弥富は運動には自信がないとか言っていた気がする。


 だがこいつは、俺と智也が話していたところに割り込んできたかと思えば、体力に自信があると嘘をついてまで一緒についてきたのだ。


 こんなに、ヘトヘトになっても。




 それでも。




「同じ景色を見るためですよ」


「同じ、景色……?」


「はい。智也くんと同じ景色が見たいから、私は智也くんについていくんです」




 まっすぐな視線に射抜かれる。


 照れ笑いを浮かべるでもない、飾り気のない表情だった。


「智也くんと同じ景色を見て、同じ思い出を共有したいんです。後になって後悔したくないから。今のうちにできることは全部しておきたいから。だから、私は行くんです」


 言葉の最後にようやく弥富は思い出したかのように小さく笑って見せた。


「にししっ……。変、ですか……?」


「いや、変じゃないけど……。どうだろ……」


 なんだろうな。言いたいことは分かる気がした。


 こいつは智也に惚れている。だから出来るだけのことは精一杯やると決めているのだろう。


 智也に近づきたいから。智也のそばにいたいから。


 必死にあいつを追いかけて、離れてしまわないように。


 自分に嘘をつかないように。そして後悔しないように。


 だから、『今できること』を、精一杯やっている。




 でも。




 それって。




「…………」




 ――ふと、春日井の件が頭をよぎった。




 温泉で弥富は、春日井に自分の気持ちをすべて打ち明けたのだという。


 あの表情、あの言葉。ずっとひっかかっていた。


 そして、弥富自身にも違和感はあった。


 そもそも打ち明ける必要がないし、弥富には何のメリットもないというのに。


 こいつは春日井にすべてを話した。


 そして、最後に。こいつの相談。




 ――智也に告白したいという、彼女の相談。




 もしかして……。




 もしかして、こいつは――






「ハルたそ、ハルたそ! もうすぐ山頂ですよ! ほらっ!」






 弥富が指さした方向。


 そこには、目指すべき山頂が見えていた。


「もうすこしですよ! ほら頑張りましょう?」


「痛っ……、おい痛ぇよ、手を引っ張んな……!」


 連れられるがまま、あとわずかに残った山頂までの道を登っていく。


 さっきまで息を切らしていた弥富は何処へ。いつの間にか元気になったみたいで跳ねるように岩場を駆け上がっていく。


 俺も弥富に負けじとついていくが、その差は一向に埋まらない。


「早ぇよ、あいつ……」


 上を見上げれば智也がこちらを覗き込むようにして顔を出しているのが見えた。あぁ、なるほど。急に元気になったのはあいつの顔が見えたからか。単純ですかあの子は。


 だがゴールさえ見えてしまえばこっちのもんだ。ゴールの見えない人生にはうんざりな俺だが、ゴールが間近だと分かると最後の力っていうやつも振り絞れる。ファイトぉ、いっぱぁつ! と自らを奮い立たせ、ラストスパート。




 最後の岩場を乗り越える。そして山頂にその一歩を踏み入れた。




 ようやく、到着……。




「はぁ……。なんとか登り終わったな……」


「おつかれ、陽斗!」


 待っていてくれた智也が俺の肩をトンと叩いた。なんでこいつはこんなに爽やか元気なんだろうか。汗くらいかいてるよな? 体力の違いを見せつけられている気がする……。


「ハルたそ! ほらこっちです!」


 弥富が手招きして俺たちのことを呼んでいた。


 息を整えて、弥富の方へと向かう。


 顔を上げ、視界に飛び込んできた広い景色。




 青空と峰々。




 どこまでも、どこまでも。




 彼方まで、見渡せる。




「すげぇ……」


「すごいですね……!」


「すごいな」




 感嘆の声が漏れ出る。




 展望台で零した感想と全く同じ気がするが、まぁそれは致し方ない。


 実際すごかったのだ。なぜかは分からないが展望台で見た景色よりも遠くまで見渡せるような気もした。


 こればかりは、本当に説明がつかなくて歯がゆいけれど。


 本当に素晴らしい景色だと、そう思えた。






「――本当に、きれいです」






 何より、弥富梓の目には。


 この景色が限りなく美しく見えているんじゃないかと、そう思った。


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