ハイキング
朝食を済ませた俺たちを待っていたもの。
それはハイキングという名の体育会系イベントだった。
あー完全に忘れてた。そういえばこのイベントがあったな……。
休みたいとは思いながらも、一人この場に残るわけにもいかない。観念したので学校指定のジャージに着替えてから、校舎前に待機しているバスに乗り込んだ。
程なくして、林間学校を出発。
バスは山道を一路進んでいく。
景色はどこも緑に溢れかえっている。
逆に言えば、緑以外ほとんど何もない。
出発してからしばらくは、道路沿いに建物をちらほら見ることができたものの、途中からはそれすらも無くなってしまった。完全に自然の世界。人工物はせいぜい舗装されたアスファルトと、死ぬほどあるトンネルくらいなもんだろう。
故に代わり映えの無い景色が延々と続いていた。ふと車内の方に目を向けると半数くらいの生徒は寝息を立てている。一日目の疲れがでているのかもしれない。それに寝不足の奴だっているはずだ。こういうイベントで夜更かしするのは定番だからな……なんて考えつつ、流れていく景色をしばらく見ていたら、自分も段々と意識が遠のいていくことに気付いた。
きっとあまりにも景色が変わらないのと、自分も睡眠不足なのが原因だ。智也は今、別の友達と一緒にいるみたいだし、俺の隣には話したこともない別クラスの男子生徒が一人スマホをいじっていた。故に会話の相手もいない。
うとうとと、次第に意識が闇の方へと持っていかれる。
バスは大きく揺れるように、ただひたすらに動き続ける。
――いつまで起きていたのか、まったく覚えていない。
***
誰かが感嘆するかのような声を上げた。
目が覚めて、窓の外に目をやる。
雄大な自然のなかに、まるでポツンと孤立しているかのように赤い屋根が見えた。
どうやら目的のバスターミナルに着いたようだ。
バスが止まり、順に生徒たちは並んで降車していく。駐車場に降り立って真っ先に感じたのは空気感の違いだった。
別に雰囲気とかそういう意味の空気感ではなく、文字通りの空気感ということだ。ハイキングのスタート地点とはいえ、既にこの場所でも相当な標高のはずだ。かといって頭がクラクラするとか呼吸が苦しいとか、そういうのは無い。近くにいた奴らがパンパンに膨らんだポテトチップスの袋を見てキャッキャとはしゃいでいたので標高の高さを実感することができただけだ。ていうかそんなの持ってきたのかよ……。
バスターミナルの建物脇に登山道があった。その先はなだらかな丘のようになっている。道はどこまでも果てしなく続いているように思われた。
「じゃあ並んで登ってくぞー。他の登山客の迷惑にならないようにな」
先生から一通り注意を受けたあと、ぞろぞろと俺たちは登山道へと入る。
天気は快晴。視界良好。絶好の登山日和……なのだろうか。
アウトドアなことはめっぽう分からん。まあ俺の場合、晴れてようが雨だろうが基本的に家にいるからなんですけどね。いつだって引きこもり日和。でも朝から晩までネットサーフィンしてるから、たまに俺ってサーファーなんじゃないかと思うときはある。何言ってんだ俺。
そんなどうでもいいことを考えられるくらいには暇だった。暇というか話し相手がいない。智也どこ行ったのかなぁと思ってきょろきょろ見渡す。と、俺よりだいぶ後ろの方で知らない奴と会話しているのが見えた。友達の友達か……。友達の友達は友達じゃないので、あんまり近づかないようにしよう、早歩きで進もう、そうしよう。
「……あ、柳津くん」
しばらく無心で歩いていたときだった。後ろから鳴海に声をかけられる。
「……よう。元気か」
突然の会話イベント。急に会話を始めろと言われても、最初に何を話せば良いか困ってしまう。鳴海と特に話すことも無いのでアメリカ人みたいな挨拶をする他なかった。ハーワーユー? 的な。なんであの人たちって会うたびに体調を気にするんだろうか。
「え、あ、うん? 元気だよ?」
「そうか。そりゃよかった」
鳴海が達者だと分かったところで……さて、何を話したもんか。思えば鳴海と二人きりという状況は珍しい気もする。いつもは加納が間に挟まっているからな……。
別に知らない人というわけではないが、友達のような関係性でもない。二人で居て沈黙を続けられるような仲の良さにまでは至っていないだろう。だからこの先黙って二人で歩くのも不自然な感じがした。あ……あれ。今、試されてるのか。俺のコミュ力。
「――鳴海は運動とかするのか」
精一杯考えた結果がこれだった。俺の話題ストック無さすぎだろ。
鳴海は「うーん」と唸って考えるような素振りを見せてから、一言。
「あんまり、かなぁ……」
「そうなのか?」
「うん。明日は筋肉痛かも」
「登山って体力使うもんな。しょうがねえよ」
「……柳津くんはどう? 運動とか?」
「いいや、まったくだな」
体育の授業と登下校を除けば本当に運動なんてしてない。強いて言えばたまに片手運動会をするくらいだろうか。でもそれって運動じゃないしな……。え? あ、もちろん下ネタですよ。
「だからこの登山のあと、俺も筋肉痛確定だ。たぶん三日後くらいに来るな」
「あははっ、それは遅すぎだよっ」
鳴海がくすくすと笑う。俺のつまらない冗談に愛想笑いをしてくれているんだろう、超良い奴だな鳴海。でもびっくりなことに今の俺の台詞は冗談でもなんでもなく本気の発言だということだ。マジで三日後くらいに来るんよ筋肉痛。あまりにも遅すぎて何の筋肉痛だったのか分からなくなっちゃうレベル。
「だから、このハイキングには正直来たくなかった。運動とか嫌いだし」
「ははは……。でも、頂上から見る景色はきっとキレイだよ?」
「だろうな。登ってんの三千メートル級らしいし」
もうここまで来てしまった以上、その頂上の絶景とやらを目標に進んでいくしかない。せめてものモチベーションだ。遥香にも土産話を頼まれているからな。ちょうど題材としては悪くないはずだ。
息を整え、額から零れる汗を拭って前へ。
やや疲労が溜まってきたが、問題視するほどではない。
なんせ女子含む生徒全員がここまで登れているのだ。こんなところで脱落したらきっとバカにされてしまう。体力テストのシャトルランでグループ最初に脱落したときを思い出した。あれはバカにされたなぁ。お前女子よりも体力ねえなって。うるせえよ。戦略的撤退だっつーの。
なんて、結局鳴海の傍ら一人そんなことを考えつつ歩き続け。
鳴海と時折雑談も挟みながら三十分ほど。
道は果てしなく続いているように思われたが、案外そんなことも無かったようだ。
「――頂上、見えてきたな」
青空を劈くように、堂々と聳え立つ孤峰。
岩肌を露出し、荒々しく聳えるそれはまるで巨人を彷彿とさせるようで。
――目指すべき絶巓を捉えたようだ。




