林間学校二日目
疑問を残したまま、二日目に突入です
ふと、目が覚めた。
どうやら朝を迎えたらしい。
カーテンの隙間から差した日の光が視界を眩く照らす。それに合わせてうめき声が漏れる。海の底に沈んだ錨のように、瞼は開いてくれない。もともと寝覚めは悪い方である。意識はあっても、本当の意味で覚醒するにはまだまだ時間がかかるだろう。
身体は鉛のように重く、布団に沈み込んで離れない。なるほど、疲れが溜まっているみたいだった。寝ても改善しないこの倦怠感。もしかして睡眠負債でも抱えていたのだろうか、とか思ったが最近は毎日十時間以上寝ているのでその説はすぐに否定される。
まあなんだっていい。そもそも、こんな朝早くに起きる意思も動機も理由も俺には無いのだから。布団を頭まで被り、また夢の世界に飛び込もうとしていたそのとき――アラームが鳴った。
『朝だよぉー、朝だよぉ! もうっ! 起きてくれないと……、ぶち殺すわよ?』
「――おい、誰だよ……。気色悪いアラーム鳴らしてるのは……」
「……んなもん、陽斗に決まってんだろ……」
「悪い、俺だ……」
謝りつつ、アラームを止める。……というか、今の声は犬山と智也? あぁ、そうか。そういえば林間学校だったな、ここ。完全に実家にいる気分だった。
布団から顔を出してみれば確かに知らない天井。いや、昨晩寝付けなくて散々天井にあるシミの数を数えていたので、めちゃくちゃ知っている天井ではある。
ちなみに智也と犬山を不快にさせたこの目覚まし時計は自前のものだ。これじゃないと俺起きれねぇんだ。
時間を確認してみれば午前七時。林間学校二日目の朝がやって来た。
確か朝食が七時半からだった気がする。少し急がねばならないか。
「みんな、おはよう。今日から二日目だな」
「かぁっ……。そうだな」
開口一番あくびと共に、俺は布団から抜け出る。
昨晩は結構夜遅くまで起きていたからな……。少しばかり眠い。
「いやぁ、昨日の大里の話は傑作だったなぁ。おばあちゃんの入れ歯の話!」
「アレ面白かっただろ? 俺の鉄板ネタなんだ」
「そんな話もあったな……」
言われて思い出す。どういう話かといえば、おばあちゃんの入れ歯を本物だと勘違いした小学生の智也が、学校の友達に「うちのばあちゃん歯が取れるんだぜ!」って自慢しまくって、それが家族にバレてぶん殴られたという話だ、世界一どうでもいい。
「お前らがずっと下らない話してるから俺まで寝れなくなったんだぞ……。こういうのって、せめて恋バナとか暴露話とか、そういうのをするもんだと思ってたんだが」
昨日俺は温泉から帰ってきて、いよいよ寝るばかりとなっていたのだが、当然この二人が簡単に寝かせてくれるはずもなく。しょうもない話を消灯時間が過ぎてからも延々と聞かされていたのだ。
ちなみに昨晩で一番面白かった話がこれだ。俺たちの『笑い』の程度の低さが窺える。
「じゃあ逆に聞くけど。陽斗は俺と犬山の恋バナを聞きたいか?」
「いや全然これっぽっちも」
「だろ? 俺たちが話したところで、それはもう惚気にしかならねえからな」
智也の言う通りだった。こいつらの恋バナを聞いたところで、俺には何のウキウキもワクワクもない。せめて恋が成就する前だったら頑張れだとかイケるぞだとか言えたのかもしれないが。
恋バナなんていうのは、聞く側からしたら恋が成就するまでの馴れ初めが一番面白いのである。付き合った後の話なんて割とどうでもいい。あとはどうぞ若いお二人で、ってなってしまう。ちなみに次点で面白いと感じる話は失恋話だというから、たちが悪い。他人の不幸は蜜の味、である。
「それより俺は陽斗の恋バナが聞きたかったぜー?」
布団をたたんでいると、智也が意味ありげに俺に視線を送ってきていた。
「その後、琴葉ちゃんとはどうよ?」
「そうだそうだー。どうなんだー」
二人が俺のことをにやにやしながら見ている。何もねぇって言っただろ……。
「昨日も言ったぞ。……狙ってねぇって」
「本当か? 昨日は琴葉ちゃんと一緒に温泉に行ってたらしいな?」
「……お前、耳が早すぎるだろ」
「たまたま風呂行く途中で見かけたんだよ。だからどっちかと言うと目が早いんだな、俺」
「そうですか……」
「さすが、大里! 話も早いなー?」
「うまくねぇよ」
「だろ? ついでに足もはやいからな? 俺サッカー部だし」
「それは意味違ぇから。この流れだと間違ってるから。……お前アレなの? 鮮魚なの?」
下らない会話すぎる……。
寝起きでみんな頭が働いていないせいだと思いたい。
「ホントに何もなかったのか? 一緒に温泉行ったのに?」
そう智也は言うが、実際のところ何もないのだから始末に負えない。
多少なりともラブコメの波動を感じるようなイベントがあれば、俺だって勢いでつい口走ってしまうかもしれないが……。
「ホントに、何もないんだよ。それに加納だけじゃなくて鳴海も一緒だったしな。あと温泉にやと――」
そこで言葉が途切れる。
昨日の温泉での出来事を思い出した。
「……どうした、陽斗?」
「んぁ、いや、なんでもねえよ……」
別に隠す必要は無かっただろうか。
温泉で弥富に偶然出会ったことくらい、こいつに話しても問題は無いはずだ。
だが、一度噤んでしまった口を開くには、理由が必要だった。
わずかな沈黙を経て、思い出したように犬山が呟いた。
「てかそろそろ顔洗いに行こうぜ?」
「だな」
同意する智也。俺も頷く。そうですね。そろそろ行きますか……。
洗面所はフロアごとに一つ用意されている。部屋を出ようと扉に手をかけたそのとき、後ろから声がかかる。
「柳津、化粧水は?」
「……は? ……けしょうすい?」
「乳液と美容液も忘れてるぞ」
「えっ、何言ってんだお前ら……。化粧? 美容? 女子かよ」
訳のわからないことを言う二人である。お前ら性転換でもすんのかよと思って二人を見ていると……。なぜだろう……。逆に二人に哀れんだ目で見られているような気がした。
「さすがは陽斗だぜ……」
「今日から柳津も始めような、スキンケア……」
「え、何お前ら? なんでそんな悲しい顔してんの? なんなんだよマジで?」
黙ったまま俯き気味の二人が俺の肩をポンと叩く。
俺はその後、二人によく分からない液体を顔中に付けられたんだが……。なんだこれ。舐めたら超苦ぇ。